宇宙とは何か vol.03「地動説の証拠」松原隆彦
高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所(KEK素核研)で宇宙論の研究にあたる松原隆彦教授による、「宇宙とは何か」の講義をお届けします。今回で第3回。天動説から地動説へと宇宙観が移り変わっていく歴史を見た第2回に引き続いての内容です。地動説が次第に支持されていく流れを見ていきます。
※この原稿は、2024年1月7日発売の『宇宙とは何か』(松原隆彦/SB新書)を元に抜粋しています。続きをすぐに読みたい方は、ぜひ書籍をご購入ください。
また、宇宙にまつわる疑問について、松原先生が読者の皆さんからの質問にお答えいただく質問会も開催いたします!
下記のイベント日時をご確認の上、参加受付フォームよりお申込みください。質問会の申込みは、2月13日㈫23:59までにお申し込みください。
松原隆彦先生オンライン質問会 ※このイベントは終了しました。
開催日時:2024年2月15日(木) 19:00~21:00
参加費 :無料
対象年齢:小学生から大人まで
参加方法:オンライン(Zoom)後日、メールにてURLをお送りします。
申込み :参加受付フォーム
↑上記の参加受付フォームよりお申込みください。
主催 :宇宙メルマガTHE VOYAGE編集部、SBクリエイティブ株式会社
※質問会の申込みは、2月13日㈫23:59までにお申し込みください。
事前に書籍を読むことを推奨します。(あくまで推奨)
noteで公開する範囲を読んで、ご参加いただくというかたちでもOKです。
地動説が有利になった理由
コペルニクスの地動説はなかなか受け入れられませんでした。
その地動説が説得力を持つようになった背景の1つは、ヨハネス・ケプラーによる惑星の楕円軌道の発見です。それより前は、惑星は完全な円軌道で動くと考えられており、コペルニクスもこの考えを脱することはできませんでした。
ケプラーはティコ・ブラーエが遺した膨大な観測データを受け継いで、「惑星の運動が楕円軌道を描いている」と仮定すれば数字が合うことに気づいたのです。これにより、地動説は天動説よりもはるかに単純で高精度なものとなりました。
また、ガリレオ・ガリレイが自作の望遠鏡で天体観測を始めたことにより、天文学は飛躍的に発展しました。ガリレオは木星に衛星があることを発見しましたが、これが地動説を有利にします。天動説では、円運動の中心は地球でなければなりません。しかし、木星を中心にして回転している星があったわけです。
また、金星が大きさを変えながら満ち欠けしていることも有力な証拠です。金星が地球よりも内側の軌道で太陽のまわりを回転しているから、この現象があるのです。
こうした観測結果から、ガリレオは地動説が正しいと確信します。そして一般の人にもわかりやすい形で『天文対話』という本に著しました。ただ、当時のカトリック教会は地動説を認めず、ガリレオは有罪判決を受けてしまいました。有名な話なのでみなさんご存じでしょう。
――「それでも地球は動いている」と言ったんですよね?
それです。本当にそう言ったという証拠はないのですが、ガリレオが裁判で勝とうが負けようがそう思っていたというのは間違いないでしょう。
残念ながらガリレオは地動説を広めることを禁じられ、自宅軟禁状態でこの世を去ることになりました。しかし、『天文対話』はベストセラーとなり、そのことも手伝って地動説が支持されるようになっていったのです。
無限の宇宙を考えたブルーノ
天動説から地動説へと宇宙像の変遷を見てきました。まだ太陽系の外側は謎のままです。あまたの恒星が張り付いた天球の先がどうなっているのかわかりませんでした。しかし、ちゃんと考えていた人がいます。イタリアの哲学者、ジョルダノ・ブルーノです。
ブルーノは、コペルニクスの地動説を学び、哲学的な見地から自らの宇宙論を生み出しました。それは「宇宙は無限である」というものです。太陽系の外側にも同じような太陽があり、地球のような惑星があり、人が住んでいると考えました。それらが無限に広がっているのが宇宙だというのです。
現代につながる宇宙像です。
ところが、ブルーノはこの自説を主張したことで教会の逆鱗に触れました。地動説だけでも怒られるのに、神が創ったこの人間が特別な存在ではなく、他にも人間みたいなのが存在する可能性を言ったので、教会はそれはもうかんかんに怒りました。結局、ブルーノは火あぶりの刑に処せられます。1600年のことです。
ブルーノは科学者ではなかったので、彼の宇宙論は観測から導き出されたわけではありませんでした。言ってしまえば、想像です。根拠はありません。でも、実はおおむね正しいことを言っていたんですね。
地動説の証拠を見つける
では、太陽系の外にもたくさんの恒星があるという証拠を得るためにはどうしたらいいでしょうか。
遠くにある星が、天球ドームに張り付いているのではないのであれば、そして地球が動いているのであれば、星の相対的な位置は変わっていって見えるはずです。電車で移動しながら外の景色を見たとき、近くのものはどんどん流れるのに、遠くの山はあまり動いて見えないですよね。それと同じ現象が起こるはずなのです。
遠い恒星と比べ、近い恒星はより大きく動いて見えます。
遠くにあるほど、見かけ上の動きは小さくなります。公転周期に合わせて見かけの位置が変わる――この現象を「年周視差」といい、視差の大小は角度であらわせます。
年周視差は、地球が太陽のまわりを公転しているからこそ起きる現象です。観測できた
のであれば、地動説の証拠となります。そのため、多くの人が年周視差を探していました。
しかし、年周視差はなかなか観測できませんでした。あまりにもわずかな角度なので、観測するのが難しかったのです。
ようやく年周視差が発見されたのは1838年のことです。ドイツの天文学者ベッセルが、はくちょう座61番星をターゲットとして観測をし、0.314秒角の年周視差を見つけました。1秒角という角度は3600分の1度ですから、とんでもなく小さい数字です。2km先にある粒子が3mm動いたときの角度の変化とほぼ同じくらいです。
科学者たちが年周視差を探し求める営みの中で、実は別の発見がありました。「光行差」です。年周視差の発見より110年早い1727年、イギリスの天文学者ブラッドリーが見つけました。
雨が降る中を走ると、雨は斜め前方から自分に向かって来るように見えますよね。雨粒は本当はまっすぐ下に落ちているのですが、見ている人が動いているので斜めに動いて見えます。同じように恒星から届く光も、地球が動いているためにズレて見えるのです。
光行差も地動説の証拠の1つですが、あらゆる星が同じように動いてしまうため決定的な証拠とは言えませんでした。
また、光行差を測定することで、光の速さを推定できるようになりましたが、恒星までの距離はわかりませんでした。年周視差の測定ができれば、三角測量の原理によって恒星までの距離がわかります。最初に視差が測定されたはくちょう座61番星までの距離を見積もると、約11光年。その後すぐに、こと座α星とケンタウルス座α星の年周視差も測定され、距離を導き出すとそれぞれ約25光年と約4光年でした。
これによって、太陽系の外にある恒星は天球に張り付いているのではなく、まちまちの距離にあることがはっきりしたのです。
《続きは次回、vol.04をお待ちください》
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松原隆彦
1966年、長野県生まれ。高エネルギー加速器研究機構 素粒子原子核研究所(KEK素核研)教授。博士(理学)。京都大学理学部卒業。広島大学大学院博士課程修了。東京大学、ジョンズホプキンス大学、名古屋大学などを経て現職。専門は宇宙論。日本天文学会第17回林忠四郎賞受賞。著書多数。
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