再会
※捉えようによってはグロく感じる部分がありますのでご注意ください。
空耳かと疑うくらいの年月が流れたことを、あの聞きなれた足音が知らせた。ドアが開けられる。見慣れた彼の顔だ。
「ただいま」
「おかえりなさい」
想像以上に静かな対面。彼は一つもバツの悪そうな顔を見せないが、手が震えているのは見ないでも分かった。言葉に窮した彼が、手に下げた紙袋を私に手渡す。
「これ……」
私はそれを受け取る。中身を覗くと、私が好きだったケーキ屋さんの箱が見えた。
「何年前のことだか……」
思わず笑ってしまう。彼はうつむいてしまった。室内へ促し、彼が靴を脱いで上がる。リビングに入ると、彼はため息を漏らした。
「何も変わってないな……」
「お陰様でね」
ケーキの箱を開ける、私の好きなモンブランと彼の好きなチョコレートケーキ、そしてショートケーキが1つ入っていた。
「ねぇ、これは? 」
「え、あいつ今家にいないのか?」
「手紙で言ったと思うけど……」
「……あぁ、そうなのか。すまん」
私はショートケーキをゴミ箱に捨てた。モンブランとチョコレートケーキを皿に盛りつけ、コーヒーをカップにいれた。それらをダイニングのテーブルまで運び、彼を座るように促した。
「捨てなくても良かったんじゃないか……? 」
「何のこと? 」
「いや……」
沈黙が流れ、コーヒーをすする音だけが響く。彼が初めてバツの悪そうな顔をした。ややあって彼が口を開く。
「遅くなってすまなかった」
「……どうして何の連絡もなかったの? 」
「すまない……まさかこんなことになるとは思ってなかったんだ」
「鞄、見せて」
促されるままに鞄を私に手渡してきた。仕事の時にいつも持って出ていた黒い鞄はところどころ綻びがあり、小さな穴もそこかしこに開いていた。中を開けると異臭がする。仕事用の書類は変色し、私が誕生日にあげたペンケースもボロボロだった。その中からあるものを手につかんだ。青い袋に入った弁当箱。異臭はそこからしていた。台所に持っていき、中を開けると弁当箱の底に付着した僅かな米粒や小さな食べ残しが腐敗し、そこから湧いたであろう虫の死骸が転がっていた。弁当箱をビニール袋に包んでからゴミ箱に投げ入れ、席に戻ると彼に言い放った。
「じゃあ、話してくれる?今までのこと。急を要するのは分かっているでしょう?」
彼は少し俯くと前へまっすぐ向き直った。
「あの日、僕は会社に向かっていた。いつも通りの発車時間に駅のホームに着いて、会社の最寄り駅で降りて、いつも通り直通シャトルバスに乗った……バスの中は珍しく僕一人だけだった。ふと、外を見たらいつもと様子がおかしかった。窓の外の景色が霞んでるんだ。いつまでたっても会社が見えない……バスが止まったんで降りてみたら、辺り一面霧に包まれてて、鼻の先すら分からないくらいだ。記憶を頼りに歩くけど、どれだけ歩いても会社に行きつかない。途方もない道のりだった……だけど歩いていくうちに不思議なことに僕は自分の家の前に立っていた。家の中では君が心配そうに歩き回りながらあちこちへ電話をかけているのが見えた。僕は窓を叩いてキミに存在を知らせようとしたが……まるで金魚鉢の中の金魚のようにコチラにはまるで気づいていなかった……」
「ウソよ」
「本当さ、今さらウソなんかついてどうするんだ……キミが玄関から出て、カヨの送り迎えする姿も見ていた。でも、どうやってもキミにもカヨにも気づいてもらえなかった。そのうち腹が減って、朝キミに作ってもらった弁当を少しづつ分けながら食べていった。いつも庭からキミたちを見ていた。そのうち、大きくなったカヨが僕がいないことについてキミに言及した。キミをたくさん責めていたね。今すぐそちらに行きたかったが、ベランダの窓を無理矢理開けようとしてもムダだった。僕は、家から出ていくカヨを止めることも出来ずにいた。変だと思わなかったかい?庭の花壇が一時期全然育たなくなっただろう?お腹を空かせた僕がずっと食べていたんだよ。キミの作る料理を想像しながら……ある時、キミが僕が花壇に作ったメッセージに気付いて手紙を出したね。すると僕は何かに吸い込まれるような……急激な眠気に襲われるような感覚に陥った。目を覚ますと、会社の前にいた。廃墟だった。来た道を戻った。いつも見た町で霧は晴れていたのに、まるで様子が違っていた。僕はこんなに歳を取っていて、町は荒廃していた。電車も動いていない。線路の上をずっと歩いて行ったよ。家の近くの駅だけかろうじて人の気配があったね。いつものケーキ屋でケーキを買うことが出来て嬉しかった。まるで誕生日みたいで……でも、家まで向かう途中の誰もいない家電屋のテレビがあのニュースを流していた……」
私は皿に置いたモンブランを見つめる。
「なんでこんなことになったのか……本当に分からないんだ。でも、とりあえず……と言っていいのか、家に戻ることが出来て良かった。でも」
モンブランをフォークで崩す私を見て彼が聞く。
「どこかの段階で僕を諦めて、忘れて他の男と幸せに過ごす選択もあったはずだ。どうしてキミはそうしなかったんだ?」
「そうね、呪縛でしょうね」
私は手も止めず、相手も見ずに続ける。
「カヨがそこの道路で轢かれて死んで、最初は私もそのことを考えたわ。でも、足が外に向かないの。最初は事故のせいかと思った。違うのよ、あなたのせいなのよ」
モンブランが平たくなったことに気づき、それにやっと口をつける気になった。口に含みながら私は続ける。彼の顔は、見えない。
「死んだのはカヨだけじゃなかったのね」
彼が微かに笑ったのが顔を見なくても分かる。
「あなたの務める会社……あなたが作った新薬……人の病を治すという意味ではその通りかもしれないけれど、皮肉なものね。あれは不老不死を叶える薬ってね、あちこちで報道された。確かに不老不死だわね……一度死んでしまえば二度も死ぬことないものね」
彼が捨て犬のように震えているのが見えた。かと思えば、嗚咽をあげて彼はテーブルに伏せた。
家の前を通過した宅配便のトラックに轢かれてカヨは死んだ。しかし、彼の務める会社から出た新薬の霧が同時に彼女に注がれた。彼女は体を引き裂かれた状態で生きていた。運転手は異常な事態に恐れおののいて逃げた。新薬の効能は人体の細胞の活動無限化、それは人体そのものが破損されても続いた。しかしそれは痛覚を鈍らせるというわけではなかった。カヨは痛みに悶え苦しみながらも生きていた。その光景から逃げたのは私だ。私は外の空気を吸うことも恐れた。その結果、おそらく地球上に私だけがあの霧を吸うことなく今日まで生きている。彼も霧は吸い込んだはずだが、何故か見た目こそ老けていないが、顔色が悪い。
「デメリットだよ」
彼がせき込みながら語る。
「細胞の老化は防げた。何故なら一度人間のすべての細胞を壊す……殺してしまうんだからね。そこから新しい、老化しない細胞が再生されるんだが、僕の場合内臓の一部だけがそうならなかった。初期のがんだったんだ。がんだけは殺せなかった……それがこの薬の最大の難点だった。病を治すことだけが出来ないんだ。それにもかかわらず、会社はそれを散布してしまった……開発した僕が一番の被害をこうむるなんて、君の言うとおり皮肉だよ」
彼は立ち上がって私に近づき、手を取った。
「君が望むようにしよう。僕はキミにどうしたらいい? 」
私も彼の手を取る。最後だものね、呪縛なんてそこらへんのナイフで切ってしまえばいいのよ。
了
書き終わっていたのに、アップするのをすっかり忘れていた作品を見つけたのでアップします。
SFのような、ファンタジーのような変な物語です。
2018年10月12日公開
<こちらはpixivより引っ越ししてきた作品です>