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アケメネス朝ペルシアの宮殿遺跡ペルセポリス(前編)

ペルシア(イラン)の世界遺産といえば、真っ先に思い浮かぶのが古代アケメネス朝ペルシアの首都ペルセポリスです。西はギリシア、東はインドまでの広大なアケメネス朝ペルシア帝国は20の州(サトラピ)から成る古代初の連邦国家で、2500年前も昔のものとは思われない技巧を凝らしたアスファルトを敷いた「王の道」がこの広大な連邦国家を結んでいたことは、世界史の教科書でもお馴染みですね。この広大なアケメネス朝ペルシアにはシーラーズ近郊のペルセポリスの他にもバビロン、スーサ、エクバタナ、という複数の首都がありました。

アケメネス朝ペルシアの広大さと連邦国家としての性格から、複数の首都があったことはごく自然に頷けるのですが、面白いのは、当時の王侯たちが遊牧民のように春夏と秋冬でこれらの首都を行ったり来たりしていたことです。前にノマドについてのポストでもご紹介したように、ペルシアの遊牧民たちは、春夏用の涼しい夏営地と秋冬用の温暖な冬営地を行ったり来たりしながら暮らす伝統的な遊牧生活を続けているのですが、アケメネス朝ペルシアにも夏営地用の首都(宮殿)と冬営地用の首都(宮殿)があって、王侯たちは季節に応じて、首都から首都、宮殿から宮殿へと旅するように暮らしていたという訳です。ちなみに、このノマドスタイルはペルシアの様々な王朝でずっと続いてきた伝統で、例えばイラン革命前の王政ペルシアでも、首都テヘランで春夏用の宮殿と秋冬用の宮殿が使い分けられていた歴史があります。

冬のバビロン、春のスーサ、夏のエクバタナとは別に、ペルセポリスは新春の訪れを祝うための特別な場所だったという説があります。ペルセポリス遺跡の壁画にも、春のお正月(ノウルーズ)を祝うために20の州(サトラピ)から各地の特産品を持って帝都ペルセポリスにやってきた様々な民族衣装の人々の姿が描かれています。

さて、ペルセポリス遺跡に今も残る壁画や彫像の数々は、素通りせずにゆっくりと時間をかけて鑑賞してみたい見所です。彫りの深い古代ペルシア人たちがゆったりと纏った衣服の優雅さや、壁画のなかの彼らが互いに手を取り合って、優しく微笑みながら、時にはワインやビールを片手に楽しそうにお喋りしている姿や、ミトライズムのシンボルである聖なる糸杉のモチーフや、鷲のような翼とライオンのような体を持つ王スフィンクスの彫像や、菊のご紋にも似た聖なる睡蓮のモチーフなどなど、少し想像力を揺り起こして見つめてみるだけで、石造りの彼らが不意に2500年の時空を越えた古代ペルシアの楽しく優雅な新春へと誘ってくれるはずです。

そういえば、初めて壁画のなかの古代ペルシア人たちに遭遇したとき、整然と秩序を保ってゆったりと穏やかな微笑をたたえた彼らの表情が、どこか仏像の優しい微笑みと似ているような気がしてしまったものです。

ちなみに、ペルセポリス遺跡の壁画や彫像や発掘品の数々は20世紀初頭にヨーロッパに持ち出され、ルーブル美術館の誇る有数の展示品となっていることでも有名です。もちろん、テヘランの国立博物館にも様々な展示品があるので、シーラーズ近郊のペルセポリスと併せて訪れてみたいものです。(続く)

(Copyright Tomoko Shimoyama  2019)

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