あの日誓った「病めるときも」が来てしまった話
■妻に”がん”がみつかりまして
もう10年も前の、とある夏の日。大きな教会で、僕と妻は、あの「健やかなるときも、病めるときも」という有名なフレーズで、どんなときも互いに助け合い、愛し合うことを誓った。
あれから10年が経った、ある冬の日のことである。
――妻の胸の中に、「がん」が見つかった。
そりゃあ長い人生ですから、いつかは来るよねこんな日も。
ということで、この日このとき、この瞬間から、僕らがあの日誓った"病めるときも"のお話が、幕を開けたわけである。
なお、最初にひとつだけ言っておく。この話が悲しい結末になることは、万に一つもない。
なぜならば、僕がこれまでに書いてきた物語は、全てすべからく、たったひとつの例外もなく、どれもこれもが、幸せあふれるハッピーエンドを迎えているんだから。
******
結婚10年目の、冬の日。妻が突然、脇と胸のあたりを触りながら「胸にしこりがある気がする」と言い出した。
「あと、触るとちょっと痛い。どうだろ、触ってみて」
「え、どこ……?」
「ないか。気のせいか」
「いや僕は医者でもなんでもないから!すぐにがん検診に行きな!」
という僕に対し、
「でも2年前に行ってるし。もし本当にがんだったら怖いし」
と、なぜか渋る妻。
妻はフリーランスで働いているので、会社員の僕と違って、定期的な健康診断を受けているわけではない。
「がんだったら怖いのは同意だけど、それを調べるために行くんでしょ!」
「でも気のせいかも知れないし。病院怖いし」
「いいから行く!」
と、なんだか小学生のむすこを歯医者の定期検診に連れていくときの苦労を思い出しつつ、すぐに大きめのクリニックに人間ドックの予約を入れる。
幸いなことに予約に空きがあるような時期だったので、最短の日時で妻に受診してもらう。
*****
妻の人間ドックの日、僕はハラハラしながら、会社で仕事をしながら妻の連絡を待っていた。
そこに届いた一通のLINE。すぐさま開くと、
『太ったー。妊娠中くらいあったー』
その報告はいらない。本題、本題。
『30分くらい乳がん検査してた。がんの可能性が高いって。後日、専門の病院での検査が必要になりました』
『そっちの報告が先じゃない!? すぐにそっちいくね!』
こんなこともあろうかと、会社のそばのクリニックを予約しておいてよかった。タクシーを捕まえれば、10分足らずで妻のところに行ける。すぐに上司に早退すると伝えて、仕事を抜け出した。
『ストレスかな。いま、すっごくお腹がいたくて。トイレにこもってる』
『心配』
『あ。これはバリウム後の下剤のせいだ』
『ねぇこっちの緊張感がバグるんですけど!?』
なんて、そんなやり取りをしながらクリニックにつく。待合室に向かうと、妻はスマホで一生懸命「がん 余命」なんてワードで検索し、表示された記事を読み漁っていた。気が早すぎる。
「がんはステージが4つあるんだって。きっとわたしはステージ4なんだ。調べても、”5年生存率”ばっかり出てくるの。これはきっと、みんな数年で死んじゃうからなんだ」などと、泣きながらまくしたててくる。
それに対し、僕は落ち着いて――落ち着いた振りをして、「うーん、たぶんそれって、”5年経ったらもう大丈夫”ってことじゃないかな?」と、あえて笑顔で返してみる。
「それならそれで、ちゃんとそう書くべきじゃない!?勘違いするよこれ!」と、妻も笑ってくれた。
少し落ち着いた妻は、胸のしこりの辺りを見つめて、
「お前・・・わたしが”あけましておめでとうございます”とか言ってたときも、”へっへっへ、今年もよろしくな”」とか言いながらそこにいたのかよ。むかつく」
「……なんで急に悪めの人格もたせたの?」
「寄生獣のミギーみたいな感じだと思えば、なんか味方になってくれる気がして」
「そうか。僕からもよろしくなミギー」
「あ、でもわたし左胸だった。だからヒダリーだね!」
……”ヒダリー”は、なんだかちょっと語呂が悪いと思う。
【次回、大きな病院での検査に続く】
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