痛くないので
私たち三姉弟が家にいる日は必ず、朝からお昼ご飯を作り置きしてくれて仕事に行く母だった。置き手紙も毎日添えられていた。
「チンして食べてね。あぶないことしちゃダメよ。3人ともおりこうさんにしててね。」
夏休みとかは毎日、毎日テーブルの上に作ってくれたお昼ご飯が置いてあった。
私たちはその時何もわからなかったけど、母や父にとっては辛い毎日だったんだと思う。
私は、母が居ないとすぐ泣いちゃうくらい母が好きで寂しがりだった。
優しくて、嬉しい時は泣いて喜んでくれて
いつも手が暖かくて、その手で撫でてもらう事が大好きだった。
怒ると怖いけど、その後絶対に許してくれて優しい人に戻る。
父と喧嘩をしても泣かない母のことをとても強い人だと思っていた。
私は泣き虫だから。
強いと思っていた人が苦しみに耐えきれず涙を流している姿を見た時のあの気持ちって、なんて言い表せばいいんだろう。
ただの泣き虫で、無駄に目から水を流していた私よりも、
何億倍も大切にしなきゃいけないことが、
大切にされずに溢れ落ちてしまったみたいな
そんな瞬間を見てしまって、
とんでもないことが起きているんだって
その時になってやっと、母の心の痛みを分かって、 そう見えるまで 強い人だと思っていた自分の、何も分かってなさに、言葉も出なくて
そんな頃には
何度も、何度も父と喧嘩をして出て行こうとする母に
3人で、「行かないで」と、泣きながら引き留めるのが日常だった。
母や父はあの時からこの日まで、ずっと辛い毎日を過ごしていたんだと思った。
いつも通り父と母が酷く言い争いをしていた夜。
出て行くといった母を引き留める姉と弟。
私は「ママが幸せになれるなら出ていっていいからその代わり絶対に幸せに暮らしてて」って言った。
その次の年くらいに、両親は離れて暮らすようになった。
私は母についていった。中3の冬。
そこから大人になっていく間にいろんなことがあった。
母とはよく言い争うようになっていったし、
段々と、自分が自分じゃなくなっていって
今ではそれが、私を強くしている理由になっていて、
そのことがたまにネックになったりして。
母が私のことを疎ましく思うようになった後でも、お昼ご飯は絶対に机の上に置いてあった。
夜に仕事に行く日は夕飯も作っておいてくれてた。
私は母が好きだ。
強くて、優しくて、
本当はあなたみたいになりたかった。
何度憎しみをぶつけられて
心が苦しくなってもそう思う。
あなたは幸せでいてほしい。
泣かない人は強い人だと思う。
平気で居れることはとても強いことだと思う。
痛みを知っている人が、この世で一番優しくて一番強いと思う。
それがいまの私を強くしている。
でもこの間さ、
「喧嘩してる声とか聞こえてくるの、嫌だったでしょ」
って誰かに聞かれて
「はい、嫌でしたね。」って答えた時に、
堪えきれてなかった悲しみが、意図せず込み上げてきそうになったから
私はいまだに、平気なフリをして笑っているだけの泣き虫なんだなって。
自覚しちゃって嫌気がさした。