世界の半分、サファヴィー朝の古都イスファハーン(前編)
イラン(ペルシア)の見どころとしてたぶん一番と言っていいくらい有名なのは、江戸時代とほぼ同時代に興ったサファヴィー朝ペルシアの首都だったイスファハーン。ヨーロッパから貿易商たちがペルシアの文物を求めて詰めかけ、フランスの旅行家シャルダンも挿絵入りの豪華な旅日記を残し、世界の半分と謳われたサファヴィー朝時代の壮麗な街は、今も当時の美しい面影を残しています。
たとえば、サファヴィー朝の王宮やモスクやマドレセと呼ばれるイスラム神学校や細い裏通りがどこまでも続く大バーザールが立ち並ぶ大複合建築の「王の広場」(ナクシェ•ジャハーン)。壮麗なペルシア建築が立ち並ぶこの大きな広場では当時、王侯たちが騎馬で楽しむポロが催され、広場に面しアリカプ宮殿の大きなバルコニーから王妃や貴族たちが観戦したとか...
たとえば、四十柱宮殿(チェヘルソトゥーン)という名の華麗な宮殿で柱の数を数えても二十本しかないので不思議に思っていたら、大きな泉水に逆さに映った宮殿の柱もあわせて四十柱と言うのだという、現実と幻影が一体になったようなペルシアの美に触れたり…
古都イスファハーンは、中世ペルシアの残した意匠の数々に見とれてシャッターを切っているうちに、いつしか青空とモスクの青く輝くタイル細工と、現実と水影と、今いる場所と中世の遠い歴史とまでが溶け合って区別が定かでなくなってくるような、時空を超えて16世紀のペルシアに迷い込んでしまったような気持ちになってしまう街なのです。数々の建築がユネスコの世界遺産にも登録されていることはもちろんのこと。
もうずっと昔、大学でペルシア語を学んでいた頃に、「王の広場」の近くに住んでいた友人の家庭にホームステイさせてもらって、友人家族と一緒に夕暮れ時の広場を歩いたり、一人で大バーザールをどこまでも歩いて伝統工芸の工房に迷い込んだり、近所で催されたシーア派殉教語りの朗読会に真っ黒なチャドルを纏って紛れ込ませてもらったり、ペルシア文学を専攻していたイラン人の友人と一緒に「王の広場」でペルシア語詩を朗読したり、、、イスファハーンには懐かしくてノスタルジックな思い出がたくさんあります。友人のお兄さんがいつもつま弾いてくれた古楽器サントゥールの音色が、天上の音楽のような響きで聞こえてくると、初めて旅したこの街は時空も超えて千一夜物語に出てくるおとぎ話の街のように、いつまでも旅のまた先へと誘ってくるのでした。(続く)
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