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アメリカンな浪花節映画。小津安二郎『非常線の女』ネタバレ感想文
1933年(昭和8年)、小津安二郎30歳頃の無声映画。
まだ小津スタイルは確立していないけど、本質的な何かは小津っぽい。
小津がアメリカ映画好きだったことは知っていましたが、その影響を(分かりやすく)受けた作品を実際に目にしたのは初めてかもしれない。
まさかのギャング映画。ギャングというか愚連隊?
原案の「ゼームス槇」なる人物は小津安二郎の別名だそうなので、小津はノリノリでこの話を書いたのだと思われます。まさか小津映画で拳銃が出てくるとは思わなかった。ま、ノリノリだったかどうかは勝手な推測ですけど。
あと、小津映画なのにカメラが動くんですよ。伊藤大輔か!ってくらい(<それは言い過ぎ)。
後の小津常連カメラマン厚田雄春の名が撮影補助にありますが、いわゆる「小津スタイル」はまだ確立されていません。
でも、レールでカメラは動かしてもパンはしない。あと、おそらく既に「ローポジション」ではある(たぶん)。
そうした撮影スタイルに、後の小津らしさを感じる部分もあります。
もっとも「小津だから」と思って観てるからではあるんですけどね。
しかし私がこの映画で感じた「小津っぽい本質」は、そうした表層的な面ではありません。
実は私、小津映画って意外と「世相」を取り入れている気がするんです。
『お早よう』はテレビですけど、本作はビクターの蓄音機(レコード)とか。『秋刀魚の味』なんか笠智衆がバーでママと楽しく語らいながら呑んでるからね。
嫁に出すだの出さねーだの毎度同じ話だと言われますが、本筋意外の部分で世相が反映されていることが多い。
むしろ、変化する世の中を横目にしながら変わらない話を描くことで、「世の中変わっていくけど、人の心まで変わっちゃおしめえよ」と言ってる気がするのです。それが小津映画の本質。なんだか私はそんなふうに思うのです。
この映画では、洋装と和装の女性を対比させることで時代の変化を描きつつ、時代に流されそうになる半端者の生き方に対して「真っ当に生きましょうよ。人の心まで変わっちゃおしまいよ」と言ってるのです。
なんだかいい話ですよ。普通に面白いし。
ただね、やっぱりまだ小津スタイルは確立されていないんですよ。
確立されれば「嫁入り話」に吸収できるんですが、「犯罪物」「男と女」で「真っ当に生きましょう」とか言い出したらコッテリ「浪花節」になっちゃう。全然アメリカンじゃない。
余談
ビクターから広告料が出たのかどうか知らないけど、小津は『東京暮色』でも本屋の丸善とか大丸デパートとか真珠のミキモトとかを出してるんだよね。鈴木清順『東京流れ者』のドライヤーが責められる筋合いないと思うんだ。
(2020.12.27 早稲田松竹にて鑑賞 ★★★★☆)
監督:小津安二郎/1933年 松竹蒲田