でんでらりゅーば!の歌詞の超訳解説
導入
前回、前々回でばってん少女隊の5thアルバム「九伝」に収録されている曲のなかで日本神話をモチーフにした二曲について解説をしました。
その後、同じく九伝に収録されている「でんでらりゅーば!」についてふと気づいたことあり、それを共有したいと思って記事にしました。
ばってん少女隊の5thアルバム「九伝」は”九州に伝わる伝説や伝承文化を、ダンスミュージックで紡ぐ音楽絵巻”として、日本神話をモチーフにした楽曲がいくつか収録されています。
以前解説した二曲もふくめ、公式から明示的に示されているだけでも三曲あります。
M2.it’s 舞 calling|天孫降臨伝説
M3.ureshiino|豊玉姫と不合命の伝説
M6.サニー・サイド・スリープオーバー|天岩戸伝説
また、七曲目の「あんたがたどこさ〜甘口しょうゆ仕立て〜.」のMVには、熊本県阿蘇市にある米塚という火山が出てきます。
この山も阿蘇神話と言われる阿蘇周辺の神話群のなかに由来が登場します。
全10曲中4曲が日本神話を題材にしているのはアイドルのアルバムとしては前代未聞の作品かと思います。
さらに。
明示されてはいませんが、あと1曲、いや2曲やはり日本神話をモチーフにしたと思われる楽曲があることに気づきました。
それが「でんでらりゅーば!」と「でんでらりゅーば!feat.Daoko」です。
「でんでらりゅーば!」は公式の楽曲紹介では”長崎の手遊び歌「でんでらりゅうば」をフィーチャーし”とだけあります。
ですが、この曲の歌詞には日本神話の黄泉返り伝説とオーバーラップするところが多く、これをモチーフとしているのでは?と思える部分が多くあります。
フリが長くなりましたが、
この記事では、ばってん少女隊の「でんでらりゅーば!」は日本神話の黄泉返り伝説と関連しているという妄想について解説していこうと思います。
でんでらりゅーば!の歌詞のイメージ
まず「でんでらりゅーば!」の歌詞を見ていこうと思います。

頭からサビが来て、ここが長崎手遊び歌「でんでらりゅうば」そのままとなってます。
「でんでらりゅうば」の歌詞の意味は諸説ありますが、
「出ていくことが出来るなら出ていくけれど、出ていくことが出来ないから、出て行けない」という意味だと言われます。
アルバムリリース時に追加された新remixバージョンの「でんでらりゅーば!feat.Daoko」には、作詞のDaokoさん自ら新しいverseを歌っています。
このverse部分にも「出て行けるならば出ていくけれど行けない行かない」とあるので、Daokoさんもそういう意味でこの手遊び歌を捉えているようです。
ただ、このサビだけでは曲の世界観は見えてきませんね。
一番の歌詞

一番を見て行きます。
結構抽象的な歌詞となっています。
現代的でパリピ感のある言葉ですが、男女の愛の歌詞であるようです。
女性の、愛する男性への想いの曲という感じがします。たぶん。
そして単純なラブソングというわけではなく
Aメロでは、「化け化け」・「怪奇的」という歌詞が怪しげな雰囲気を醸し出しています。
また「夜な夜な訪問」・「抜け出して」から、この二人は距離的に離れた状態にあるのかなと想像できます。
Bメロでも「化けてでるわたし」・「化けてでるこころ」とおどろおどろしさが増します。
ただ、ばってん少女隊のダンスミュージックらしい明るく楽しい部分もあって、「よいやー もてこい えんやこらさ しょもーやー」の部分は、長崎くんちというお祭りの掛け声になっています。
あらためて主軸は長崎モチーフの曲であると印象付けられますね。
しかし、ここまででは一番の歌詞とサビの関連性や連続性はあまり感じられません。
二番の歌詞

二番のAメロはのっけから「黄泉をこえてでも伝えたい」と妖しさと距離感が強調されます。
Bメロでは「鳥居の周り」と日本の伝統的なイメージを加えつつ、「アヤカシたち」・「傷物に会う」と抽象的な内容に終始します。
さらに、「痛々しい虎と馬のロンド」はトラウマの言葉遊びだと思いますが、ここからこの二人は複雑な状況にあることが見て取れます。
歌詞からのイメージ
このように、この曲の歌詞は抽象的なイメージが並びます。
特徴的なサビではありますが、その他の歌詞との関連がいまいち結びつきません。
逆に、そこがそれぞれ聞き手のイメージを膨らませているとも言えます。
こんな抽象的なイメージの歌詞ですが、日本神話の黄泉返り伝説との重なりを拾っていけば、より具体的な状況を把握出来るんじゃないかなと思っています。
黄泉返り伝説
では、日本神話の黄泉返り伝説の概要を解説します。
これはイザナギとイザナミという夫婦の神様の物語となります。
イザナギとイザナミといえば、日本列島を作った創造神であり、多くの神を生んだ祖神でもあります。
さらに、もうひとつ重要な役割を担っています。
それが「生と死」の始まりです。
以下、古事記の内容のざっとした概要となります。
”
イザナギとイザナミは夫婦で協力して日本を造り、そのあと多くの神を生みます。
しかし、最後に生んだのがヒノカグツチという火の神でした。
そのため母親であるイザナミは火傷を負って亡くなります。
これが「死」の始まりとなりました。
残されたイザナギは妻の死を受け入れられず黄泉の国に妻を迎えに行きます。
そこで妻に「一緒に黄泉を出て地上に戻ろう」と語りかけます。
それに対してイザナミは
「出ていくことが出来るなら行きたいけれど、私は黄泉の食べ物を食べてしまったので、もう出ていくことは出来ないから、一緒には行けない」と夫に答えます。
それでも引き下がらない夫に対して、イザナミは黄泉の主人と相談してくると言います。
その際に「待っている間、決してこちらを見ないでほしい」と告げます。
しかし、夫はイザナミの姿を覗いてしまいます。
その姿は亡者の姿となっており、生前の美しい姿から醜く変わってしまっていたため、驚き逃げ出します。
それに怒ったイザナミは、黄泉のアヤカシたちに夫を捕まえてくるようけしかけます。
なんとか逃げ切り地上に戻った夫は、黄泉と地上をつなぐ坂を大きな岩で塞いでしまいます。
最後にイザナミは夫を呪って「これから毎日地上の人間を千人呪い殺そう」と言います。
夫であるイザナギはそれに対して「では毎日千五百の産屋を建てよう」と応じます。
以来、地上と黄泉を行き来することは出来ず、亡者が地上に出て来ることもなくなりました。
そして、毎日多くの人が亡くなり、多くの子供が生まれて来る「生と死」の始まりとなりました。
”
以上が黄泉返り伝説です。
イザナギが黄泉に行って帰って来たから「黄泉返り」というわけです。
どうでしょう。
この物語と「でんでらりゅーば!」の歌詞で重なる部分が見えたでしょうか。
では、早速重なっている部分を見て行きたいと思います。
歌詞の中の黄泉返り伝説
「でんでらりゅーば!」の歌詞と黄泉返り伝説の重なる部分を見て行きましょう。
サビでの一致
まず、出落ち感がすごいですが、
サビの「でんでらりゅうば」の歌の意味が、
黄泉でのイザナミの台詞そのままなのです。
◼️「でんでらりゅうば」の歌の意味
「出ていくことが出来るなら出ていくけれど、出ていくことが出来ないから、出て行けない」
◼️黄泉の国でのイザナミの台詞
「出ていくことが出来るなら行きたいけれど(中略)出ていくことは出来ないから、一緒には行けない」
この見事な一致っぷりは、決して偶然とは言えないのではないかと思います。
その他の細かい一致点
◼️二番のAメロの「黄泉をこえてでも伝えたい」の歌詞。
はっきりと黄泉と言っており、黄泉返りの物語を知っていればピンとくるものがあります。
◼️「アヤカシたち」という歌詞、アヤカシは黄泉返り伝説でも登場し、イザナギを追ってきていました。
◼️「化けてでるわたし」の歌詞は、亡者の姿となったイザナミ側の視点と言えます。
◼️「ないものねだりなあなた」の歌詞は、黄泉まで来て一緒に帰ろうと駄々をこねるイザナギを、イザナミの視点で見ているのかもしれません。
◼️「鳥居の周りをぐるぐると」の歌詞ですが、通常鳥居はくぐるもので周るものではありません。
これは、イザナギとイザナミの物語のなかの次のエピソードに関わるかもしれません。
二人で国造りする前に、柱の前にお互い背中合わせに立って柱をぐるりを周って反対側で向かい合う。
そしてそこで出会いのやり直しとプロポーズをするというロマンチックなエピソードがあります。
この歌詞はそのエピソードを暗示しているのかもです。
◼️「やりかけのWorkは後でやろうよ」の歌詞は、神産みの途中でイザナミが亡くなってしまったことを暗示するのかもしれません。
ほかにも探せばありそうですが、
そのままでは謎の多い描写が、黄泉返り伝説をモチーフにしていると仮定すればすんなり受け入れられる部分が多くあります。
「でんでらりゅーば!」の歌詞が抽象的だと感じるのは、黄泉返り伝説を知らない状態であることに起因しており、逆にだからこそ謎めいて妖しいイメージを想起させるのを狙っているのかもしれません。
まとめ
上記のように「でんでらりゅーば!」と黄泉返り伝説は共通点が多く、それぞれこんな共通のイメージが見出せます。
距離のある二人が、それを越えて会いにいく。
会いに行くのは黄泉という妖しい世界。
生前の幸せな関係に思いを馳せながらも
そんな二人の関係はトラウマ的で
決して幸せな結末とは言えない。
さらに「でんでらりゅーば!」では、悲劇的な愛の中にも楽しさや幸せを見出そうとする女性の健気さと逞しさがあります。
それはDaokoさんの作詞によく見られる女性像でもあります。
長崎で手遊び歌モチーフにしながらも、Daokoさんらしい女性像と日本神話の世界を見事マッチさせた奥の深い歌詞になっているのではないでしょうか。
そしてOiSaの妖しい世界観と九州愛を引き継ぐ、ばってん少女隊にしか出来ない曲になっているんだなぁと改めて感じました。
以上、「でんでらりゅーば!」は日本神話の黄泉返り伝説をモチーフにしているという考察・解説でした。
これを思いついたのは、「でんでらりゅーば!feat.Daoko」のverseに「アメノウズメみたいなバイブス」という歌詞があったからです。
アメノウズメも日本神話に出てくる女神で、it’s 舞 callingの天孫降臨伝説と、サニー・サイド・スリープオーバーの天岩戸伝説に登場します。
わざわざ女神の名前を入れたということは「でんでらりゅーば!」もまた日本神話のなにかをモチーフにしているのでは、と考えたからです。
ここまでの一致があるので、もしかしたらどこかでDaokoさん、もしくはディレクターの杉本さん、メンバーの誰かがすでに語っていることかもしれません。
そうなら、どこでどんなことを言っていたかご存知の方は教えてください。
いつかどこかで答え合わせができる機会がほしいな、と願っています。
蛇足
蛇足です。
イザナミのその後と「でんでらりゅーば!feat.Daoko」の曲順
イザナギ(伊邪那岐神)とイザナミ(伊邪那美神)は、日本に土地がない時期に生まれて、土地を造った神様なので、日本神話のなかでももっとも早い時期に登場する人物となります。
黄泉から帰ってきたイザナギは、黄泉の穢れを落とすために禊をします。
禊のなかでまた多くの神が生まれますが、最後に顔を洗った際にアマテラス・ツクヨミ・スサノオの三貴柱と言われる神様たちが誕生します。
とくにアマテラスは太陽神であり日本神話の最高神となります。
そして、「九伝」の六曲目のサニー・サイド・スリープオーバーの主人公で、二曲目のit’s 舞 callingの主人公のニニギの祖母となり、三曲目の主人公のアエズの祖先にあたります。
「でんでらりゅーば!feat.Daoko」はアルバムの最後の曲になりますが、ループで聴いた場合に全曲の頭にくる曲となります。
イザナギとイザナミという日本神話の始まり物語の曲が、それ以降の曲の起点となっていているのはニクイ仕掛けですね。
亡者姿のイザナミ
黄泉の世界でイザナミは亡者の姿となっています。
古事記ではその姿が詳細に記述されています。
美しいものが醜くなる描写のショッキングさを古代の人も感じていたんですかね。
その描写で体の各所に雷の神様が宿っているという描写があります。
女性と雷の関連に関しては柳田國男が「妹の力」の「雷神信仰の変遷」で語っている…そうです。読んでない。
ほかにも雷のことを「稲妻」と言いますね。
稲穂が身をつけるのが雷の季節のあとだからというのが由来らしいですが、女性と雷を結びつける精神世界が昔の日本にはあったんですかね。
黄泉のアヤカシ
イザナミの亡者の姿を見て逃げ出したイザナギを追わせるために呼び出したアヤカシの名前をヨモツシコメと言います。黄泉醜女…女性なんですね。
逃げる際にイザナギは身につけていた装飾品を後ろに投げ、するとそれが山葡萄やたけのこに変わり、ヨモツシコメがそれを食べている間に逃げおおせましたそうです。
なんだか昔話の「三枚の御札」にそっくりですね。
こういうパターンの物語は呪的逃走譚と言われて世界中に同じパターンの物語があるそうです。
女性を追ってやって来て、女性に追われて、女性に呪われる。
イザナギは日本最古のスケコマシ(古い)ですね。
地上と黄泉の境目
イザナギが地上まで逃げ切ったとき、地上と黄泉の間の坂に大きな岩を置いて塞いでしまいます。
この坂をヨモツヒラサカ(黄泉比良坂)と言い、伝承ではいまの島根県松江市にあったと言われます。
この曲を日本神話モチーフであると宣伝しなかったのは、黄泉返り伝説のゆかりの地が九州になかったからということも考えられるなぁと思ってます。
それに「でんでらりゅうば」をモチーフにして、そのうえで日本神話も加えると情報量が多くてお腹いっぱいになっちゃうってのもあるかも。
しかし、大きな岩で塞いだり(天岩戸伝説)、覗かないでと言われたのに覗いたり(豊玉姫伝説)、全部この人の遺伝なんですかね。
なぜアメノウズメなのか
「でんでらりゅーば!feat.Daoko」にアメノウズメという女神の名前が出て来ます。
なぜアメノウズメだったのか?
アメノウズメは天岩戸伝説で、アマテラスを岩戸から出て来てもらうため舞を奉納した神様で、舞い踊るイメージががばってん少女隊というアイドルに重なるためというのが主な理由かと思います。
また、アメノウズメは、天岩戸伝説と天孫降臨伝説ともに登場する女神です。
九伝で日本神話をモチーフとされる曲の中の二曲に登場していて、アルバム全体を通した狂言回し的な役割があるから、という理由もあるかも。
ここからはめっちゃあやふやですが。
昔の天皇に仕える人に、亡くなった直後の天皇の側にいてそのお世話をする役職があったそうです。
天皇は死後、再び生き返ってくる期間があると信じられ、その期間中お世話をする役職というわけです。
そしてその役職はある家系の人が担当し、その家系は女系だったそうです。
また、その家系の由来は猿女君という人物で、それはアメノウズメの別名です。
アメノウズメが登場する天岩戸伝説はアマテラスが岩戸に隠れてしまって世界が真っ暗になるお話ですが、これはアマテラスが亡くなってしまったことを示しているとも考えられます。
そこでアメノウズメが舞を奉納して蘇った。天岩戸伝説はアマテラスの黄泉返りのエピソードでもあるわけです。
黄泉返りの曲を外から傍観する人物としてアメノウズメはまさにうってつけですね。
なお、上記の家系の人は稗田という姓を名乗ったそうです。
古事記の記述に尽力した人物に稗田阿礼がいます。
ほとんど情報のない人物ですが、宮廷に使える舎人(役職・神職)であったと言われています。
柳田國男はこの人物を女性であったと考えていたようです。