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紅葉を見ようということになり、「いい寺があるらしい」と言い出したのは年上の仲間で、幾人かで連れ立って出かけた。初めて降りる駅前の、ロータリーから出るバスに30分も揺られれば、そこには確かに素晴らしい赤が広がっていた。 皆大喜びでカメラを構え、群生したもみじを撮った。光の良い時間というのは短い、のだという。全体が深い森なので、そのあいまのもみじに美しく光が当たる場所を探し移動していく。 私はそれにすぐ飽きて、ひとりうろうろとしているうち、寺の裏に出た。 「奥に水車小屋があ
子供のころ近所の公園に生えていた木々を、私はひと種類ひと種類見分けられていたように思う。ただそれをどんなふうな名前で読んでいたのかを覚えていない。 母は植物に詳しい人だったので、名前はきっと母に教えてもらったはずなのだが、いまとなってはそれが、図鑑に載っているただしい名前だったのかどうかは分からない。 かすかな記憶によれば、私はそれらを、生え方や葉の形というよりは木肌の感じで覚えていたのだったように思うのだが、いったいそんなことは可能なのだろうか。あるいは単に、空想の友達に
別れた恋人にもらったカメラが手元にある。 私たちは正直あまり会話が弾まないカップルだった。なりゆきで付き合ったというか、単にお互いにとって恋愛ごとのリハビリじみた試行でしかなかったと言ってもいい。そこでおそらく何か共通の趣味のひとつでもあれば変わるのではと考えて取り出されてきたのがそれだったのではないかと思う。 その人の家の近くの公園をぶらぶらしていたときに「使ってみませんか」とカメラを渡されたのが秋だった。 だから最初はもみじの写真から始まった。 色のある写真も撮った