大学生の上原さんはある地下鉄を利用している。その日は授業が昼過ぎということで、幾分ゆっくりと家を出た。地下鉄の入り口にたどり着き、ホームへ向かう。電車は時刻通りの到着予定。上原さんはホームで待つ。大学の最寄駅まで2駅。時間にして10分ほどだ。ただ電車待ちの中、周囲から何かが聞こえる。それは鈴の音だ。まるで糸に鈴を吊るし、人が手に取り揺らしたような音。(チリン…チリン)何処から聞こえてくるのか?鈴なんて誰が持っているのだ?辺りを見回しても分からない。乗車後、ドアが閉まり電車が動く。ガタガタと移動する車体、それに加えて乗客の声。騒々しさに包み込まれる。けれど鈴の音は打ち消されるどころか、より一層耳に入っていく。ホームから離れたのにだ。それがまた心地よく耳に入る。そのせいか、彼はだんだんと眠気に襲われた。昨日は充分睡眠を取ったはずだ。たった2駅だ、我慢してやる。そう意気込み、上原さんは吊り革を掴むがよろけてしまう。瞼が落ちそうになりながら、辺りを見回す。座席の空きを見つけ、隣の迷惑も考えず、上原さんは席に勢い良く腰をかけた。その間も鈴は鳴り続けている。心地よさは最高潮に達した。一駅超えずに我慢出来ない。上原さんはまるで気絶するように眠りに落ちた。そして身体を揺すられる感覚で目が覚める。駅員が怪訝そうな顔をし、上原さんに声をかける。「終点ですよ」彼は驚き立ち上がった。元の駅に戻っている。かなりの時間眠りについていたようだ。(どうやら路線を一往復したようだ…)上原さんは自分に呆れる。固まった身体を無理矢理起こし、地下鉄出口から外へ出た。すると景色の一変に絶句した。空は暗闇に包まれていたのだ。「真夜中だ…」一往復どころでない、彼は終電まで何度も往復を繰り返し、眠りこけていた。その日は訳も分からず自宅へ戻ったそうだ。あれ以来鈴の音も聞こえなければ、電車の座席で居眠りすることもない。「只々あの鈴の耳心地の良さだけは忘れられない」と彼は語った。
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