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【漫画感想】違国日記

ヤマシタトモコさんは大好きな漫画家だ。
最初の出会いはBL漫画の『くいもの処 明楽』だったか。
異色のBL作家だなぁと思った。
作品の中の女性の描き方も良くて、そこもいいなぁと思っていたら、他のジャンルも描かれてると知り、どんどん手を伸ばしていった感じ。

とにかく読んでいて、思慮深い方なのだな、と感じた。
未だ人気の高い過去作品も今の価値観で振り返れば葬りたいとご本人は言う。
決して描き捨てない。
それを読む人間のこと、発信する側としての責任をちゃんと考えてくれている。

書いて(描いて)ものをのこす、というのはそういう事との戦いでもあるんだな。

のだめカンタービレの作者、二ノ宮さんも、ミルヒー(偉大な指揮者・シュトレーゼマン)が挨拶のように、のだめの胸を触るシーンを新装版では肩を抱く構図に変えたけど、これはいいなと思った。
「自分で見て引いた」ので、今の自分の感覚で描き直したということで、単にコンプラとかではなく、自分の感覚に従ったということが。



ヤマシタトモコさんの作品に登場する人物は、すごく人間味があっていい。
BLであっても、ラブストーリーなんだけど、ただのキラキラじゃない。
内容の濃いヒューマンドラマだ。
あっけらかんとした内容のものもあるが、そこにだって奥行きを感じる。
他のジャンルの作品にしても、登場人物がかなり鋭く世の中や人間に向き合っている。

『ひばり』では、女の子の生き辛さが生々しく描かれていてかなりしんどい内容だった。
しんどすぎてあまり読み返さないけど、必要な作品だって思った。
『花井沢町公民館便り』は、ある日一つの町が生き物だけが通り抜けられないバリアで囲まれて、そこで暮らす人たちが最後の一人になるまで(外の世界は普通のまま)を描いたもので、これもかなり斬新な話だなぁと思った。
こちらも残酷ではあるが。
『さんかく窓の外側は夜』は、直接的な表現はないにしても、ご本人が「これはBLです!」と言ってらっしゃるので紛ごうことなきBLだ。ホラーBL?
こちらは映像化されたし、観もしたが描ききれてない間が強かった。
この作品難しいし。


で、本題の『違国日記』
11巻で完結です。

まずタイトルにすごく惹かれる。
異国ではなく、違う国。
登場人物ひとりひとりがとても大切に作られていて、人には色んな苦しみがあるんだって感じるのに、これまでの作品のような苦々しさや刺々しさは感じなかった。  

わたしの人生の本棚に入る作品です。



少女小説の作家をしている槙生はある朝慌ただしく病院へ向かう。
不仲で長らく疎遠にしていた姉の実里が交通事故で亡くなったという知らせを受けたからだ。

殆ど初対面に近い姪……あの「姉」の娘である少女、朝をとりあえず家に泊めてやれと母親に押し付けられる。

葬儀が終わったあとの身内だけの食事の席のこと。
「普通」にこだわり続けていた実里は、実は夫と内縁関係で、さらに夫側に親戚もいなかった。
孤児となった朝を持て余し押し付け合っている大人達の会話の最中、当人である朝の耳にはフィルターがかかり、それらの会話をぼんやりと『音だけ聞いて言葉を聞かない』状態で聞いていた。
うー、なんかこう言うの分かる……。  

「朝!」
そんな様子を見ていた槙生の呼びかけにハッと我にかえり、
「た、たらいってどう書くんだっけ」
と場にそぐわない発言してしまう朝。 同時に溢れる涙。(うぅー)

槙生はそんな朝に向かい厳しい顔で、あなたの母親が嫌いだった、今も憎む気持ちが消えないことにうんざりしている、血のつながりを抜きにしても通りすがりの子どもに思う程度にもあなたに思い入れることができないと伝える。

き……厳しい、、、。

「でも 
あなたは
15歳の子供は
こんな醜悪な場にふさわしくない
少なくともわたしはそれを知っている
もっと美しいものを受けるに値する」

違国日記1巻 p69


続けて、寝床もせまいし、部屋は散らかっているし、自分はいつも不機嫌だし、あなたを愛せるかも分からないという。
さらに、厳しい……。

「でも
わたしは決してあなたを
踏みにじらない
それでよければ明日も明後日も 
ずっとうちに帰ってきなさい
たらい回しはなしだ  

それから
たらいは臼に水を入れて
下に皿を敷く と書く」

違国日記1巻 p70〜72


と宣言する。
そして朝は「いっしょに帰る……」と涙ながらに返すのだ。

「盥」さすが小説家。
姉との会話を思い出すと動悸までするのに、そもそもひとりでいることが最も楽な人間なのに。
それでもその場から引き剥がすように朝を引き取ってしまう槙生。
大抵の人間は面倒ごとを避けたいと思う。
槙生だってそれはそう、けれど許せないことは許せないし、見過ごせないのだ。
可哀想だとか、そんな簡単な感情ではなく。
※実際、槙生は朝を養子にするわけでもないし、終盤にも「わたしは育ててない」とも言っている。

中学卒業を間近に控えた朝は、天真爛漫で槙生ともその姉実里とも全くタイプが違う。
そんな姪との不思議な共同生活が始まる。

槙生の作家仲間、高校からの数少ない友人、かつての恋人、死んでしまった姉、年老いた母親、朝の友人……これらの人それぞれに人生があり、悩み(例えば恋愛の在り方、男性社会の苦しさ、結婚について、性的少数派など)があることが丁寧に綴られている。
朝の無垢さと無知の怖さも時々感じる。
学ぶことの意味。

誰だって最初は無垢な赤ん坊だ。
見るもの、聞くもので人間は作られていく。その大切さ。

朝の母親、つまり槙生の姉、実里はかなり嫌な人間だ。
だが、そんな実里にもスポットを当てることで、ただの悪役にはしない。
こんな可哀想なことがあったんです、という落とし方ではなく。
彼女の心の闇が、苦しみが……実里だけではない、すべての登場人物の苦しみが、どこか自分の苦しみのように思えて、だからこそどの人物も捨ておけない感覚になる。

人と人とは分かり合えない。
それでも。

登場人物に様々な言語の吹き出しをつけているシーンがある。
実際に話しているわけではなく、これは比喩だ。
でも、すごく作品の言わんとするところを表しているシーンだと思う。


この作品、実写化されるらしい。
劇場には観に行かないかもしれないが、さて。
作品に込められた思いが伝わればいいのだけど。
そして映画からでもいい、この作品をひとりでも多くの人に知って、読んでもらえたらなぁと思う。

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