#198 これは私の主観です
ジェンダーアイデンティティが社会的地位の確立に値するかどうかという点において、パンセクシャルでXジェンダー当事者である私の答えはNOだ。
私は生来女性であるが、内面においては自身の女性性に対する執着やある種のプライドというものはなく、自分自身を女性とも男性とも特に定めていないし、わざわざ定める気もない。
恋愛対象においても、女性であるか男性であるかというのはどうでもよくて、ただ心から素敵だと思える付き合いたいということにしか興味がない。
では、だからといってこの私のセクシャリティに配慮された世界へ変わっていくべきかとは一切思わない。
例えば、私のことを誰かが第三者に紹介する際に「彼女は羽佐間ペルノという人で……」と言われて別に腹は立たない。世間的に見れば私は女性なんだし、そういう風に紹介されてしかるべきだと思う。
公的あるいは医療現場における各種資料を記入する際に「男か女」しか選べないことに不満を抱くこともない。だって、私たちは人間という名の生物であり、生物である以上は雄と雌の身体的特徴を有することからは逃れられないからだ。
身体的な特徴で分かれる以上、スポーツやプライベートな公共施設などはやはり男女で分かれなければ安全保持の観点からも、平等化の観点からも問題しかないと思う。
では、ジェンダーアイデンティティは公の場において黙殺されるべきなのかと問われれば、それはあまりに二元論過ぎる結論だと答える。
自身がどのような性自認や性的嗜好を持つかは本人の自由であり、それを選ぶ権利がある。そして、それを表明する自由も隠す自由もある。
結局のところ「自分がどういうセクシャリティであるか」というのは、あくまで自分の生き方に関する話でしかなく、主観の域を出ないと私は思うのだ。
どんな生き方をするかはその人の自由だ。
仕事第一でバリバリ働きしこたま金を稼ぐ人生を望むのも良い。「生涯の恋人1000人超え」を目標にあらゆる恋愛遊戯に耽溺するのも良い。好きな趣味に没頭し、稼ぎの全てをそこに注ぎ込む日々を送るのも良い。穏やかな郊外で密かにゆったりと暮らすのも良い。
それと変わらないのだ。
大事なのは「他人に迷惑をかけたり、他人の利益を損なうようなマネをするな」という幼稚園レベルの倫理観を持つことだけ。
シンプルな話だ。
結局のところ「差別されている」と言われることの大半を紐解くと、そこにあるのは社会的システムの問題なのではなく、ある種旧来文化的な堅苦しさへの不満でしかないのだろう。
男なのに魔法少女ものが好きなのはおかしいとか、女なのにスカートを履かないのはおかしいとか、そういうことはそもそも他人の好きなモノを貶める礼儀のなさを戒めるべきであって、社会システムへの不満に繋げるべきではないのだ。
じゃあ、なんでお前は自分のジェンダーアイデンティティを表明しているかって?
こういうワケの分からん人間でも、何となくいい感じに楽しく生きていけるって言っておいた方が、多分世界はちょっと良くなると思い込んでるだけだよ。