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嘉農の甲子園

八田與一の話を書いたついでに、もう一つ台湾の話「嘉義農林学校(かぎのうりんがっこう)」を書こうかと思います。

5,6年前に「KANO 1931海の向こうの甲子園」という台湾映画が公開されました。
これは、日本統治時代の台湾の嘉義市に実在した、台湾公立嘉義農林学校が甲子園で活躍したという実話がベースになっています。
僕はこの映画を見るまで、この話を知りませんでした。

弱小チームだった「嘉農」に日本人の近藤監督が赴任してきます。この人は、松山商業を初の全国大会に導いた監督です。
近藤監督はスパルタ式の特訓をしつつ、日本人だけを優遇せずに台湾人、高砂族といった様々な人種の特長を活かしたチーム作りをします。
やがて選手たちにやる気が生まれ、いつしか甲子園に出場したいという夢を持つようになりました。

甲子園大会に出る為には地区予選を勝ち抜かなければいけません。台湾の枠は全島で1校だけです。
常連校は日本人だけで構成されたチームで出場していました。
しかし近藤監督のもと、今まで一度も勝った事のない、様々な人種の混合チームである嘉農は快進撃を続け、エースの 呉 明捷 を中心に常連校の台北一中などを抑え、地区予選で優勝します。

ちなみに映画では、この後次のシーンが流れます。
彼らは町中から大歓迎を受けてパレードを行いますが、その最中に嘉南大圳の完成を知ります。
用水路へ向かうと八田與一が舟で用水路を下ってきます。
「八田先生ー!」と優勝を報告し、八田からも激励を受けます。
このシーンを入れて来るところに、今でも八田が台湾の人に慕われているんだなという感じを受けます。

そして甲子園大会が始まるのですが、下馬評に反して彼らは快進撃を見せます。
マスコミからは「高砂族は野蛮だが日本語が理解できるのか?」などと差別に満ちた取材を受けますが、日本人選手は「僕らは良い友達だ」と答え、近藤監督も「彼らは民族を問わず同じ球児だ」と返します。
決勝では、好投手吉田正男を擁する中京商業に敗れますが、初出場で準優勝に輝きました。
観衆6万人の甲子園の拍手は優勝校より多かったと言われているそうです。

2回戦  神奈川商工  3-0
準々決勝 札幌商業  19-7
準決勝  小倉工業  10-2
決勝   中京商業   0-4

嘉農はその後も近藤監督の下、春1回、夏4回、甲子園に出場しています。
この嘉義農林学校は後に台南州立嘉義農林学校と改称され、日本が戦争に敗れた為、台湾省立嘉義農業学校と改称されました。
さらに台湾省立嘉義農業専科学校、国立嘉義農業専科学校と改編され、1997年7月1日に国立嘉義技術学院へ昇格し、2000年には 国立嘉義師範学院と合併し国立嘉義大学として開校しました。

エースで4番だった呉は、その後早大へ進学し、長嶋茂雄に破られるまで、
東京6大学野球の通算本塁打記録を持っていました。

また、この時はまだ入学していませんが、呉波(呉昌征/石井昌征)は日本のプロ野球、巨人へ入団し、首位打者を2回獲っています。その後阪神に移籍し、盗塁王に輝くほか、ノーヒットノーランも記録するなど、大谷選手もびっくりの活躍をしています。
1995年には日本の野球殿堂入りを果たしています。

2016年にこの映画がきっかけで、決勝戦で戦った中京商業が現在は中京大附属中京高になったという事で、中京大学と嘉義大学は交流試合を行っているそうです。

嘉農に優勝させたかったなぁ。
外地校唯一の甲子園優勝・・・準優勝でも立派なものですね。

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