息子が「ママに”可愛いよ”って言ってるのに、ぜんぜん信じてくれない」と悩み、こっそり先生に相談していた話
うちの妻が抗がん剤での治療を始めて、二か月ほど経った頃――副作用の「脱毛」が、始まってしまった。
もちろん、抗がん剤の副作用のひとつに、「脱毛」があるのはよく知られているし、僕も主治医の先生からも話は聞いていた。特に女性は、この脱毛が始まると、大きなショックを受けてしまうことが多いことも。
そしてそれは、うちの妻も、決して例外ではなかった。
髪や眉毛、まつ毛が抜けていく姿を鏡で見るたびに、妻は「わたし、可愛くない」と言うようになってしまった。
いくら僕が「君の可愛さは少しも変わらないよ」と言ったり、「治療が終われば、またすぐに元に戻るよ」と言っても、まったく響かない。
いったいどうすれば、そんな妻を元気づけられるものか? と、僕なりに悩んだりもしたのだけれど――
結局のところ、そんな妻に「わたしは、ちゃんと可愛いんだ」と笑顔が戻ったのは、残念ながら僕の言葉ではなく、小学生になったばかりの息子の行動がきっかけだった。
僕がどれだけ言葉を尽くすよりも、息子の行動の方が、妻にとってはよほど効き目があったらしい。
パパとしては誇らしく思いつつ、夫として少しだけ嫉妬する。
――今日は、そんな話をしようと思う。
*****
妻の「病めるとき」に夫は実に無力だった
妻は、乳がんの闘病中で、抗がん剤での治療を受けている。
病院に通院し、点滴で抗がん剤を投与することで、手術の前に、できるだけがん細胞をやっつけるのだそうだ。
治療を開始してから二か月が経ち、――副作用の「脱毛」が始まった。
前もって主治医の先生からも「まだ若い患者さんだと、副作用の中で一番辛いのは、この脱毛かも知れません」と、聞いてはいた。
もちろんウィッグだって準備していたし、バンダナや帽子だって買ってあった。
けれども、やはり妻にとっては、自分の髪や眉毛、まつ毛がごっそりと抜けていくのはショックだったようだ。
やがて、妻は鏡に映った自分の姿を見るたびに、「わたし、可愛くない」と言うようになってしまったのだ。
このとき、僕は実に無力だった。
「気にしすぎだよ。きみはいつだって可愛いよ」
「薬が効いてる証拠だから」
「大丈夫。先生も、”脱毛は一時的なもので、抗がん剤の治療が終わったら、ちゃんとまた元どおりに生えてくる”って言ってたじゃん」
なんて、そんな言葉を僕がいくら重ねようとも、妻のしょんぼりとした表情を、笑顔にすることが出来なかった。
わが家のムードメーカーな妻の笑顔が曇ると、それだけで家族の雰囲気も暗くなってしまう。
このままじゃ良くない。
それはわかっているけれども、これといった解決策も見つけられず。
――そして息子も、どうやら僕と同じように、「なんとかママを笑顔にしたい」と悩んでくれていたらしい。
そのことに、僕も妻も、まったく気づくことが出来なかった。
なんともお恥ずかしい限りである。
*****
妻を笑顔にしてくれたのは、息子のこんな行動だった
そんなある日のことである。
僕は仕事の都合でオフィスに出勤することになっていたので、夕方の学童へのお迎えは、妻にお願いしていた。
ちなみにうちの息子のコトが通う学童は、コトが0才の頃から通っている保育園が運営している。そのため、生まれた頃から見知っている先生や友達が多い。
コトは、小学生になったあとも、週に5日ほど、放課後の時間を過ごさせてもらっていた。コトにとっては、人生の中でおうちの次に長い時間を過ごした、もはや第二の我が家のような場所である。
そんな学童の預かり時間が終わる夕方。
明るめの茶髪のウィッグをつけた妻がコトを迎えにいくと、妻の病気のことを知っている馴染みの先生が、小声で、こっそりとその日の出来事を教えてくれたという。
「コトくん、相談があるんだって言って、私に話してくれたんです。
”――最近、ママに『かわいい』って言っても、信じてもらえないんだ。
どうすれば、ママはかわいいって、信じてもらえるかな?” って」
それを聞いた妻は、あやうくその場で泣くところだったそうだ。
その気持ちはとてもよくわかる。僕だって、この文章を書いている今、涙をぐっとこらえているくらいだ。
そんな相談を受けた先生は、コトをその場でぎゅーっと抱きしめて、こう言ってくれたそうだ。
「コトくんは、とーっても優しいね! そうだね、きっとこんな風にぎゅーって抱きしめながらママに言えば、きっとコトくんの気持ちが伝わるよ」と。
もちろん、いままでだって、僕もコトも、ママをぎゅーっと抱きしめて「かわいい」と言うことはたくさんあった。
だから、先生に相談する前とあとで、特別に何かやることが変わったわけではない。
けど、息子のこの相談が、妻が笑顔を取り戻すきっかけになった。
そりゃそうだ。
――本当に心からママのことを”かわいい”と思っていないと、誰かにこんな相談をしたりしないんだから。
*****
その日の夜、息子は「ママは今日もかわいいね!」と言って、ぎゅーっと妻に抱き着いた。
すると妻も、本当にうれしそうに、息子をぎゅーっと抱きしめ返しては、「ありがとう。コトくんにそう言ってもらえると、ママはうれしいよ!」と言う。
そして僕は、そんな妻と息子を、こんな風に言って抱きしめるのだ。
「ずるいぞ、僕も混ぜてよ。二人とも可愛い! 家族みんなで、ぎゅーっ!」と。
こんな風に家族で過ごす時間が、何よりも何よりも、愛しく思う。
いやはや。
結局、僕が100の言葉を尽くすよりも、息子が1の行動を起こした方が、妻の笑顔が増えるんだから、パパとしては息子の成長が誇らしい反面、夫としては少しだけ嫉妬してしまうのは、ここだけの秘密である。
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あとがき
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