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まるで溝口みたいなサディスティック映画。『風の中の牝鷄』ネタバレ感想文
小津作品の中で「失敗作」として有名な(?)、1948年(昭和23年)作品。
小津安二郎45歳頃。復員して2作目だとか。面白かったですけどね。
ああ、でも修復はしてほしいな。早稲田松竹で観たんだけど、音が酷いったらありゃしない。
当時不評だったそうですよ。
佐藤忠男によれば「敗戦の苦しみと未来への希望を描くありきたりの戦後風俗映画」が当時多く、小津ですらそんなものを撮ったのかという失望感があったとかなかったとか。
後に再評価もされていないんですよね。
だって、まさか小津がこんなサディスティックな映画を撮るなんて思ってもみないじゃないですか。溝口健二じゃないんだから。『山椒大夫』なんか世界一陰惨な映画だぜ。
つまり、スルメのように噛めば噛むほど味がある小津映画なのに、二度と観たくない話なんですよ。この映画を何度も観て参考にするのは『蒲田行進曲』のヤスくらいですよ。
でも、今となっては、不評でよかったのかもしれません。
この反省からか、次作『晩春』から全作「小津安二郎&野田高梧共同脚本」になり、お馴染み「小津的小宇宙」が確立されていくのです。
(同時上映で観た)『非常線の女』でも書きましたが、小津は意外と「世相」を取り扱うんです。もし本作が好評だったら、小津はもっと社会派寄りの作風になっていたかもしれません。実際、しばらく後に『東京暮色』という超絶暗い映画を撮ってますしね。
では、この『風の中の牝鷄』で小津は何を描こうとしたのか?
これまた『非常線の女』でも書きましたが、「世の中変わっていくけど、人の心まで変わっちゃおしめえよ」なのだと思うのです。
敗戦ほど世の中が劇的に変化した時はない。
では、田中絹代の気持ちが変わったのだろうか?
いや、彼女はむしろ「気持ちが変わらない」からこそ、行動に出たのだ。そうせざるを得なかったからだ。
では誰の気持ちが変わったか?
もちろん佐野周二だ。
妻の行動を聞かされて、やむを得なかったと頭で理解しようとしながら「気持ち」が追いつかないのだ。
これはいったい何の命題だろう?
私は、復員してきた小津自身の投影ではないかと思うのです。
敗戦で世界が激変した中で、自分自身を見失いそうになるけれども、全て忘れてやり直そう。
これは、そういう映画だったのではないでしょうか。
興行的に失敗したけれども、小津自身の気持ちの整理のために必要な一作だったのかもしれません。
もっとも、小津自身、納得いかない作品だったようですけど。
(2020.12.27 早稲田松竹にて鑑賞 ★★★★☆)
監督:小津安二郎/1948年 松竹大船