学校はいつまで出すの?宿題
55年前に書かれている教育書にこんなことが書いてあった。
「精神的成長の第一条件は、チャレンジ」
「学校の授業が教育的効果を上げない理由の一つは、チャレンジが第一条件にかなっていないから」
「先生の授業態度が無責任なら子どもの態度も無責任」
「目の前に真剣に学ぶ価値がのものが置かれていても気がつかない、知りもしない」
「学びたいと内的衝動が、全然見られない」
参考文献「音楽教育と人間形成」
55年前にも同じことが言われ続けそこに変化は見られない。
そもそも私も含めそんな教育を受けておらずイメージできなければ、メソッドも手軽に手にできる場所にない。
そもそも、子どものチャレンジを第一条件におく教育の存在を知らない。
教育の場とはワクワクできない、仕事をしにいく場だと認識している。
子どもたちには裁量権がない。
今、休憩したい。
今は本を読みたい。
今はおしゃべりしたい。
今は植物を調べたい。
いろんな〇〇したいが心の中にある。
私の6年のクラスには授業が始まってもずーーーーっっと虫や魚や動物の図鑑を見ている男の子がいた。集中しすぎて始まったことに気がついていない。
「おーい、授業始めるで〜」
と私が図鑑を閉じる。
その度に彼の中で、教育現場へのやる気を一つ減らしていたと思うし、
彼の勉強したいを一つずつ潰したと思っていた。
そんな子どもたちは多いような気がする。
今は国語をしたい気分じゃないのに、無理やり巻き込まれる。
そのたびに「学校楽しい」が一つなくなっていく。
もっと勉強したいよう!!の悲鳴に耳を塞ぎ、決められたカリキュラムを行う。こんな矛盾あるのだろうか。
私は彼の図鑑を閉じるたびに
「なんだこれは」と思っていた。
学習内容の決定に子どもの裁量がない。教員もない。
学ぶのは子どもだ。
子どもが決めてなにが悪いのか。
私には本当に理解できないものだった。
宿題もそうだ。
あの苦行はいったいなんだ?
子どもを勉強させないように仕向けておいて
「子どもは自分から勉強しないから、こちらから家庭の学習の内容を決めました。」
と言わんばかりの面白くない宿題。
しかも、家でしないといけないのはなぜだ?学校には必ず隙間時間がある。
教科ごとに子どもたちの理解スピードは違うから、早い子も遅い子もいる。
待ち時間が彼らは苦手だ。
その間に遊んだり、喋ったりすると怒られる。
意味もない時間を待って過ごされている。
その隙間で宿題をさせたらいい。
私の中で宿題は「持ち帰り仕事」だと思っている。
学校でできなかったことを家に帰ってする。
いいのか?そんな持ち帰り仕事を推奨するような制度で。
学校でできるならしたほうがいい。
持ち帰り仕事はダメ絶対!その考えを伝えることの方がよっぽど健全だろう。
私のクラスの宿題は二週間に1度の提出だった。
二週間の間に気分の乗る日もあれば、乗らない日もある。
学校で行ってもいい(むしろ推奨)
隙間時間を活用してもいい(かなり推奨)
宿題を出さないわけにはいかなかった。
他のクラスの子どもたちから「あのクラスは宿題がない」と言われてしまうからだ。(だからなんだ?って話だが)
体裁だけでも整える。
でもやり方は子どもに任せた。
どうせ面白くない宿題をするなら友達とワイワイ一緒に宿題をするほうがまだ楽しいだろう。
帰って好きなだけ遊べ!
これが好きだ!と思えるものをしたらいい。
それが将来につながる「何か」になるかもしれないから。
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