洞爺丸沈没 その4(全9話)
14時には出航したかった近藤船長ですが、第十一青函丸の乗客や車両を移乗させるため、大幅に予定がずれ込みました。
テケミ
15:00
出航予定時刻を大幅に超えてしまい、近藤船長は寝台車の積み込みを中止させ、出航を命じました。幸い荷物車は積み込みを終わっていたので、出発はできます。
岸壁と連絡船の間をつなぐ可動橋というものがあります。レールが埋め込まれた鉄の板で、普段は跳ね上げられていますが、連絡船に車両を積み込む時はそれが倒れて、岸壁のレールと連絡船のレールを接続するものです。
出航の為に可動橋を上げようとした時に、停電が発生しました。
NHKニュース
「台風15号は午後1時には佐渡ヶ島の北西100kmの位置にあり、110km/hの速さで北東に進んでいます。968mb、中心付近の最大風速35m、中心より300km以内では20m以上の暴風雨。」
15:10
定刻を30分も過ぎてしまいました。台風は110km/hで近づいていましたので、この30分間で55kmも近づいていることになります。
これでは台風が来る前に陸奥湾に滑り込む事はできないと判断した近藤船長は、テケミを指示しました。テケミとは「天候険悪出航見合わせ」の略称です。テケミを決める権限は船長に与えられていました。
近藤船長の読みはあくまで冷静で正確でした。このまま岸壁で台風をやり過ごせば何事もないはずでした。
停電が起きたのは、わずかに15:09から15:11の2分間の出来事でした。これが無ければ、洞爺丸は出航しており、恐らくは台風に遭遇しながらも、なんとか陸奥湾に逃げ込めただろうと言われています。
テケミをした以上は、いつ出航できるかが重要になってきます。
時速110kmで近づいてきているのであれば、お昼に近藤船長が予想したように16時30分に津軽海峡へ差し掛かります。函館へは17時頃に近づく事になります。スピードが速いという事は、遠ざかるのも早いので、18時30分頃には出航できるだろうと近藤船長は判断しました。
16:00
NHKニュース
「台風15号は夕刻までには渡島半島に上陸するか接近し、今夜半までに千島方面かオホーツク海南部へ抜ける可能性が高い」
16時の函館の気圧982mb。
このあたりで、台風は北寄りの進路を取り青森県や津軽海峡は横断しない予報に変わっています。
16:02
ようやく第十一青函丸が離岸しました。沖出しと言って人や荷物を下して空船にしてから、岸壁を離れて沖合で待機する事を言います。荒天時に岸壁に係船していると、波で船体と岸壁がぶつかり損傷するので、それを防ぐためです。
混乱
16:30
港内に繋がれていたイタリア船籍のエルネスト号(7,341トン)(英語読みでアーネスト号)のチェーンが波浪の為に切れ、流され始めました。
この船は5月に港内で座礁してしまい、スクラップになる予定で繋がれていたものです。船員もほとんどが船を降り、船長を含めて8名だけが乗り組んでいましたが、この人数では機関を動かすこともできず、ただ浮いているだけの状態でした。
船が動いていることに気づいた船長は錨を下しますが、錨を引きずったまま船は流されて行きます。走錨と呼ばれるもので、これを見た港内にいる船はパニックになりました。
全長が180mもあり7千トンを超える、この日函館港内では一番大きい船なのです。
やがてエルネスト号は第十二青函丸と衝突しそうになりますが、第十二青函丸は間一髪機関を動かして、かわすことに成功しました。エルネスト号も錨が海底を捉え、走錨は止まりました。
その5へつづく
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