休職してからというもの、 ・今後どうしていきたいのか ・過去の自分が好きだったこと そんなことを考える時間が圧倒的に増えた。 ジャーナリングを毎日のように繰り返し、自分の感情や考えたことをただ書き続けていた。 そんな自分にぴったりな本だった 甲斐みのりさん作の「すきノートのつくりかた」 小さな星が沢山描かれていて、優しい手書きのタイトルに惹かれて即購入。 早速、すきノートを作り始めた 本に書かれた質問に合わせて自分のすきを書いていく。好きなことを考えて、文字を書いてい
きっかけは、インスタグラムで流れてきた副業アカウントの投稿。 え、生成AIで音楽、画像、動画なんてつくれるの!??? 画像作ってみたす、すごい。。何の知識もない私がインスタグラムのおねーさんの真似したら、画像できちゃった。。。 プロンプトエンジニアリングのやり方ChatGPTなどのLLM(に対して指示、命令をすることをプロンプトと言うそうな。その指示に対して、いかに適切な応対をしてくれるかはプロンプトエンジニアの腕にかかっているということですな。 例1) 参考例を示
いつも通り出勤して、仕事して帰って、ご飯を食べて、お風呂に入って、寝るだけ。 それだけのはずなのに、自分の心は気づかぬうちに蝕まれていました。 寝ようとしても、心臓がバクバクしてうまく寝ることができない。 仕事をしていても、集中することができない。 デスクに向かうことができず、常にウロウロしてしまう。 今考えても、なかなかヤバイ状態だったんだなと思います。 バタンと倒れて、休職に入るための処理はスムーズに進みました。 職場の上司、同僚、後輩みんなに迷惑かけて何をやって
自分は今、何にイライラしているのだろう。 そう思い、noteを書くことにした。 ①コロナ まず、私を苦しめているのは、コロナだろう。 今の自分は親元を離れ、地元から遠く離れた県で一人暮らしている。 さらに友人はほとんどおらず、もっぱら平日の楽しみは、お菓子を食べたり、料理をしたり、本を読んだりすること。 恋人はいるが、遠距離で会うことができない状態だ。 やっぱり、友人と遊びたいし、恋人と暮らしたい。 他県に移動するのもなんだか怖いし、うっぷんが溜まっているのかも。 ②友人
長らく時間が空いてしまいましたが、社会人編スタートです。 (苦しい思い出がありすぎて、下書きで止めていました。) 大学を無事卒業した私は中小企業で営業の仕事をはじめました。 アルバイトの経験はあったが、電話の取り方も分からない、ほんとに何も出来ない新人だったと思います。 沢山のことを吸収したい、学びたいと思い、よく残業していました。 新人ながら中小企業ですから、責任は多くのしかかって来ました。ユーザーとしては、新人も何も関係ないですからね。 取引先との連絡も夜遅く
人生の振り返り社会人編を書きたいですが、いろんな思いがあって書くのが厳しいなぁ、、 時間かけて頑張ってみます。
20代のわたしに分からなくて、50代の母に分かるものってなーんだ 世間体。by母 世間体を気にして離婚しなかった母、世間体を気にせず離婚を勧めた娘。 明らかに父の酷さがあっても離婚しないのはすごいね。 50代になったら母の気持ちが私もわかるかな
こんばんは。 紅葉がきれいな季節になりました。今年は山の紅葉を見れたので良かったです! さて、今日は人生の振り返りではなく、今日起こった話を。 離婚したのはお前のせいだはい、これを母親から言われたんです。 うちの両親はわたしの説得もあって今年の5月に離婚しました。 その後、母親から言われたんです。 「私が離婚したのはお前のせいだ。」いやーショックでしたね。 DV、ギャンブル、アルコール依存症、ボヤ騒ぎ…自分の父親ながらね… その父親に献身してきた母に、もう娘は
ついに大学生編まで来ました。 今の自分までもう少し!頑張って書きます。 大学ではすぐに友達ができた。びっくりするくらいに。 高校では友達らしい友達もできなかったのにこんなに簡単に出来るなんて。 しかも、髪を茶髪に染めて、耳にピアスを付けて、かわいいスカートを履いて、なんだか強くなれた気がした。 サークルに入ってすぐに好きな人もできた。幸運なことに付き合うこともできた。けれど、付き合うことに慣れていなかったせいか、なんだか相手が嫌いになりすぐに別れてしまったのだが…
県立高での3年間家の近い友達と一緒に、自転車と電車で通った。 1年生の時は、中学の友達と同じクラスでなんとなく過ごした。文系か理系か決めるように言われた。自称進学校で大学への進学が前提の高校であった。 私は機械やロボットに興味があったので、迷わず理系を選択した。 しかし理系は全く出来ず、自分の成績の悪さにがっかりした。 担任は数学の先生で怖く、ビクビクした毎日だった。卒業してから会った時にはとっても優しくて、先生も大変だったんだな、と思った。 2年生になって、担任も
こんばんは。 今日は中学生の頃の自分を振り返ります。 中学生になる頃、父は単身赴任で他県に出ていたので少し安心することができた。 しかし期待に反して1年程度の短期間のものですぐ帰ってきた。 もう帰ってこなければいいのに、そう思っていた。 帰ってきた父は酔って私たちの住んでいる母の実家に来ては暴れる日を繰り返していた。 その行動に私は本当に腹を立てて、荒れ狂う父に馬乗りになり父を制してやろうと行動を起こした。 その時、母が泣きながら止めに入った。 自分としてはな
親戚の家から出て市営住宅に引っ越し、そして母の実家で暮らすことに親戚の家の一間を母、姉、私の3人で暮らす日々もそう長くは続かなかった。期間としては1年くらいであっただろうか。 その後、移った先は市営住宅。その住宅は訳ありの方が多く住んでいる印象だった。中学校のそばに在って、ヤンキーの先輩が沢山住んでいたから。 そこに3人で暮らし始めた。とても居心地が悪かったことを覚えている。 必要最低限のもの(カーテン、布団、ストーブ)くらいで住み始めて、落ち着ける環境ではなかった。
アダルトチルドレンの原因が作られた最初の時期 辛い気持ちをこの頃から溜め込んでいました。 わたしの父と母は仲が悪く、喧嘩がよく起きていた。父は几帳面、母は大雑把。性格が合わなかったんだろうな。でも一緒に暮らしていた。 問題が起こったのは、私が小学校1年生の時。 その日は私の誕生日で、みんなで外食に行こうと話していた。 共働きの家庭で母の方が父よりも帰りが遅かった。先に店に父と着いて待っていたが母がなかなか来ない。父がイライラしていく。 母が来た。父は店の中で母を怒
はじめまして、perico(ペリコ)です。さっそく自己紹介から始めたいと思います。 Lv.31の女。現在、西日本で休職中。 夫と二人暮らしの専業主婦モード。 コロナ禍で仕事を続けることが精神的にキツくなり、今までの自分を顧みる時間を持ったところ、アダルトチルドレンである事が分かったことがきっかけでnoteを開設しました。 アダルトチルドレンを克服したい、自分の人生を生きたい。 その為にnoteでは考えたこと、実行したことをまとめてたいと思っています。そのほか食べたもの