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甘粕事件 その2

この記事には女性や子供の殺害の状況が書かれています。

甘粕は、震災後多くの社会主義者が拘束されているにも関わらず、社会主義者の大物とされている大杉栄が拘束されずにいるのを不満に思っていました。

大杉栄

そこで住所を調べ9月15日、部下の森憲兵曹長、鴨志田上等兵、本多上等兵の4名で大杉の自宅に向かいました。
この時甘粕は私服姿で拳銃を携行しており、最初から殺害するつもりで行動していました。
しかし雨が降ってきたため、鴨志田を残して帰隊しました。

翌9月16日大杉は妻の伊藤野枝と川崎に向かい、野枝の前の夫である辻潤を訪ねますが、不在でした。
そこで大杉の弟である勇の家に向かい、互いの無事を喜びました。

伊藤野枝

14時半頃になり、帰ろうとした時、偶然居合わせた妹の子供で甥の橘宗一(6歳)が東京の焼け跡を見たいとせがんだため、一緒に連れて行く事にしました。

この間、大杉だたちは鴨志田と刑事に尾行されていました。

18時頃になり自宅近まで戻った大杉たち3人は、近所の八百屋で梨を買いました。その頃、甘粕は森、本多と平井上等兵を連れて、大杉の自宅近辺で張り込みをしており、買い物中の大杉を発見しました。
大杉を発見した甘粕は、野枝も社会主義者であったので、夫妻に動向を求めました。

しかしその時、二人を連行した事が子供の口から洩れる事を恐れ、宗一も同行させました。
大杉は宗一を二人の子供だと思い込んでいました。
こうして甘粕と大杉たちを乗せた車は、大手町の憲兵司令部へ向かったのでした。

ここから殺害に至る経緯や実行犯については、裁判の資料に基づく他なく、事件の性質上、裁判で全てが明らかになったわけでもありません。
むしろ、明らかに何かを隠しているという事が解りながら、裁判は結審しています。

被告の陳述

-甘粕の大杉に対する殺意は知っていたか

森「具体的ではないが、この際大杉をやっつけようと言われた」

-当時の状況は

森「大杉たちに茶を与え、夕食も出してやったが、夫妻は既に食べたと言って手を付けず、子供だけが食べた。大杉が八百屋で買った梨を食べ始めたので、皮を剥くナイフを持ってきてやろうと部屋の外へでたところ、甘粕大尉が合図をしたので、大尉殿が調べるからと大杉を二階の応接室へ連れて行った」

-(甘粕大尉に対して)その後どうした

甘粕「応接室へ行くと、森が大杉と何か話していたので、背後に回り大杉の喉に右手を回し、その手で左手首を握って絞めつけた。やがて大杉は椅子から床に倒れたのでそのまま絞め続け10分後に死亡した。息を吹き返さぬよう、縄で首を絞めた。」

森「部屋の外に出て、誰もいない事を確認し、部屋に戻ると甘粕大尉が大杉の首に縄を巻いていた。大杉は口から血を吐いていた」

二人は死体を放置して、伊藤野枝と宗一の処分について話し合いました。

森「こうなったからには女も子供もやらねばならないが、子供は気の毒だから誰か養い手は無いかと大尉は申された。それに対し自分は、社会主義者の子供などもらう者はいないだろうと答え、大尉はそれなら上野の山にでも連れて行き、避難民でごった返している中、巻いてこようかと申された」
森「自分は、女と子供に大杉は遅くなるからと言って帰してはと言ったが、大杉を殺した事が野枝から洩れてはまずいから、帰すわけにもいくまいと大尉が申した」

二人は二階の野枝と宗一のいる部屋へ行きました。21時15分頃でした。

甘粕「野枝に対して、自分たちは嫌な人間で馬鹿に見えるだろうとか、君らは世の中が混乱状態に陥るのを期待しているのだろうなどと言ったが、その受け答えが人を馬鹿にするような態度が見受けられ、また世の中の混乱を好んでいるように見受けられたので我慢できなくなり、子供を隣の部屋へ連れて行き部屋に戻ると大杉を殺ったのと同じ要領で殺した。自分一人でやった」

焦点は宗一殺しに向かいます。

甘粕「子供は自分になついており、誰か引き取るものはいないかと言ったぐらいだ。野枝を殺害する時は隣の部屋に連れて行き、ちょっと待っておれと言った。子供は隣の部屋で騒いでいたので、野枝を殺した後隣の部屋へ行き手で絞め殺した。首には細引きを巻いておいた」

森「子供を殺すことに話がまとまり、大尉から子供はお前がヤレと言われたので、嫌ですと答えて別室へ行った。しばらくすると大尉に呼ばれ、このままでは困るから誰かやらせる者はいないかと言われ、鴨志田の名をあげた」

森「鴨志田の事を呼ばせにやると30分ほどしてから来た。お前子供をやらないかと言うと、ニヤニヤ笑っていた」

こうして、甘粕大尉と森曹長の証言に食い違いが生じました。

この食い違いを解くことに審理は集中しました。

-宗一を殺した時の状況は

甘粕「子供が隣室で騒いでいたので、部屋に行って無意識に殺した。方法は覚えていないが、野枝と同じだった気がする」

甘粕の弁護士は、いかに甘粕が子供好きかを証明するために、様々な質問をしました。
その後、軍法会議は陛下の名のもとに行われる神聖なもので、部下をかばう気持ちはわかるが偽りを言うべきではないと訴えました。

甘粕大尉は明らかに動揺しますが「間違いなく自分が子供を殺した」と証言しました。

しかし弁護団は、罪のない子供を憲兵大尉と言う高官が殺したとなれば、帝国陸軍全体の名誉にかかわると諭します。

しばしの休憩後裁判官が証言を促しました。

甘粕「これ以上嘘は言えない。大杉と伊藤野枝は殺したが、子供は殺していない。子供の死体が菰に包まれているのを見て、初めて死んだことを知った」

-それでは誰が殺した

甘粕「知らない」

-お前が知らないわけはない

甘粕「全く知らない。誰がやったか、本当に知らない」

-(森曹長に向かい)お前は知っているだろう

森「わからない。誰が殺したか知らない」

こうして、宗一殺しの犯人はわからないまま第一回公判は終了しました。

つづく

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