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父と息子

 逸人さんは父に溺愛されていた。幼い頃の父に瓜二つだったからだろう。ある夏の夜、父と地元のお祭りへ参加した。買ったばかりのお揃いの甚兵衛を纏う。それが嬉しかった。神社の敷地内に出されていた出店を回る。迷子にならぬよう手を繋ぎ、たこ焼きや綿菓子を催促した。父もはしゃぐ逸人さんの姿を見て、笑顔だ。「金魚救いするか?」「いいの? やった!」2人で祭りを楽しむ。金魚救いを終えた後、連なっている出店を見渡すとお面屋が目に入った。けれどそのお面屋は一風違った。子供心がくすぐられるようなデザインが一つもない。普通ならアニメキャラのお面が沢山並んでいるはずだ。その店に置かれている面は、見知らぬ人間の顔を模ったような物ばかり。逸人さんはそのお面達を眺めるうち、何故か魅了されていく。父の腕を強く引っ張り声を掛ける。「お父さん、このお面が欲しいよぅ」彼は指さした。そんな逸人さんの言葉に、父は珍しく難色を示す。「ここのお面だけは我慢しなさい」いつもなら自分の要望に応える父が、首を縦にふらない。それが異常に不満だった。癇癪を起こし、周りが奇異な目で見るほど大声で叫んだ。「やだよ! 買って!」

———そんな我儘を言う奴はうちの子じゃなくなるぞ
それでも逸人さんは食い下がる。結局、根負けをした父は彼に面を買い与えてくれた。見知らぬ子供の顔をした面。何故それを欲しがったのか分からない。ただその時は満足感に浸った。気分よく面をつけ、家路に向かう。父は彼と手を繋がず、前を歩いていた。(我儘を言ったから怒っているのだろうか? きっと明日になれば元に戻るさ)そんな軽い気持ちでいた。自宅につき、付けていた面を取り外す。そして部屋に入ると、ガラス窓に薄らと自身の顔が映った。違和感を持つ。すぐに鏡がある洗面所へ向かう。そして目を疑った。鏡に映る顔は、逸人さんとは別人だからだ。何処となく買った面と似ている。面をしている訳でもない。頭が混乱していると、後ろに父が立っていた。
「だから言ったよな?」父は冷たい表情で言葉を吐き、その場を去る。たった数刻で逸人さんは別人の姿に変貌し、父との間に大きな溝が出来た瞬間だった。成人後、彼は親子の縁を切られ、父と二度と会うことはなくなったそうだ。あのお面屋を思い出す度、逸人さんに後悔の念が浮かぶ。

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