伊達騒動と樅の木は残った その1
1.はじめに
皆さん、伊達騒動はご存じでしょうか。伊達政宗で有名な伊達藩で起きたお家騒動です。
非常に簡単に書くと、殿様が幼い事をいいことに傀儡政権を作り上げた黒幕とその手下になった家老が、好き勝手な事をしていましたが、やがてそれに反発する人たちの力で裁判となり、家老はその場で乱心して殺され、黒幕も処罰を受けるという、勧善懲悪的なお話です。
ところが、この伊達騒動を書いた山本周五郎の名作「樅の木は残った」では、全く別な解釈がなされ、視点を変えるだけでこうも変わるのか!と驚かされます。
特に樅の木は残ったの方では、作者が主人公(乱心して殺された家老)を非常に魅力ある人間に仕立てあげており、誰もが感情移入してしまうかと思います。
(作者は違いますが、僕は司馬遼太郎の関ヶ原で描かれている、島左近とダブります)
そんなわけで、この一般に言われている伊達騒動と樅の木は残ったをなるべくわかりやすく説明していきたいと思います。
もちろんネタバレしてますので、これから小説を読もうかなという人はやめておいた方がいいかもしれません。
如何せん、登場人物が多く、細かく説明すると読むのが嫌になりますし(書くのも嫌だし)なるべく端折って書きますので、本当に詳細を知りたい方は専門の本を読んで下さい。
2.三代綱宗と四代亀千代
時は江戸時代の前期、伊達政宗の跡を継いだ二代忠宗が亡くなると、その六男の綱宗(つなむね)が18歳で家督を継ぎました。
この綱宗、酒だ遊郭だ芝居だと、兎に角放蕩が止まりません。伊達藩62万石といえば大大名、殿様がこんな事では困ります。
周りの人も諫めますが、全く聞き入れません。
そこで伊達政宗の十男で、二代藩主忠宗の弟でもある伊達宗勝(だてむねかつ )が縁戚関係にある大名三家と家臣の連名で、なんと幕府に綱宗の隠居願いと跡継ぎの亀千代(後の伊達綱村)の家督相続を願い出ました。
当時はうまく家が納められないとすぐに取り潰しになる時代、揉め事はなるべく幕府にわからないように処理するのが当たり前ですが、万策尽きたのでしょう。
そして、この願いは聞き入れられて、綱宗は強制隠居、そして亀千代はわずか二歳で仙台62万石の第四代当主となったのです。
当然二歳の幼児に政治などできませんので、後見人が全てを取り仕切る事になります。
その後見人が伊達宗勝と田村右京亮(たむらうきょうのすけ)でした。
大藩に幼児の当主、後見人には家中に於いて神様のような扱いの政宗の息子。
このまま無事にすみそうにもありません。 つづく
※ルビをふろうとしましたが、うまくできないのでかっこでくくりました・・・
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