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見仏上人シリーズ          雄島と五大堂とおしゃれカフェ 雄島編

宮千代の伝説から始まり、宮千代がいたとされている瑞巌寺と、その前身とされている松島寺について記事にしてきました。

一言ずつでまとめると
1.宮千代の霊を見仏上人けんぶつしょうにんが成仏させた
2.瑞巌寺は伊達政宗が再建した
3.松島寺は慈覚大師が開いて、北条時頼が臨済宗に変えさせた
4.見仏上人って誰? ←今ここ
こんな感じです。

見仏上人は松島寺の住持では無かった事がわかりました。
じゃぁ一体どこにいた人という事になりますが、
松島寺からほど近い雄島おしまという小島に籠って修行をしていました。
そこから宮千代伝説では、松島寺の見仏上人とされたようです。

見仏上人について書く前に、雄島とはどんなところなのか、現地取材をしてきました。
また前回の記事で書いた、北条時頼が祭りの最中に声を出して殺されかかったという、その現場ともなった五大堂も合わせてレポートします。
長くなるので、雄島編と五大堂編の二つに分けます。

まずは地図で確認しましょう。

駅から徒歩8分 駐車場からなら徒歩1分

電車で松島を訪れる際の最寄り駅である「松島海岸駅」からは徒歩8分といったところ。
車の場合は赤枠の部分が駐車場なので、徒歩1分です。

なんとなく赤が往路、青が帰路 時計回りに歩きました。

今回は車で訪れましたので、①からスタートです。


あの階段を登ります

②まで来ると前方に赤い橋が見えてきます。


赤い橋を渡ると雄島

これが渡月橋とげつきょうです。渡月橋と言えば嵐山が有名ですが、松島にもあるのです。

こちらの渡月橋は「縁切り橋」と言われています。
修行僧が島に入る時、俗世と縁を切ったことからこう呼ばれています。

一般的な松島観光のエリアの北端に、福浦島という大きな島があって、そこには長くて赤い非常に映える福浦橋という橋が架かっています。


福浦橋(有料)

ここが地元では「縁切り橋」と言われて有名なのですが、恐らく渡月橋と間違って流布されたものです。
そもそもがカップルで行くと別れるという意味では無く、上で書いたように悪縁を絶つ縁切りです。

さて、修行僧が島に入る時に俗世と縁を絶つと書きましたが、この雄島は島全体が霊場です。
観光地ではあるのですが、僕は一人では行きたくないような場所です。
怖い話があるわけでは無いのですが、雰囲気は不気味です。

陸地側が此岸で雄島側が彼岸であり、この世とあの世を結ぶのが渡月橋なのです。
これは松島の絶景を極楽浄土に見立てたところから、雄島は浄土の入り口という位置づけになったものです。
渡月橋の前(③)まで行ってみます。


渡月橋

それでは、あの世へ渡って行きましょう。

渡月橋を渡ると(④)石段と左へ進む道に分かれています。

ロールプレイングゲームのようにいきなり分岐

まずは左へ進んで行きます。
渡月橋を左に曲がった瞬間、岩窟と石仏が飛び込んできます(⑤)が、その先は行き止まりです。

この奥は行き止まりですが、すぐ先が右折できます

この奥は行き止まりですが、すぐ先が右に曲がれます

バーン!手掘りのトンネル(⑥)ですね。


いきなり手掘りのトンネルが現れる

一人ではあまり通りたくないような感じですが、ここを抜けていきましょう。
振り返るとこんな感じです。


何か不自然に整えられています

出口側は四角く整えられていますが、実はここが見仏上人が法華経6万部を読誦した見仏堂の跡です。
ここで12年もの間籠って修行をしていました。

そしてトンネルを抜けたところは広くなっていて、たくさんの岩窟があり、板碑や墓石があります。(⑦)
岩窟は以前は108個あったそうですが、現在残っているのは50個ほどです。

右の四角い大きな穴が見仏堂


ここを抜けて左へ曲がり(⑧)、島の左端(北側)へ向かいます。

階段を登ったら左に曲がって行きます

すぐに何もない広場(⑨)があり、ここが妙覚庵みょうがくあん跡と言って、見仏上人の後の時代にここで修行をした頼賢らいけんが住居した場所になります。頼賢は22年も雄島で修行を行いました。

妙覚庵跡

ついでなので先端まで行ってみるとこんな感じ(⑩)。赤枠がこの後に行く五大堂になります。

島の端から五大堂を望む

では、来た道を引き返します。

右手に松吟庵しょうぎんあん跡の標柱と、夥しい数の岩窟があります。(⑪)
松吟庵は瑞巌寺第103世通玄法達つうげんほうたつのために、その兄が建てたそうです。
このことからも、瑞巌寺と雄島は全く独立した関係ではなく、霊場松島内の修行場として瑞巌寺とも密接なつながりがあったとわかります。

松吟庵跡

直接岩肌を掘って作った碑や墓標もたくさんありますが、風化していてなかなか文字は読み取れません。
少し手前には薬師如来の像もありました。

少し進むと、芭蕉と曾良の碑があります(⑫)

左が芭蕉右が曾良

その先に少し高くなった場所があり、お堂が立っています。(⑬)

座禅堂

ここは前回出てきた雲居うんご禅師の座禅堂です。

では一本道を島の反対側まで進みましょう。
何やら6角形の建物があります。(⑭)

3月に修復されたばかりの頼賢堂

中を覗くと石碑があります。
これは頼賢の功績を讃える碑です。弟子たちが建立したそうです。

ここからは渡月橋を目指して戻ります。
さっき来た一本道を歩いて行きます。(⑮)

一本道を戻ります

すると神社が見えてきます。(⑯)

御嶋真珠稲荷大明神


御嶋真珠稲荷大明神おしましんじゅいなりだいみょうじんです。
仏教の修行場に神社?という感じですが、これが建立されたのはわりと最近で、江戸時代になります。
なんでも、船が暴風の嵐に巻き込まれた時に、以前助けた白狐に救われたと言う逸話から建立されたもので、海難防止の守り神と言われているそうです。

渡月橋に着きました。(⑰)


島を一周しました

これで島を一周した事になります。来た時は橋を渡って左(写真だと向こう側)へ行きました。
渡月橋を渡ったら、来た時とは別の道を通って、五大堂方面へ向かいます。(⑱)

さっきは左の道を渡月橋に向かってきました。今度は右の道を進みます。

こっちにも岩窟がありますね。(⑲)島のみならず、このあたり一帯が霊場だった事がわかります。

岩窟の前を通って右奥に見えている石段を登ります

岩窟の前を抜けると、切通しのような道になります。(⑳)

夜は通りたく無い

ここまで来るとそろそろ終わりです。
石段を数段降りて振り返ると「雄島入口」の看板があります。(21)

ここまで大体35分です

これにて雄島編は終了です。
次はここから五大堂まで行って、西行戻しの松へ向かいます。

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