映画『ドキュメンタリー オブ ベイビーわるきゅーれ 』 ヘラヘラ観てて申し訳ない(ネタバレ感想文)
映画製作現場を描いたこの手のドキュメンタリー映画っていつ頃からあるんでしょうね?
DVD特典のメイキング映像なんかで慣れちゃってますけど、それとドキュメンタリー映画は似て非なるものだと思います。
ドキュメンタリーって「真実」みたいなイメージで受け止められますけど、製作者の意図が介在するものであって、必ずしも客観的ではないんですね。
ちょっと話がズレますけど、本作もそうですし、大概のメイキングを見ても「申し訳ない」って思っちゃうんですよね。
映画製作現場のものすごい苦労が伝わって来るじゃないですか。
それをね、こっちは鼻クソほじりながらヘラヘラ観て、おもしれーだのつまんねーだのマジヤバイだの、一言で済ませちゃたりするわけですよ。
本当に申し訳ない。
もっと作り手の熱意を受け止めて感想を述べなければいけないと反省。
で、作り手の意図が介在するドキュメンタリーという「作品」は、ただ、撮影現場を写すだけでは意味がないんですね。
そこがメイキングとの根本的な違い。
まあ、黒澤明くらい巨匠になると、その撮影現場を記録すること自体が貴重な作品なんで別物ですけどね。監督のドキュメンタリーって、晩年の黒澤辺りからじゃないかしら?
まあ、それ以前の巨匠たちの時代には、ビデオみたいな手軽な撮影機器が無かったという事情もあるでしょうけど。
それはさておき、ドキュメンタリー作家は、「作品」のためにある程度企画意図を持って撮り、予想外の展開を迎えても明確な意図を持って編集するわけです。
その結果、もう撮影が地獄で映画完成せんかと思った『ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録』(1991年)とか、
何度もポシャって全然撮れんわ『ロスト・イン・ラ・マンチャ』(2002年)とか、
企画ヤバすぎて実現せんわ『ホドロフスキーのDUNE』(2013年)とか、何ていうのかな、ド凄いものじゃなきゃいけない感じがあったんです。
ド凄いっていうか、狂気。ピンク・フロイド。コッポラもギリアムもホドロフスキーもキチ●イ。マジで。
そう考えると、本作はメイキング寄りなんです。
満員だった観客は、皆「ファン感謝祭」的なノリで映画館に足を運んだと思います。実際、私もそうでしたからね。
でも、実は結構「ドキュメンタリー」だったように思うんです。
もしかすると撮影開始時の意図は「日本最高峰のアクション現場の記録」と「ちさととまひろの素顔」を撮ることだったかもしれません。
それだけで終わっていたら「メイキング」。
結果、この映画に映っていたのは、高石あかりと伊澤彩織という「人間」だった。ちさとではなくあかり、まひろではなく彩織の「素」。
それを一瞬でも切り取れただけで、ドキュメンタリーとしては成功だったように思います。
しかし、池松壮亮君の「素」は最後までわからない(笑)
(2024.10.13 新宿ピカデリーにて鑑賞 ★★★★★)