桜舞うときに思うこと
つい先日、一人でお花見をしてきた。
ゆっくりと桜を見て歩いたのはいつぶりだったかな。
日差しも風もまろやかになり、
蟻も活発な姿を見せ始め
すっかり春になったことを体でも感じることができた。
お花見というと、ふと思い出す光景がある。
私の祖父母は飲食店を営んでおり、
常連というお客さんもそこそこの数いた。
特に仲のいい常連さんとは一緒に花見をすることが
私が小さい頃の年中行事でもあった。
家から車で行く距離ではあるが、
桜並木があり、その並木沿いにある施設には
様々な種類の桜の木が植えられていた。
桜並木の木と木の間に大きいシートを敷き、
2Lサイズの飲み物やお酒、色々な食べ物を並べ、
夕方近くまでワイワイしながら
20人近くの人数で飲み食いした光景を思い出す。
その時に飲み食いしていたものは、
今思うとおそらく祖父母が用意していたものだったかと思う。
特に仲がいい常連さんを呼び、
何かを振る舞うのはお花見だけではなかった記憶がある。
私の記憶が確かならば、私が幼稚園くらいの時に、
幼稚園の行事が終わった後のご飯にも常連さんを呼んでいたはずだ。
※だいたい呼ぶ常連さんは、私が生まれる前どころか
母が結婚する前からのお客さんで、私も顔なじみの人たちだった。
環境要素が多いと思うが、本当に多くの人に成長を見守られていたと思う。
なんというか、こう、祖父には
仲よくなれば気前のいい飲み屋のおやっさん的なところがあり、
自頭もいい人だったので、会話もうまく、
周りの人たちは常に笑っていた記憶がある。
今でも思い出せる、小さい頃に見たお花見の風景。
その風景の中で笑っている人たちの大半は、すでに天国へ旅立っていった人たちだ。
その祖父も【大半】に含まれている。
河津桜が咲き、二日月の夕暮れが紺色に染まり始めたころ、
花見で一杯、月見で一杯と
なんとも祖父らしい時に旅立っていった。
天国にもお花見する場所はあるのだろうか。
あるとしたら、きっと祖父たちは集まって、大きいシートを敷いて
ワイワイ楽しくしているのだろう。そうとしか思えない。
そしてきっと、向こうでも知り合った人とかが新しく参加しているのだろうなと
あの時と変わらない祖父の笑顔を思い出したりする
花筏な今日この頃だったりするのです。
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