ureshiinoの歌詞の超訳解説


導入

ここではばってん少女隊の2024/03/22リリースのureshiinoの歌詞について、私見と偏見と知識不足を土台に解説を入れていきます。
超訳とは「解釈に飛躍がある」「トンデモ」という意味で決して”すごい”わけじゃないです。

ばってん少女隊『ureshiino』-Lyric Video-

まずは、ureshiinoの歌詞がこちら。

ureshiinoの歌詞

まず手始めに、この歌詞を表面的に1パートごとになぞって要約してみます


都会に疲れた人が、都会を去る。
行先は過去訪れたことがある場所、もしくは故郷である。
傷ついた自分に手を差し伸べてくれる人と出会えたことの比喩としてのなまずとお姫様のエピソード。
一番サビ:新しく出会った人との日々の喜びの表現。

見られたくない秘密を見られてしまったのが原因と語られる。
去った都会に未練もあり、それが浮かんでしまう。
でも秘密を知られ去ってしまったから、もう会うことはできない。
二番サビ:代わりとなる新しい人との日々が日常となっていく。

上記のように表面的には、傷ついた人が新しいパートナーを得て再生する物語と受け取ることができます。
さらに深読みすると、都会と地元の対象構図になっていて、都会からUターンもしくはIターンして幸せになるといった、地元に根ざした活動をするばってん少女隊にピッタリな歌詞だなって思います。

しかし、途中の”とよたまの姫さま”、”大なまず”という言葉には説明がなく、そのままだと解釈に難儀します。
作詞作曲のKBSNKさんも「嬉野温泉のなまず様のお話を見つけて、これだ!と思いました。豊玉姫やアエズの物語を中心に、いつの時も共通した感情を描きました。」※と言っていて、”なまず”、”豊玉姫”、”アエズ”がこの歌詞を紐解く重要なキーワードであり、テーマだと分かります。

※ https://battengirls.com/contents/727246

そこで、”なまず”、”豊玉姫”、”アエズ”のキーワードで歌詞を読み解いてみよう!というのがこの記事の趣旨となります。

以降、3つのキーワードについてそれぞれ考えていきます。

豊玉姫について

最初は”豊玉姫”です。

古事記における豊玉姫について

豊玉姫は古事記の登場する女神となります。
豊玉姫に関わる必要最低限な古事記の触りをまとめます。

古事記は天皇家の血筋の正当性を示す物語が多く収録されています。
その最たるものが天孫降臨から初代天皇神武天皇までの物語です。
その中で豊玉姫は登場します。

天孫降臨とは、主神たる天照大神が自分の孫の瓊瓊杵命(ににぎのみこと)に、高天原を降り葦原中つ国(いま私達が暮らす世界)を治めるように命じ、そこに降り立つまでの物語です。
詳細は割愛します。

その瓊瓊杵命の子にホデリとホオリ、通称海幸彦と山幸彦が生まれます。
海幸彦と山幸彦は互いの道具を交換したのですが、山幸彦は海幸彦の釣針をなくしてしまい、困り果ててしまいます。
困った末、海の神の宮殿に行き、海の神の娘と結婚し、無くした釣針と宝を持って地上に帰り、海幸彦を懲らしめます。

この海の神の娘こそが豊玉姫となります。

今度は豊玉姫にスポットを当てて物語を見ていきます。

山幸彦と出会って結婚した豊玉姫は子を授かります。
出産に際して豊玉姫は夫に「出産しているところを決して覗かないように」と伝えます。
しかし、山幸彦は覗いてしまいます。
すると、豊玉姫は大きな和邇(ワニ)の姿となっていました。
姫は「秘密を知られたからには一緒に暮らすことは出来ない」と夫と子供を地上に残して海に帰ってしまいます。

以上が豊玉姫の物語となります。

歌詞の中の豊玉姫

ureshiinoの歌詞では、「ちょっと旅に出ます 探さないでね」「見られたくないもの 誰でもあるの」と、一番と二番それぞれの出だし2パートはこの豊玉姫のエピソードがベースにあると考えられます。
夫に秘密を知られてしまい、子供を残して実家に戻らざるを得ない母親としての目線です。
二番の「私の居ない街が 浮かんで 泣けてくるよな」とは、とくに残した子供への未練の想いなんでしょうか。

ureshiinoの歌詞の出だしはこのように豊玉姫の目線で書かれていて、
豊玉姫を知っていると、傷付いた人物の具体的なイメージができるようになるかもしれません。

※豊玉姫についての補足いろいろ
豊玉姫の補足や色々調べているなかで得た根拠のない妄想をページ下部に書き留めておきました。
読まなくても全然問題ないし、読んで得られるものもないと思いますが興味あれば。
豊玉姫についての補足いろいろ

豊玉姫となまずについて

次に”なまず”ついて見ていきます。

遣いとしてのなまず

唐突に出てくるなまずですが、豊玉姫の遣いがなまずと言われています。

楽曲のテーマとされる佐賀の豊玉姫神社には鯰神社や手水場に白い陶磁器(白磁ですね)のなまずがそえられています。
さらに嬉野にはこんな逸話が残っています。

豊玉姫は、嬉野村の池で六尺もの大なまずが汚れて傷つき苦しんでいるのを見て、川辺に湧き出るお湯をかけてやった。
すると、なまずは白く、きれいな肌になって元気になった。
以来、これに感謝した大なまずは姫の「お使い」となり、国に大難が起こりそうになると、池から顔を出して人々に神託を告げたという。

といわけで、歌詞になまずが出てくる理由の上記の説話がベースになっているわけです。
都会で傷付いた人と、この傷付いたなまずの説話をオーバラップさせているわけです。

ただ折角なのでもう少し深読みしてみようかと思います。

御存知の通り嬉野は温泉で有名です。
温泉には肌の悩みも持つ人が多く訪れます。
実際アトピーや傷跡に悩む人には温泉は効果的だったでしょう。
豊玉姫は美の女神とも知られ美しい肌をもつとされます。
肌の悩みをもつ人たちから豊玉姫神社には多くの信仰が集まったでしょう。

なかでも尋常性白斑という病気があります。
肌の一部の色素が抜けて白くなる病気で古くから現代まである難病です。
原因がはっきりせず自然回復が期待できない病気で、見た目に関わることから、特に昔の女性にとっては重大な病気と言えます。
この白斑、昔一部地域では「白なまず」と言われていました。

この白斑に悩む人達も嬉野温泉を訪れ、豊玉姫神社に縋り、なんらかの救いを得た。「傷付いて苦しむ大なまずに 姫様は手を差し伸べて」はそんな状況を示しているのではないかと考えました。
この曲でぼくが一番好きな歌詞が「白磁のような」という部分です。
白くて美しいという視覚だけでなく滑らかな手触りといった触覚まで刺激される歌詞であると同時に、嬉野市が焼き物でも有名であるといった側面、さらに白斑などの肌の悩みを持つ人への苦悩までも一言で表したすごい歌詞だな、と思っています。

!注意!
尋常性白斑は現在でも苦しむ人の多い病気です。
またその特性から差別や心無い対応に傷付いている人も多い筈です。
本来は、こんな適当でいい加減で公証もない記事で面白おかしく取り上げていい病気ではありません。
この記事の外で、この病気について軽々しく言及するのは厳に謹んでください。

歌詞の中のなまずについて

つまり一番の3パート目「昔 傷付いて 苦しむ大なまずに…」は、肌の悩みを抱える人の豊玉姫への祈りがテーマで、ここから視点がなまずに移っているのです。

続けて一番のサビは「いつまでも守りたい そんなことを 思っていたら 遣いとなったそうな」という歌詞からも、この部分はなまずのことを歌っていると分かります。

※なまずについての補足やいろいろ
同様になまずのことを調べて知ったいろいろのメモもページ下部に残しておきました。読まなくても大丈夫です。
なまずについての補足やいろいろ

アエズについて

最後に”アエズ”です。

古事記の不合命について

古事記の豊玉姫が地上に残した子、その名を不合命(あえずのみこと)と言います。
”アエズ”とは豊玉姫の子どものことです。
古事記における不合命の物語がもう一つの重要なエピソードとなっています。以下、同様に古事記の触りです。豊玉姫の続きのエピソードとなります。

夫に自分の秘密を知られ、地上を去った豊玉姫ですが、その子供の不合命のことが気がかりでした。
そのため自分の妹である玉依姫を乳母として寄越します。
やがて不合命は、母の面影のある玉依姫に想いを寄せ、ついに結婚することになります。
そして四人の子供をもうけ、その末っ子が後の神武天皇、初代天皇となりました。

以上が簡単ですが不合命の物語となります。

歌詞のなかのアエズ

ureshiinoの歌詞を見てみましょう。

二番の3パート目の「秘密を知られちゃって 水中へ逃げ込んだ」は豊玉姫のこと表現していますが、視点は誰のものでしょうか。
続く「とよたまの姫さまに もうあえずに」と豊玉姫を客観的に見ているので、1,2パートとは違って豊玉姫の視点ではないことが分かります。

一番の同様の箇所ではなまずに視点が移動したのと同じく、ここでも視点移動が起きます。
誰の視点なのかは歌詞に答えがあります。
「もうあえず」…”アエズ”に視点が移動しているのです。

さらに二番のサビを見ると、「寂しくて 寝れない夜も」とあり、去ってしまった母親への想いが伺えます。

そして更に展開があります。「代わりにそばにいてくれた…たましいの君と」。
古事記の物語を知っていれば、これが玉依姫のことだとすぐに分かりますね。
ご丁寧に「”たま”しいの君」となっているのニクイですね。

この短いパートで急にアエズの登場とその慕情、さらに玉依姫との出会い。
そして、最後に結ばれた二人の姿が「帰り道」という表現で日常となったところまで描く、異常に密度の高い歌詞となっています。

蛇足ですが、玉依姫ってやっぱり玉井詩織さん、しおりんをイメージしちゃいますね。
愛ちゃんときいなさんは共に事務所入所前からのももクロファンでしおりん推しなんですよね。
ここらへんの物語を抑えてるんだとしたら、歌詞に込める想いもひとしおかもしれませんね。

最後に

さて、以上がureshiinoの歌詞の超訳解説となります。

異論も反論も認めるし、歓迎しまーーす!

ただ、たった四分に満たない楽曲の短い歌詞に、豊玉姫の悲劇から、肌の悩みに苦しむ人々への想い、一人残された子供の母への慕情と寂寥、それを乗り越えた先の出会い、そしてそれが日常になるまでを描いた壮大なエピソードが詰まりに詰まったのが、このureshiinoの歌詞!
…と考えると、マジですごない?となっているわけです。

とくに、短いながら豊玉姫>なまず。豊玉姫>アエズと視点の移動が多い、複雑な仕掛けのある歌詞となっています。
すごいんですよ。

また「とよたま」「あえず」「たましい」と言った古事記の登場人物を指すだろう歌詞をあえて平仮名にしているのも面白いと思います。
「うれしいの」が平仮名なのも、「嬉しい」という感情にも「嬉野」と地名にも取れるようにしてあるんじゃないかと思いました。
ほかにも「わたし」「きみ」といった人称が平仮名な点や、「姫様」と「姫さま」と表記が揺れている点にも想いや仕掛けがありそうですね。

二番のサビ、みゆちゃんの落ちサビ部分だけ歌詞ではカギ括弧が付けられており、セリフとして扱われているのかな?という点も面白いし、みゆちゃんの歌い方がシンクロしててライブで聴いててゾクゾクします。

二番のサビだけカギ括弧が

当然、全然見当違い、解釈違いがある筈ですが、違いが分かったらそれはそれでまた妄想しがいがありますね。

ただ少なくとも、今回古事記の豊玉姫のエピソードを把握したことで、この歌詞の根底に流れるテーマを少し嗅ぐことができるようになって、ライブで聴いたらまたグッとくるんじゃないかと思ってます。

ばってん少女隊の他の楽曲も、歌詞やMV、衣装含めて掘ってみるとなかなか深いテーマが多いので、是非みなさんも気付いたことあれば…別途noteやツイッターに流してください、勝手に読みに行って一人で感動します。

ありがとうございました!


備考とか

豊玉姫についての補足いろいろ

異類婚姻譚
豊玉姫の正体は人ではなかったのですが、人と人でないものの結婚は異類婚姻譚と呼ばれる世界各地の神話によく見られるパターンです。
特に日本では、異界と交わると特別な力や幸を得るという考え方があり、人でないものと交わった結果生まれた子は特別な力があるとし、このあとに連なる天皇家の血筋への補強の物語と言えるのかもしれません。
ばってん少女隊の最近の楽曲でも、OiSa、わた恋、YOIMIYA、でんでらりゅーば!と異類婚姻譚がテーマとなっている歌詞やMVが多く見られます。
楽曲を跨った大きな世界設定があるのではと空想が捗ります。

豊玉姫はアフロディーテ
豊玉姫は綿津見大神という海の神様の娘です。
またとても美しいとされ美の女神でもあります。
ギリシア神話と日本神話には類似点が多いと言われますが、ギリシア神話の美の女神アフロディーテもまた海の神ポセイドンから生まれています。
こういった類似性を見つけるとワクワクしますね。

豊玉姫は乙姫様
山幸彦は海の神の宮殿に三年もの間逗留していたとされます。
楽しかったが、故郷が恋しくなり、可哀想に思った豊玉姫が、探していた釣針と宝を持たせ地上に帰したとあります。
この一連の流れがおとぎ話「浦島太郎」に似ていることから、山幸彦と豊玉姫のエピソードが「浦島太郎」のモデルになったと言われ、豊玉姫は乙姫様だ、と言われることがあります。

和邇(ワニ)について
豊玉姫の正体が和邇であったというところについて。
古事記が書かれた時代には現代の意味としての大型爬虫類のワニはいませんでした。
古事記では因幡の白兎の由来となった『稻羽之素菟』なども和邇が度々登場するのですが、共通して海の中にいる大きな生き物というイメージがあります。
古語としてはサメを意味することもある言葉ですが、日本書紀の本文で「龍」となっている部分もあることから、豊玉姫の正体は「龍」であったと、ぼくは想像しています。
長崎くんちの蛇踊りの龍がイメージにぴったりで、でんでらりゅーば!との関連も出来て空想が捗るからです。

山幸彦と海幸彦
二人は兄弟ですが、仲違いをし最終的には、海幸彦は山幸彦に懲らしめられてしまいます。
一見ただの兄弟喧嘩に思えますが、海幸彦は当時いた海洋異民族の比喩であり、別の海洋民族の助けを借りてそれを征服した歴史を表していると言われるそうです。
その海幸彦は薩摩周辺、いまの鹿児島県の西部に居住していた隼人と呼ばれる民族を示唆していると言われ、この物語は九州南部から西部のものであったと言われています。
九州は神話の地なんですね。ロマンがあります。

嬉野以外の豊玉姫神社
佐賀県以外にも豊玉姫を祀った神社はあります。

九州だと長崎と鹿児島に目立ちます。
鹿児島の知覧町川辺郡には豊玉姫陵というお墓もあります。
この辺りは温泉がある点も面白いですね。

東北や関東にもチラホラあるのですが、九州以外で目立つのは瀬戸内海の豊島辺りの島に多く見られます。
瀬戸内海の豊玉姫神社には「玉比咩神社」「豊玉依神社」はなどの玉依姫寄りの表記ゆれがあるのが面白い点です。
瀬戸内海といえば厳島神社ですが、その語源は宗像三女神の末の妹 市杵島姫がここに嫁入りしたため(いちきしま > いつくしま)という説があります。
もしかしたら玉依姫も九州からこの地方に嫁入りしたのかもしれません。


なまずについての補足やいろいろ

なまずの語源
なまずの語源は「ナマ=なめらか」+「ズ=頭」で「滑らかで大きな頭を持つ魚」とされます。
また漢字の「鯰」ですが、「念」は中国では「ヌルヌルする」というニュアンスがあり、日本語同様に「滑らかな魚」という意味があります。
さて、少なくとも中国と日本の広い地域でナマズに対するパブリック・イメージは「滑らか」だったと言えます。
それがスベスベの肌のイメージと結びつき、肌の悩みを抱える人が多く訪れる地域で神聖視されるようになったのは想像に難く有りませんね。
蛇足の蛇足ですが、なまずの英語名「キャットフィッシュ(cat-fish)」は猫のようなヒゲを持つことを由来とする説があります。uresihiinoの振付が猫っぽいと思うのはやむを得ないですね。

九州各地のなまず伝説
嬉野以外にも九州にはなまずを祀った神社であったり、なまずの伝説が残っています。

阿蘇神社北の国造神社の鯰社
阿蘇山のカルデラが大きな湖だった頃、健磐龍命(たけいわたつのみこと)がカルデラを蹴破って水を外に流そうとしたが大鯰が水を堰き止めてしまった。命が頼むと鯰は去り、感謝した住人が社を建立した。
この社が阿蘇神社の北にある国造神社の境内にある。
別のバリエーションでは鯰をバラバラにしてしまったという結末もある。
このとき鯰が流れ付いたのが、いまの鹿児島県嘉島町鯰。
鯰を6つの籠に入れて運んだため、その地域には六嘉(六荷)という地名が今でも残っている。

なお、この神様は、豊玉姫の孫である神武天皇の孫と言われ、豊玉姫の子孫というところも面白いです。
また、勝手な牽強付会ですが、豊玉姫のなまずが六尺だったのと六個の籠に分けたのは何かの関連があるのではと深読みしてます。

福岡県早良区の賀茂神社
福岡県早良区の賀茂神社にはこんな伝説が残っている。
昔飢饉の際、この賀茂神社の氏子の村人が集まり親神の京都の賀茂御祖神社まで助けを求めた。
賀茂御祖神社で村人が祈祷すると夢にお告げがあった。
曰く「村近くの川に大鯰がいる。その鯰に助けを求めなさい」と。
村に帰って早速川で祈祷すると鯰が現れて「鯰を食べない」「川を汚さない」を条件に飢饉を救ってくれた。
その感謝を忘れないため社を建てた。

賀茂御祖神社の祭神の一人が玉依姫。豊玉姫の妹なんですね。これも深読みしちゃいますね。
早良区の加茂は七隈線に駅がありますね。いまのとこ一番アクセスの良い鯰スポット。

福岡県みやま市の七霊(しちろう)の滝
福岡県みやま市にある滝で、平家の生き残りの七人の女官が最後にこの滝に身を投げた。
亡くなった女官は源氏を恨んでなまずに化身した言われる。
そのため、この辺りの集落ではなまずを食べない風習がある。

古事記との関わりもない毛色の違った伝説だけど、こっちも女性が関わってるのが気になる。
なまずには女性的なイメージがあったのかもしれないですね。
ここは熊本県との県境ですね。近くには平家の一本桜というのもあり平家落ち武者伝説が盛んみたい。

◯淀姫命伝説について
九州の北部、長崎から佐賀にかけて淀姫神社や淀姫命伝説が残っています
淀姫は古事記、日本書紀には登場しない人物ですが、各地の言い伝えでは神功皇后(実在したと思われる多くの異民族を征服した女傑)の妹だと言われています。
特に以下の民話が興味深い。

カナウ(大きな蛇)という魔物がすむ川で漁していたところ、カナウに襲われたが、大なまずに救われた。
以来、その地域ではなまずを食べなくなった。
また、その地域ではなまずは淀姫の遣いであると言われる。
淀姫は不思議な宝の玉で竜宮城へ行ったが、そのとき背中にのせて運んだのが大なまずだった、と。

天皇の母親の妹で、なまずを遣いとし、竜宮伝説にも関連付けられる謎の女性…豊玉姫のモデルは神功皇后、もしくはその妹の淀姫だったのかもしれません。

なぜ豊玉姫の遣いがなまずなのか
これは調べたけど分かりませんでした。神様とその遣いの関係って俗説ばっかなイメージですね。
好きな俗説だと。
八幡宮の遣いは鳩。これは八幡様はエルサレムから渡来したユダヤ人が開いた神社で祭神はユダヤ教のヤハウェである。そのため旧約聖書のノアの方舟の鳩を遣いとしている。
稲荷様の遣いは狐。日本では荼枳尼天が稲荷信仰と混同されて同一視されて、インドのダーキニーが山犬を使うことから狐を遣いとしている。

ただ美の女神の豊玉姫は肌も美しいから、滑らかなイメージをもつなまずと結びついたのは自然なのかな、と想像している。
もしかしたら当時の温泉地のキャンペーンの一環で付けられたのが由来かもしれないなぁ、とか。

なまずと地震の関係
これも語るには知識不足が過ぎる。沼でした。
なまずと地震のイメージが日本に定着した決定打は江戸時代、安政の大地震の後、江戸を中心に大量に出版された「鯰絵」らしいです。とくに武甕槌大神が要石で大鯰を押さえつける構図に人気があったみたいです。
ただ、なぜこのときのなまずが採用されたのかはハッキリしません。
きっと、それより以前から日本では「なまず=地震」というパブリック・イメージがあったと思われます。
平安時代の今昔物語でも鯰になった父を食って死んだ男の話というものがあって、倒壊した家の屋根からなまずが出てきたというエピソードがあり、地震との関連を想起させますね。
でも、その由来はなんだったのか…世界的に見て地震となまずを結びつけるのは日本くらいなんですよね。
地震が多い国だからというのもあるんでしょうけど。

ここからはただの想像ですが、日本列島を大きな動物が支えているという考えが昔からあったそうです。
うしおととらでは九尾の狐が支えていましたね。
海の大きな生き物といえばクジラですね。
クジラも鱗がないスベスベな魚(哺乳類であっても当時の認識では)ですが、その姿となまずを関連付けたということもあるかもしれません。
なお、アイヌ語でなまずをモシリ・イクテウェ・チェップといい、その意味は背中で大地をささえる魚、ということみたいです。

ちなみに鯰絵のなかには肌の病気の快復祈願を祈ったものもあったようです。曖昧。

・なまずを食べない類型
豊玉姫、淀姫、平家の女官、阿蘇山の大鯰など理由はそれぞれ違っても、九州各地に「以来、なまずを食べなくなった」と結ぶお話が多い。
なまず食は平安時代の今昔物語見られ、江戸時代では料亭でも出されていたので、日本全体を見れば一般的に食べられていた食材となる。
埼玉などの関東地方、岐阜県、東北地方などの地方では積極的になまずを食べる風習が昔からあった。
では何故九州では広くなまず食を禁忌とするのか…謎ですね。

九州各地でたまたまなまずに関する出来事がそれぞれ発生した結果なのか?
もしかしたら九州広くでなまずを食べてはならない状況があって、それに対して理由付けの説話が設けられたのか?
謎。

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