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アナログと、デジタルと、コミュ障


女性を前にすると緊張する。でも、彼女が欲しい。
なので、それを何とかしたくて風俗へ行った男です。
乱暴に短く書くと、私は若い頃、こんな感じの男でした。

○ 目次

・ 男性勝ち組コミュ症の、ぼんやりした形
・ アナログとデジタル
・ 男性コミュ障は、デジタルに偏っている?
・ アナログをアナログで返せるか?

文字数 約7、700文字


● 男性勝ち組コミュ症の、ぼんやりした形


以下は、私の空想というか、妄想というか、推測というか、そんな話なのですが……

女性の方は、よくわかりませんが(女心はよくわからない)、ネットをぼんやり見ていると、男性のコミュ障には、勝ち組コミュ障と、負け組コミュ障とが、いる気がします。

「 ……なんだよそれ」といわれそうですね。

そもそも、コミュ障の定義というのも、ぼんやりとしていて、人によって違うものみたいなので、これからの文章も、話半分で読んで欲しいのですけれど…… 


コミュ障の定義の方は、私には荷が重いので、コミュ障そのものではなくて、当事者がどう思っているのか? 考えているのか? を考えてみましょうか。

とりあえず、「当人がコミュニケーション能力の無さや少なさで、対人関係で苦しんでいる。そういう自覚がある。あるいは、自分の対人関係の問題の原因は、それだと思っている」と考えていると、この記事ではしましょうか。対人関係で問題が起きがちで、「それは自分の能力不足が原因だ」と思いがちな人というか、そう決めつけている人というか。もちろん、本当に当人に原因がある場合もあるのでしょうけれど。なので、コミュ障を自称する当人が、対人関係で問題が起きたとき、その原因は自分のコミュニケーション能力にある、と思っている。

コミュニケーション能力の無い、あるいは少ない勝ち組男性。ここでは、男性勝ち組コミュ障は、高学歴で、社会的地位の高い仕事や、有名な企業で仕事をしている人たちで、さらに、対人関係に問題を抱えている人、としましょうか。

私には、そういった人たちが、ネットでは、とても目立つ気がします。


その勝ち組コミュ障ですが、外資系企業やIT企業で働いていたり、クリエイティブ業界にも、多くおられる感じがします。ネットで、(良くも悪くも)有名になったりする人が多いですね。

個人的に、これが気になってたんですね。なぜ彼らの発言は、ネットで目立つのか? (いえ、私がそう思ってるだけですよ)

単に、私もコミュ障だから、そういう人たちのネットの投稿が、自然と目に入るのだ、と思っていました。ですが、どうも、それだけとは思えない。で、じぃぃっと、彼らのブログの記事や、ツイートを見ていたわけです。( ……キモいですね)。

で、思いました。断定的な言葉を使う人が多い気がする、と。

文章の書き方本によると、「〜と思う。」というような書き方は、やめなさい、とありました。ひょっとしたら、彼らは、そういったルールにのっとった書き方をしているから、自然と目立つのかな? と思いましたが(こういう書き方が良くない?)、にしても…… なにか、それだけはない気がします。

あと、彼らは極端な意見が多いですね。

俗にいう炎上商法というものがあって、攻撃的な発言などで、感情的にさせて、相手をコントロールしようとするものですが、そういう人たちも、極端な意見をいいがちです。でも、男性勝ち組コミュ症の人たちの投稿がネットで炎上する場合、意図的な感じが、あまりしないんですね。相手をコントロールしようと思っているのではなくて、思ったことや、考えたことを投稿したら炎上した、みたいな。

もしかしたら、計算で炎上させているのかもしれませんが…… なんか違う気がするんですね。気がするって、だけですけど。それで、ですね。その人の投稿文の内容が、多くの場合、本人の実体験によるものではなくて、ネットの記事とか、本とか、論文とか、そういったものが、ほとんどなんですよね。たとえば、ちゃんとした科学的な論文なのだけれど、それを知らない人が読むと嫌な気持ちになる内容の記事を平気で投稿する、みたいな、っていったら、伝わるでしょうか? だから、仮に炎上しても、なんで炎上したのか、よくわかっていない、みたいな。

彼らは、言語能力が優れていたり、数字やプログラムに強い、という印象です。だから、高学歴なのか、高学歴だからそうなったのかは、わかりませんけれど。

そして、彼らは恋愛やナンパ、あるいは人間関係など、理屈や理論で入ることが多いみたい。ネットや本に書いてあることを、そのままやって、結果を出す。それが、短期間の関係なら、なんとかこなせられるけれど、特定の相手と長期的な関係を続けるとなると、「想定外の事態」になるのか、うまくいかないことが多いように見えます。

結果さえ出していれば、人間性は問われない。そんな業界や組織なら、スピード出世するのでしょうけれど…… みたいなタイプといいますか。

私がここでいう、男性の勝ち組コミュ障っていうものが、なんとなく伝わったでしょうか? 

男性負け組コミュ障は、まだうまく言葉にできないのですが、私の考える、男性勝ち組コミュ障については、なんとなく言葉にすると、こんな感じです。ふんわりとしていますが、伝わったでしょうか? まあ、すべては、「私は〜と思う」、つまり、推測なんですけどね。


抽象的なことに強い。そして、ちょっといい方は悪いですが、その結果として、言葉やデータを使って、他人を感情的にしまうことが多い。

こういった人達って、ネットが発達する前からいたのですが、ネットでは、そういった人が目立つというか、可視化されやすいので…… というよりも、そういう人とネットって、相性がとてもよいような気がします。

ネットというか、デジタルというか。そういった、0か1か、というものと、相性がとてもよい。そんな気がするんですよね。


○ アナログとデジタル


人間の体には、ふたつの種類の情報の回路があるそうです。神経とか、シナプスとか、ニューロンなどのデジタル的な情報の回路と、ホルモンや血液などのアナログ的な情報の回路です。神経の方は、コンピュータなどの2進法的デジタル情報と同じだそうで、血液やホルモンの方は、そうではないそうです。そして、これらは複雑に絡み合っているのだそうです。どっちが大事、なのではなくて、どっちも大事、どっちも必要っていう。

そして、デジタル的なものって、数値化やデータ化できれば、コンピュータ・プログラムのような考えが可能になるわけですよ。

「関数型プログラミングの基礎 立川察理 著 長瀬嘉秀 監修 」には、計算機が実行する「計算」について、次の3つのモデルが考案されたそうです。

     命令形モデル 「計算」とは「命令を実行する」こと。
  関数型モデル 「計算」とは「関数を呼び出して値を得る」こと。
  論理型モデル 「計算」とは「証明を得る」こと。  

なので、コンピュータ・プログラムでは、命令を実行すること、関数で値を得ること、証明することが、可能なんですね。

まあ、生身の人間と、コンピュータ・プログラムとを、一緒にするのはどうかとは思いますが、とりあえず、ここでは、命令に関すること、値に関すること、証明に関することが、デジタル領域では可能、としましょうか。


そしてさらに、デジタル・コミュニケーションにはあるけれど、アナログ・コミュニケーションには、ないものに、"not"があるそうです。

これは○○ではない。○○を、してはいけない。

こういった、言葉で書くのは簡単だけど、実際にやってみようとすると「ん?」ってなるやつ。

たとえば、「笑わない」。

笑わないなんて、一見簡単そうに思えますよね。ただ、ちょっと考えてみてください。

「この人は笑わないんだな」とか、「自分は笑わないんだな」と判断するときって、どんな時でしょうか? 

今まで笑っていたのに、条件は何も変わっていないのに、なぜか今だけ笑っていないとか、まわりの人は笑っているのに、この人だけ笑っていない、とか。

そういった形でしかアナログ情報的には存在せず、単独で「笑わない」人だと判断するのは、むずかしい。

ただ、言葉で表現するのは簡単です。「笑わない」と、いったり書いたりすればいいのです。

他にも、飼い主の指を、あま噛みする犬や猫、とか。

言葉ではなく、アナログ的な行動や行為で「私はあなたを(本気では)咬みません」を伝えようとすると、こういった、ややこしい手段が必要になるのだそうです(ただ、犬や猫を飼った方ならわかると思いますが、犬猫のあま噛みは、思ってた以上に痛いですけどね…… )。

そのことらを知ったとき、彼ら、男性勝ち組コミュ症の文章の特徴について、妙に腑に落ちたというか。

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● 男性コミュ障は、デジタルに偏っている?


仮に、男性コミュ障は価値判断や行動などが、デジタル的なものに偏っている、としてみましょうか。


デジタル的。0か1か。

デジタル的、数値化、概念化しやすいもの。

命令すること、値を得ること、証明すること。

上と下、正解と不正解、損と得、勝ちと負け。

彼らは、そういった、デジタル領域に関するものは得意。


けれど、アナログ領域な物事は苦手。

たとえば、人の表情。

誰かが泣いていたとして、人は悲しくても泣くし、うれしくても泣くし、あくびをしても泣くし、足の小指をタンスの角にぶつけても泣くのです。

相手が泣いている。涙を流している。

これらを、デジタル的な判断だけで解決しようとすると、とっても困ったことが起きやすい。

アナログ情報は、たいてい、あいまいだからです。

コミュ障(と呼ばれる人たち)って、もしかしたら、こういったことに困っていたり、途方に暮れたりしているのでしょうか。

アナログ的な現象を、強引にデジタル化(言語化)したり、アナログをデジタルに、デジタルをアナログに変換するときに、不適当な変換をして、問題を起こしたり、アナログで行動しないといけないときに、デジタルで発言してしまう、とか。


現実とか、現象とか呼ばれる「それ」は、アナログ的なモノやコトなのだけれど、「現実とは、○○である」とか、「この現象は、□□現象です」と、デジタル的な言葉や概念に、翻訳というか、変換というか、そういったことをしなければ、思考や価値判断はできないのだけれど、彼らは、その変換が、うまくいっていないか、または、変換できないことをやろうとしている、と仮にすると、なんとなくだけれど、見えてくるものがある。

コミュ障の多くは、アナログ領域のコミュニケーションか、それをデジタル領域への変換することに、問題を抱えているのではないのだろうか? 

あるいは、デジタルからアナログ変換も苦手で、だから、コミュ障の人が書いた、デジタル的な文章を読んだ人が、どのようにアナログ的に受け止めるか、アナログ的に反応するかが、わかりにくいのではないのだろうか? 

はたまた、男性勝ち組コミュ症は、デジタルをデジタルに翻訳する能力が、優れているのではないのだろうか? 


相手が涙を流している。

悲しいからかもしれないし、嬉しいからかもしれないし、あくびをしたからかもしれないし、足の小指をタンスの角にぶつけたからかもしれない。

勝ち組コミュ症の人は、人の感情についての知識とか、涙の成分についてなどの情報は、ぱあぁっと、出てくるのだけれど、相手が感じている感情の目星をつけるのができなかったり、アナログとしての現象に対して、その場にふさわしい、アナログとしての行動や行為をするということが、とてもむずかしいのでは?  

いまここで起きている現象を、アナログ的な行動や行為で表すことよりも、デジタル的なものに変換してしまう習慣が、ついてしまった人。

……なのでしょうかねえ。

いえ、これらの考えが、あっているかどうか走りませんが(無責任)、もしそうだとしたら、恋愛工学だの、ナンパの情報商材のマニュアルが分厚くなるのも、納得といいますか。

言葉や思考や概念などの、デジタル領域を重視せざるを得ないんだ。だから、厚くなるんだ。


武井壮さんが、学生時代、陸上をやり始めた頃、上手い人のまねをしていた、と以前テレビで言っていました。

上手い人の動きを真似をする、かっこいい動きの真似をする。

そうやって、上達していったそうです。

この行為を、「アナログをアナログに翻訳する行為」とするのなら、例えば「俺もナンパしたいなあ」と思った男性が、ナンパスポットへ行き、うまいナンパ師の格好や行動を真似をしたら、ナンパに成功する、ということになる。とりあえず、誰かに教えてもらわなくても、見様見真似で上達する、というわけです。

けれど、コミュ障は、アナログ-アナログ変換に問題があるので、それがとてもむずかしい。あるいは、そういった発想がない。

もしかしたら、コミュ障男性がナンパ塾へ行って、講師のお手本を見たとしても、理解できないのかもしれない。やる気がないのではなくて、行動、行為というアナログ的なものから学ぶ、ということが、できないのかもしれない。

つまり、「見て覚える」「体験して学ぶ」ということが、コミュ障は極端に苦手なのでは? 


逆にいえば、そういったアナログ的なもの、それらの入力と出力などを改善すれば、なんとかなるのかもしれない。


● アナログをアナログで返せるか?


男性コミュ症って、ひょっとしたら、子供がやるプロレスごっことか、ヒーローごっこなどが、苦手だったか、やらずに大人になった人達なのかも。今となって思えば、ああいう遊びって、現実と虚構、本気と手加減が入り交じる、アナログ的とデジタル的なものが交じりあう遊びだった気がします。ひょっとしたら、ネットを通じて、スマホやパソコンなどでコミュニケーションすることって、デジタル的なそれは発達するけれど、アナログ的なそれは、ますます衰えていくのでしょうか? 

だとするのなら、いまの我々をとりまく環境って…… 

などと、妄想よろしく書いてきましたが、どうなんでしょうね。推測で、文章を投稿するのは、良くないと、わかっちゃいるのですけどね。


仮に、ここに書いていることが、ある程度当てはまるとするのなら、では、どうすりゃいいの? という話になるわけですが、これはやはり、アナログ的な、行動とか行為とか、そういったものを、どうにかするしかない気がします。

デジタル的な判断、正しいとか間違っているとか、損とか得とか、そういった二元論的な判断ではなくて、山の天気みたいな、冬の北海道の服装みたいな、デジタル的な判断だけでは困るような状況に身を置き、慣れる…… とか? 

寺山修司さんが、「書を捨てよ、街へ出よう」といいましたし、ブルース・リーさんは「考えるんじゃない、感じるんだ」といいましたけれど、街どころか山でさえスマホを持ち歩く昨今、そういったデジタル的な判断を薄めるには、どうすりゃいいのでしょうかねぇ。っていうか、こういった排他的な考えが、まずいのかも。「書を持って、街へ出よう」とか、「考えながら、感じるんだ」とか、そういったものなのかも…… わからないな。


言葉や思考というデジタル的なものは、実際に自分がやってみた行動、行為というアナログ的なことを、アナログ情報からデジタル情報へと翻訳する範囲内なら、安全なのかもしれません。自分の体験を、身体的な感覚を、思考に偏らず、「命令」も「値」も「証明」も得ようとせず、身体的な感覚や行動のみ言葉にできるのなら、なにか新しい道が見えるのかもしれません。

ただなあ、自分を含む、男性コミュ障って、アナログ情報を、うまくデジタル情報に変換したとき、とても食いつきがいいんだよなあ。例えば、成功するための具体的な行動を、うまく言葉にできたとき、がらっと表情が変わる。「理屈は、よくわかんないけれど、とりあえずやってみる」人って、コミュ障が少ないというか、例えコミュ障だったとしても、あまり悩んでいない気がするんですが、どうなんだろう? 

これは、経験からくる勘ですが、デジタルをデジタル変換していっても、つまり、思考や言葉や概念を、別の思考や言葉や概念に変えたとしても、その先にコミュニケーション能力の改善、人間関係の改善は、ほんとどない。そんな気がします。

心理学や、人間関係の本や、脳科学や、催眠などの本を、山のように読んで、暗記して、まとめたとしても、そこに書いてあることを実際に行動に移さなければ、能力は身につかないし、問題視している行為を改善する可能性はとても低い。

ただ、そのまとめをネットで発表したら、ネットで注目される(かもしれない)し、お金を稼げる(かもしれない)。

けれど、その人(本の作者や、サイトの製作者)は、コミュ障のままのように思えます。

いえ、そこに書いてある情報とおりにすれば、やがてセックスする女性に困らなくなるのかもしれません。ただ、コミュ障が改善するか? と考えたとき、とても疑問に思うのです。ナンパしまくって、数多くの人(女性)と出会っているのに、コミュ障が改善しない、関係が長続きしない。それは、本やネットに書いてある情報、命令や証明に従っているのであって、自分が、いま接している相手が発している(アナログ)情報について、わからない、わかろうとしないからではないのだろうか? 彼らのような人むけに、自分と彼女以外にも、吉兆のささやき女将みたいな、あれこれ指示するアドバイザー・サービスが、そのうち登場するのかも(冗談ですよ。念の為)。

俗にいうモテ本、ナンパ本も、「お前やったことないだろう」と思ってしまう本が、たくさんあります。いや、それらモテ本、ナンパ本だけでなく、「本を読んで本を書きました」系の本で、書店はひしめいているし、そういった情報でネットはあふれている。

それが良いか悪いかは、ここでは問いませんが、おそらくはコミュ障の男性は、そういった、デジタルをデジタルに変換した、はっきりくっきりとした情報や知識が、好きだと思います。いや、安心するといったほうが、いいのかもしれません。

そして、男性勝ち組コミュ障は、おそらく、それで成功してきたのかも。

その本やネットの情報が正しいとか、間違っているとか、効果がないとか、ではなくて…… 現実とか現象といわれる、アナログ的な「それ」に、コミュ障がデジタル的な情報のみで立ち向かうことに対して、とても疑問です。

アナログをアナログで返す。

相手が笑ったのなら、こちらも笑う。

相手が怒っていたとしても、こちらは微笑みを崩さない。

それらを返すことが、むずかしい時もあります。といいますか、アナログ・コミュニケーションは、はっきりくっきりしていません。言語化できるとは限りません。アナログの正解は、いつもあいまいです。まあまあ正解とか、ぎりぎりアウトとか、そんな感じです。

けれども、コミュ障の人を相手にしたときには、言語化、概念化できないもの、しずらいものを、それらに変換しなければならないという状況が、生まれやすい気がします。とくに、男性勝ち組コミュ障の人は、そういったことに、関心があるようにも思えます。

相手の女性が笑ったら、こちらも相手と同じ程度の笑顔で返す、ということよりも、なぜ相手は笑ったのか? 心理学的に〜、脳科学的に〜、ということに意識がいきがちだったり、あるいは、必死になってネットや本に書いてあることをやろうとして、目の前にいる女性を置き去りにしている。だから、関係が長続きしないのかもしれません。


……なんだか、今回の記事、自分で自分の解剖を、しているような気がします。いえ、私は勝ち組ではないのですが…… って、勝ち組って、もう古臭い言葉になっていますよね。