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新年の挨拶代わり

元日の朝、元旦の思い出は墨の匂い。
朝の便で届いた年賀状のひとつひとつに目を通し、硯で墨を擦り筆をとり返信をしたためる。そのひとつひとつの年賀状全てに手書きで返信してた祖父へは毎年そこそこの数の年賀状が届いてたけれど、決して前年に年賀状を書くなんて無粋な事はしなかったし、年賀の挨拶に伺う相手が居たとしても、もうこの世の人では無いのだから挨拶に来る人がいたりそれが無理なら年賀状が届くといった年齢。
目を通しながら、「郵便で元日に届くのに‘〇〇年 一月 一日 元旦’と書いてあるのはどういう事か;」と、幼い孫に問うてくるが、元日に届けたかったから前の年に書いたとかなんとか云った様な気もしないでも無いけれど、どう答えたかはもう覚えていない。毎年の様に、元日に訊かれたにもかかわらず。

そういうのをみてきたからか、年賀状は必ず元旦もしくは元日中に宛名と一文を手書きするのが習慣だったが十年位に一度、どういう訳か嫌になって一枚も出さない事がある。
今年の元日は、昼もとうに過ぎた頃に覗いた郵便受けに年賀状は、届いてた。
三が日が過ぎ、人日も過ぎ、松の内が過ぎても年賀状を書く気にならない。
今年は、そういう書く気が全くおこらない年だったようだ。

そして、前年に書こうと思い用意した年賀状は、全て無駄になってしまった。

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