愛しているかはわからない、でも味方ではいたい
結婚して初めて小学校の授業参観に行った日のことは忘れない。
私の人生で、初めての授業参観〜親目線ver.〜!
校舎に親がたくさん・・・!!!
みんな産んできた人なんだ・・・
この脚の間から、このお腹から、子ども出したことある人達なんだ・・・・
学校に来ているお母さんたちみんなをそう思いながら見ていた。
私は、産んでないんです…!
主人の連れ子のお母さんやってて、
みなさんのようなベテラン母ではなくて、、
誰にとってもどっちでもいいことだろうけど、
ぜったい誰もそんなこと考えて参観に来てないけど、私の中ではすごい疎外感。
一大イベントをすっ飛ばしてここに来ていることに
なんだかものすごく違和感。
それぞれの親たちの出産シーンを想像していたら疲れてきたので
視線を子どもたちに変えてみた。
いっぱい、子どもがいる。
いろんな子どもがいる。
身体つき、肌の色、髪の毛の長さ、授業中の動き方、
当たり前だけど、いろんな人がいる。
自分では選べないクラスメイト。
まだ未熟で、でも成長途中の人間たち。
大人になると、気の合う人と一緒にいることが増えていく。
嫌なことがあれば、話し合うか、距離を置くか、いかようにもできる。
でも小学校ではそうはいかない。
1年間このクラスで体育も給食もペアワークも移動教室もある。
彼らにとっての社会がスタートしているのだなと実感した。
同時に、いろんな子どもがいて当たり前だと気づく。
私とは気が合わないと思っていたボーイも、こうして40人の中の1人として見るとやはり仲間のような、身内感が湧き出てくるのも事実だった。
もしボーイがいじめられるようなことがあれば、
理由がなんであれそいつは敵だ。
愛しているかはわからない、でも味方ではいたい。
そんな気持ちが湧き出てきた。
3年生くらいまでは授業参観に行くとニコッと笑ったり、手を振ってくれたりしてかわいかったボーイが、
4年生になったとき、無表情&無視に変わった。
ショックだった、、
そしてムカついてきた、、
そんな冷たい態度とらなくても!!
せっかく来てるのに、、、!
愛想笑いくらいしろや!!!!
かなり、本当に嫌だったので私はそれから学校行事に行かないことも増えた。
旦那さんだけ行ったり、旦那さんと一緒に行っても手を振らないようにしたり。
楽しみだった授業参観がモヤっとする行事になっていたある日、ボーイが言った。
そういえば、、これ、言っていいのかな。。
なんかクラスの●●(女子)が、お母さんのこと
なんか、
かわいいねって、言ってた・・・
ほぅ、、。
紛れもない若くて(過去記事参照)かわいい母認定をされた。
されてしまった。
それ以降私は欠かさず参観に向かうのであった。
ちなみにボーイは今のところ授業後に近づいてきて話はしてくれるようになった。
彼なりの気遣いと思われるがそれもモチベーションに繋がっている。
結局私は子どもの成長を見るために学校に行くのではなく、私のことを見てくれるボーイ(とファンたち)のために行っている。
こんなおかんは、少数派なのだろうか。