1月の高松・直島旅行②波乱の直島
2日目は日帰り直島行き。大波乱であった。文字通り。
高松港から、直島行きのフェリーは8時ちょっとに始発が出る。早起きをして向かう。
待ち構えていると到着したフェリーからは、種々の乗客に混じって制服を着た高校生たちが三、四群ほど降りてくる。あとで聞くとこの日は高校の始業式だったらしい。島には中学までしかないので、彼らは島から本土へ通学しているのだ。
船はめっぽう綺麗である。瀬戸内芸術祭の時期には大量の乗客を運ぶのだろうがこの時期はがら空きだった。トイレに入ったらごくごく普通の商業ビルのようなトイレで、飛行機や新幹線のトイレを想定していた私はびっくりした。フェリーという乗り物、小型艇以上のものに乗ったのは初めてだったのである。
1時間で直島に着く。連れたちはとある施設に団体見学の申し込みをしてあって、私はあまり興味がなかったのでそれを抜け出し単独行動をとることにした。
フェリーの到着に合わせて島内循環バスが出ているので、素早く離脱してそれに飛び乗る。島を南北に縦断し、反対側の港に出るのであるが、ほんの5分も走ればもう着いてしまった。そういう大きさの島である。
北側のエリアは「本村」と呼ばれていて、ベネッセ財団による「家プロジェクト」と呼ばれる地域アートが行われている。元々の集落の中に、古民家を利用したり何かの跡地を使ったりして、インスタレーション・アートが設営されているのである。これを一周してみるつもりだった。ただ開館は10時からなので、小一時間の猶予があった。
集落をぶらぶらとしていると、路地の向こうに鳥居が見えた。参道は斜面を登り、うすぐらい中へ消えている。時間もあるし登ってみることにした。山門を数歩くぐったあたりで、既に並々ならぬ予感がしていた。
直島・八幡神社。
明らかな地霊の気配を感じた。
地霊、とここで言うのは、おそらくは信仰の場がまだ生きているという意味である。おそらくは、と言うのは、「生きている」にかかっているのではなくて「意味である」にかかっている。私が、例えば山門の中に納められているのが古い木彫像ではなくて地域の何らかの芸能人形であるらしいことや、石段の狭い脇に身をよじるようにしてあるクスノキの巨木の生命力とそこに差し込まれた賽銭から感じる参拝者の情念、そして本殿の「賽」の字のなまなましさなどを、無意識の背後に積み重ねながら歩き、そしてその重みを言語下に感じ取った結果が、そういうふうなのだろうと思う。言葉にするのは野暮である。二度と書かない。
本殿は小高い場所にある。登りきったところでちょうど突風が吹き、松葉が飛んできて刺さる。痛い。
賽銭箱の横に素朴に置かれた「おみくじ」は、引いたあとどうするかというと、石の祠の前の木の枝からさがった縄に結ぶらしい。初めて見た。感動もの。これこそが生活である。
この小高い丘は海に面していて、眺めも良い。
それにしても風が強いので、名残惜しくも下山して当初の目的ルートへ戻る。「家プロジェクト」。
共通券を購入し、集落の中を巡りながら点々とあるそれを見ていく。
数点だけ取り上げることにするが、群を抜いて「南寺」が良かった。ジェームズ・タレルによる光を使った体験型アートで、ネタバレは避けるが、完全に騙された。
対して「護王神社」はちょっと納得いかない部分もあって、これは実はさっき行った八幡神社の裏手からそのまま続く同じ神域の中にあったのだった。八幡神社がアートの手を加えずに良すぎたので、そこからの印象があるのかもしれないが……現代の手による改造がどこまでなのか、記録や取材を読んで確認してから自分の中での感想を定めたい。
途中で「本村ラウンジ&アーカイブ」に立ち寄ったところでトラブルが判明する。
さっき八幡神社で言及した突風。あれは実は伏線でした。なんと、強風によりフェリー・高速艇全て欠航。再開の目処は不明。わーお。
島への旅というのはこういうこともありますね。旅程には余裕をもって! 幸い閑散期だったので、万一終日欠航となり本土へ帰れなくなっても島内の宿を抑えられることを確認し、慌てず騒がず観光を続行する。
家プロジェクトを一周し、最初に着いた港へ戻ると、波は荒れ狂い、港にはフェリーの再開を待つ車と人の列ができていた。それを横目に腹ごしらえ。
ヒラメの唐揚げ定食、絶品。
肉厚のヒラメがどーん!と丸ごと薄唐揚げになっている。パリパリとした皮とまぶされた塩気だけで箸が止まらないが、ポン酢を振っても最高。女主人と思しきご婦人の、「高校の始業式に出た孫が帰って来られなくなっている」という話を聞きながらいただく。
連れと合流したので再びバスに乗って、次は地中美術館に向かう。島内を循環するバスはベネッセが支配するエリアの手前で引き返し、乗客は私設送迎バスを待つことになる。
浜辺には海に向かってたつ鳥居が、激しい風波を受けていた。隣に立つ人の声も聞こえない。
さて、地中美術館である。
ここでは直島というものの総合的な判断について言及したい。
一言(ではまとまらなかったので二言)で言えば、直島を好きになる人、そうでない人というのは、
第一に安藤忠雄が好きかどうか、
第二にここでの体験を自ら主体的に受け入れる気で来ているかどうか、
という点で分かれるのではないか。そんな気がする。
直島は生きた町である。私は八幡神社で、あるいはそこに至るまでの路地で既にそれを感じた。芸術とともに生きることは仮にあってもアート財団とイコールで存在しているわけではない。「家プロジェクト」の一つ一つの建物は、(おそらく故意に)他の古い民家とは遠目にも区別がつくように外壁などを作り込まれている。安藤忠雄の巨大な石棺のような美術館は、アートを柱に作られた一種の仙境である。これを受け入れられるか。そういうつもりで踏み込んできているか。これは我々鑑賞者の側の心構えの問題である。「どんなものがあるの?」の気持ちでは多分、楽しくない。「なにを見出すか?」である。そして良しとするかどうかは、また次の次元の問題である。
ちなみに私は、それほど好きではありませんでした。安藤忠雄建築、うーん……。分からん。でもジェームズ・タレルは良い。ただ地中美術館にある作品より「南寺」の方が私は好きだな。あと、草間彌生をこれまであまり好きではなかったのですが、ぐんと良さが分かりました。あの荒れ狂う海の前にあって草間彌生のカボチャは微動だにしていない(物理的な話ではもちろんない)。あまりにも圧倒的に強い。
地中美術館内のカフェでお茶を飲んでいると雲間から光が差してくるのが分かった。終フェリーの一時間前に余裕をもって港に戻ると、船便は復旧していた。めでたしめでたし。帰れなくなって延泊することになったとしても、それはそれで楽しかった気もするが。夜の集落もちょっと見てみたかった。
嵐のあとの海は美しいが、夕暮れは一瞬。真っ暗な高松へ戻り、そのまま一路空港へ。空港の中のうどん屋であわただしく夕食を取り、一泊二日の高松旅行は終わりました。心残りは、うどん県に二日もいたのにうどんを2杯しか食べられなかったことです。こんなことでいいのか!
直島。
まあ、行く前にやっておけという話ではあるのですが、そこはネタバレなしに見られたというプラスの面を見ることにして……
ちょっとぴんとこなかった作品もあるので、解説を求めてこのあたり読んでみようと思います。