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幸福になって、不幸になって、慌ただしい

大人になると、はっきりとものを言うのが怖いときがある。
ひとつの気持ちを伝えるのも戸惑うことがある。そのひとことが波紋を呼ぶときもある。時に、誰かを幸福にしながら、他方では誰かを傷つけることにもなりえる。はっきり言えないこともまた多い。

でも、なにも発言できなくなったらどうなるのだろう。精神の健康は保たれるのだろうか。その体験を綴った1冊がある。
「小保方晴子日記」。まさに、タイトルのひとこそ、世間から発言を奪われた人のひとりだ。

STAP細胞はあります。
という、あまりにも有名な一言のあと、彼女は世間から抹殺された。でも殺された訳ではなく、彼女は生きている。生きたまま抹殺されたのだ。
私自身に、科学に関する知見はまったくないのでその真偽については何も言えないが、彼女自身の日々を生きる者としてのなまの声がこの1冊に記されていた。非常に生々しい。

STAP細胞の発表とともに世間から、世界から注目を浴びた一人の若い女性は間違いなく幸福を感じていただろうと想像する。世の中のために役立つことを願ってつきつめた道にひとつの真理を発見し、賞賛を浴びる。それは幸福以外の何物でもない。しかし、まもなく事態は一変。まっさかさまに落ちてしまう。その中には、おそらく彼女をとりまく壮大な”計画”があったのだろうと推察する。

結果、彼女は世間に対して、一言も発言できなくなった。「彼女の真実」を話すことも、また「彼女の真実を探し出す」こともできなくなり、すべては「黒」という結論ありきのバッシングが始まる。真実がどうであれ、世間も、理化学研究所も、早稲田大学も「黒」であることを望んだのだ。そして彼女は外出もできず、記者に見張られ、スーパーにも行けず、食べるという行為すらできなくなる事態に陥る。すべての発言が「嘘」ととらえられ、存在そのものが否定され、自分自身ですら存在意義がわからなくなる。言葉を奪われるのは、あまりにもむごい。
花道を歩いていたはずが、生きながらも言葉を奪われ、見えない存在にまで落とされてしまう。そんな彼女を思うと、全身を針で刺されるような感覚を覚える。

私たちは、常に白黒つけたがる。自分に関わることも、関わらないことも。そして同調を求めたくなる。椎名林檎の「おとなの掟」にこんな歌詞がある。

  そう人生は長い、世界は広い 自由を手にした僕らはグレー
  幸福になって、不幸になって、慌ただしい

切実に生きればこそ、白黒つけるのは正しいようにも思うけれど、グレーだっていいのだ。逃げるのではなく、許すということでもある。誰が真実なのか、なんてない。
黒と白はオフトレードなのだ。

曇り空だった今日1日、
小保方晴子さんが穏やかに過ごしていますように。

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