ぺんたぶ

エッセイや小説を書いたり、会社で働いたり、妻に恋に落ちたり、小学2年生のむすこのパパだ…

ぺんたぶ

エッセイや小説を書いたり、会社で働いたり、妻に恋に落ちたり、小学2年生のむすこのパパだったり。 ここでは、140字では書き切れないことを。 既刊:いまどうしてる? 恋してます。/ 作家彼女。/ ハキダメ。他(いずれもKADOKAWA)

マガジン

  • むすこの話

    5才になる息子のコトのおはなし

  • 仕事のはなし

    銀行員の話、作家の話 などなど

最近の記事

  • 固定された記事

息子が「ママに”可愛いよ”って言ってるのに、ぜんぜん信じてくれない」と悩み、こっそり先生に相談していた話

 うちの妻が抗がん剤での治療を始めて、二か月ほど経った頃――副作用の「脱毛」が、始まってしまった。  もちろん、抗がん剤の副作用のひとつに、「脱毛」があるのはよく知られているし、僕も主治医の先生からも話は聞いていた。特に女性は、この脱毛が始まると、大きなショックを受けてしまうことが多いことも。  そしてそれは、うちの妻も、決して例外ではなかった。  髪や眉毛、まつ毛が抜けていく姿を鏡で見るたびに、妻は「わたし、可愛くない」と言うようになってしまった。  いくら僕が「君

¥500
    • 妻が入院の前日に「前開きのブラがない」と言い出し、僕と息子で買い出しに出かけたときのこと

       妻の胸にがんが見つかって、半年が経った。  長かった術前の抗がん剤治療もようやく終わりが見え、手術を受ける日程も決まった。  手術は、9月の上旬に行われる。  術前と術後を合わせ、だいたい二週間の入院が必要とのことだ。  この間、僕と息子のコトくんは、二人きりで過ごすことになる。  不安だらけの新学期にならないように、僕らは夏休み中から、念入りに新学期への準備をはじめていた。宿題は早めに終わらせたし、ボロボロになっていた上履きは買い換えた。短くなった鉛筆は新しいものに換

      ¥500
      • 味覚障害で料理の味付けが出来ない妻を、息子が「味見やさんですよー!」と助けてくれた話

         妻が抗がん剤による治療をはじめて、三か月が経った。  この抗がん剤だが、いろんな副作用がある。  有名なものとしては、脱毛や体の痛み、倦怠感といったものよく知られているが、実は「味覚障害」も、かなりやっかいなものである。  妻は、この味覚障害が強く出た。  何を食べてもおいしく感じられず、苦みを感じたり、味がしなかったりするせいだろう。  結果的に、妻はみるみるうちに痩せてしまった。  そして、妻自身の食事の問題だけでなく、――日々の料理においても、大きな問題が生じるこ

        ¥500
        • がん治療のための飲み薬が手に入らなかったとき、プロの仕事に助けられた話

           妻に見つかったがんの治療を、多くの人たちが支えてくれている。  主治医や看護師さんをはじめとした病院の方々はもちろん、――ほかにも、本当にたくさんの人たちが支えてくれている。  まずは、小学生になったばかりの息子のコトくん。  先日、こちらのnoteでも書いたが、副作用の脱毛に悩む妻に”ぎゅーっ”と抱きついて「ママ、かわいい」と、二カッと笑いかけてくれる。  これが、妻にとってどれだけ救いになっていることか。  そして、僕のXやnoteを読んでくれている読者の方。  

          ¥500
        • 固定された記事

        息子が「ママに”可愛いよ”って言ってるのに、ぜんぜん信じてくれない」と悩み、こっそり先生に相談していた話

        • 妻が入院の前日に「前開きのブラがない」と言い出し、僕と息子で買い出しに出かけたときのこと

        • 味覚障害で料理の味付けが出来ない妻を、息子が「味見やさんですよー!」と助けてくれた話

        • がん治療のための飲み薬が手に入らなかったとき、プロの仕事に助けられた話

        マガジン

        • むすこの話
          8本
        • 仕事のはなし
          1本

        記事

          息子が「パパのお父さんは、どんな人だった?」と、会えなかった”おじいちゃん”のことを知りたがった話

           僕の父は、いまから10年ほど前に、病でこの世を去った。    享年、60歳。  何年間も続いた闘病生活の間に、遠くないうちに”その日”がくるとわかっていたので、心の準備は出来ていたように思う。  僕も、――そしておそらくは、父自身も。  ただやはり、失う側からすれば、天寿を全うしたと言うには早すぎた。  だって、いま小学2年生の息子のコトは、僕の父に会ったことがないのだ。  ある日。  息子がふいに、「パパのお父さんは、どんな人だったの?」と聞いてきた。 ――今日は、

          ¥500

          息子が「パパのお父さんは、どんな人だった?」と、会えなかった”おじいちゃん”のことを知りたがった話

          妻の「がん」と、解決すべき”お金の問題”について

           今日は、妻が「がん」になったときに我が家が直面した”お金の問題”について、話をしたいと思う。  妻が「乳がん」の告知を受けたそのとき、いわゆるステージなどの進行度や余命の次に気にしたのが、この「お金」の問題だった。  がんの治療には、お金がかかる。そりゃもう、かかる。  たとえばこんな感じ。 「ちなみに、毎週抗がん剤を使って治療する――って言いましたけど、お金って、どのくらいかかるんですか?」  がんの告知で衝撃を受けたばかりの妻が、先生に聞く。  すると、   「そ

          ¥500

          妻の「がん」と、解決すべき”お金の問題”について

          妻が“がん”と告知されたとき、夫があれこれ考えること

          「病めるときも、健やかなるときも」――  そう誓った日から10年が経った、とある冬の日。妻が突然、「胸にしこりがある気がする」と言い出した。  2人で力を合わせて闘う日々が始まった、そのとき。  夫である僕が考えたあれこれについて、今日は話そうと思う。 ■ はじめに~前回の記事のお礼など  前回の記事 ”あの日誓った「病めるときも」が来てしまった話” は、全文を無料で読めるようにしていたにも関わらず、購入やサポートをいただき、本当にありがとうございました。   今回の

          ¥500

          妻が“がん”と告知されたとき、夫があれこれ考えること

          ¥500

          あの日誓った「病めるときも」が来てしまった話

          ■妻に”がん”がみつかりまして  もう10年も前の、とある夏の日。大きな教会で、僕と妻は、あの「健やかなるときも、病めるときも」という有名なフレーズで、どんなときも互いに助け合い、愛し合うことを誓った。  あれから10年が経った、ある冬の日のことである。    ――妻の胸の中に、「がん」が見つかった。    そりゃあ長い人生ですから、いつかは来るよねこんな日も。  ということで、この日このとき、この瞬間から、僕らがあの日誓った"病めるときも"のお話が、幕を開けたわけである

          ¥500

          あの日誓った「病めるときも」が来てしまった話

          子供の手づくりカードゲームほど恐ろしいものはない、という話

           とある夏の夜の出来事である。  5才のむすこのコトが不意に、「パパ! ママ! きいて! コトはね、すっごいおもしろいゲームしってるんだけど、やる!?」と、目をキラキラと輝かせながら聞いてきた。  断られることなど1ミリも想定していないその勢いに負け、僕と妻は「う、うん」と首をたてに振った。  すると、コトはすっくと立ち上がり、自分のおどうぐ箱から白い紙を何枚か、そして色鉛筆に筆ペン、ハサミなんかを取り出してきた。 「じゃあ、コトがじゅんびするから、パパとママはまってて

          子供の手づくりカードゲームほど恐ろしいものはない、という話

          いつか息子が大きくなって、僕の手を離れてしまう日が来ることを、少しだけ考えた日の話

           僕は知っている。いつか息子は大きくなり、やがて僕たち親の手を離れて、独り立ちしていくのだと。それこそ、かつての僕がそうだったように。  けれどもしばらくは、まだ僕のこの手を支えにして欲しい――と、そう思ってしまうのも、また親心だと思うのだ。  今日は、そんな話をしようと思う。 *** 「パパ! ぜったい、ぜーったい、手をはなしちゃダメだからね!」 「わかってるよ。大丈夫、パパに任せて」  休日、自転車用の道路での話である。  僕は、5才の息子のコトが、補助輪なしの

          いつか息子が大きくなって、僕の手を離れてしまう日が来ることを、少しだけ考えた日の話

          息子には好きなだけ絵を描いて欲しいと思う、そんな親心の話

           5才になった息子のコトは、絵を描くのが大好きだ。  特に最近、鉛筆をうまく握れるようになったからか、 「パパー! しろいかみ、くーださいっ!」  と、僕の書斎にやって来ては、コピー用紙を何枚か持って行くことが増えたように思う。  リビングの床にぺたりと座り、パウ・パトロールやトーマス、カーズといった、大好きなキャラクターたちのイラストを描くのが、最近のお気に入りである。  そして自分が納得のいくイラストが出来上がる度に、トテトテっといつもの足音を立てながら書斎に駆け込

          息子には好きなだけ絵を描いて欲しいと思う、そんな親心の話

          「お友達とは、また会えるよ」という話

           春は別れの季節だと、そう僕は思う。  幼い頃から、親の仕事の都合で、引っ越しや転校による別れを繰り返してきたせいだろう。雪国や都会、海の向こうの離島、暑い土地など、本当に様々な場所を転々としてきた。  別れのタイミングは、いつも春だった。  幼稚園の頃に、もう名前さえ思い出せない幼なじみと離ればなれになったのもこの季節だった。小学校や中学校の頃に、放課後に一緒に遊んだ友達と別れたのも、高校を卒業して親元を離れたのも、社会人になって初めての転勤も、いつも春の出来事だった。

          「お友達とは、また会えるよ」という話

          大企業とベンチャーのどちらを選ぶべきか? とインターンの学生に問われた話

           ある日、僕が働く銀行のオフィスで、スーツを着た学生たちとすれ違った。彼らは少し緊張した様子で、先導する人事部の行員のあとを歩いていた。  少し前まで、僕もインターンの学生たちに銀行の仕事を教えるのを手伝っていたことを思い出す。しかし、少しずつ年次があがり名刺の肩書きが増えるにつれて、学生の前に立つ機会はだんだんと減っていった。やはりインターンの対応は、学生と年が近い若手の役回りということなのだろう。  学生たちの後ろにも、何人か、人事部の行員がついて歩いている。  その

          大企業とベンチャーのどちらを選ぶべきか? とインターンの学生に問われた話

          「運動会がイヤ」と泣いていた息子がリレーのアンカーを走り、1位でゴールテープを切った話

          運動会当日の話  秋の休日の話である。  これ以上ないほどに運動会日和な秋晴れの空の下、5才になる息子のコトが、僕と妻の目の前で、運動会のリレーのアンカーとして走り、見事に1位でゴールテープを切った。 「やったーっ!」と、高々とバトンを掲げて跳びはねるコトの姿を見て、僕は思わず泣きそうになった。 「やばい、泣きそう」と言って妻の方を見る。 「え?」と振り返った妻は、すでに滝のような涙を流していた。  …………え?  「な、泣きすぎじゃない……? もっとこう、ポロッとか

          「運動会がイヤ」と泣いていた息子がリレーのアンカーを走り、1位でゴールテープを切った話

          むすこが初めて「おはなし」を作って聞かせてくれた夜の話

           我が家のリビングには、5才になる息子のコトの本棚が置いてある。     トーマスやパウ・パトロールのキャラクターを紹介する絵本や、動物の図鑑に、毎月届くこどもチャレンジの教材など、コトのお気に入りの本たちがぎゅうぎゅうに詰まっている、そんな楽しそうな本棚だ。  息子はリビングで遊んでいるときや、トイレに向かう途中など、ふとした瞬間にこの本棚を眺めては、目をキラキラとさせている。  そしてそんな様子を見て、僕と妻は、「コトくん、本が好きな子に育つといいね」とこっそり笑い合

          むすこが初めて「おはなし」を作って聞かせてくれた夜の話

          僕が5才の頃にお気に入りだったリュックが、いま5才の息子のお気に入りのリュックになった話

           もう30年近く前の話だ。  僕がまだ小さい頃――それこそ、いまの息子と同じくらいの年頃のとき、いつもデニム生地の小さな青いリュックにおもちゃをいっぱい詰め込んで、あちこちに出かけていた。    そんな「僕のお気に入りだったリュック」が、時を経て、いまは息子のお気に入りのリュックになっている――今日は、そんな話をしようと思う。  ***  とある休日、5才になったばかりの息子のコトが「こうえん、いこ!」と言うので、妻と3人で、近所の公園に出かけることにした。  妻が、「

          僕が5才の頃にお気に入りだったリュックが、いま5才の息子のお気に入りのリュックになった話