わが家のトーク量の95%を独占していた妻が、入院で不在になったときのこと
妻の乳がんの手術は、無事に成功した。
とはいえ、その後も10日間ほど入院を余儀なくされていたため、僕と息子は、そのあいだは二人きりでの生活が続いていた。
ところで、うちの妻は、とにかく存在感が大きい(もちろんいい意味で)。おそらく僕のXやnoteを読んでくれている方なら簡単に想像がつくと思うが、その理由の一つは、とにかく”よく喋る”からだ。
わが家のトーク量のほとんどを担う妻。
そんな妻がいない日々を、僕と息子が二人きりでいかにして乗り切ったのか、――今日は、そんな話をしようと思う。
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うちの妻は、とにかくよく喋る。
妻が入院する前、そして抗がん剤の治療で体力が落ちる前の全盛期で言えば、わが家におけるトーク比率の95%を妻が占めていたイメージだ。
もし日本で家庭内のトーク量にも独占禁止法が適用される日が来たら、真っ先にしょっ引かれてしまう量である。
残りの5%を、かろうじて僕と息子のコトくんで分けあっていたのだが、それももう過去の話だ。
最近は、息子も学校でのエピソードを話したい気持ちがむくむくと湧き上がっているようで、妻がトーク中の息継ぎで話が途切れた瞬間に、「そういえば今日、ぼくはね」とマイクを積極的に狙っていく。
(もちろん、妻もまだ話し足りないときは、ひと通りコトくんのトークが終わったところで、「で、さっきの続きね」とマイクを奪い返したりする。)
こうなるともう、僕は二人のトークにあいづちを打つことで精いっぱいである。
ほうほう。
なるほど。
それでそれで。
あっはっは。と、まぁこんな調子だ。
ちなみに、うっかり適当な返事をしようものなら、二人から「「ねぇ、ちゃんと聞いてる?」」と責められてしまうので気を抜けない。
ちなみに、僕がお風呂に入っているときや歯磨き中なんかも、妻は「あのね、それでね」とお話しにやってくる。
そしてようやく妻が1日分のトークを出し切って満足げに立ち去ると、今度はコトくんが「宿題の音読を聞いてくださーい」と教科書を手に脱衣場にやってくるのが、僕にとっての楽しい楽しい日常なのであった。
と、まぁこんな感じで”沈黙は金”をモットーとし、とにかく聞き役に徹する(と言えば聞こえは良いが、実際のところ自分からしゃべることが苦手な)僕にとっては、これが、ベストなバランスだったのである。
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だが。
妻が10日間ものあいだ入院で不在になったことにより、我が家のこのトークバランスが、一気に崩壊した。
夕食中に、コトくんが小学校でのエピソードトークを話し終えて満足すると、キラキラとした瞳で、「パパ、なにか面白いお話し、して?」と無茶ぶりをしてくるようになったのである。
「だって、ママはいっつも面白いお話し、してくれたから」
「パパの話し? でもパパ、ずっとおうちでお仕事してたからな……。いつもどおりだったよ。それより、コトはどんな一日だったか教えてよ」
なんて、そんなつまらない返しで間がもったのは数日ほど。
ママが楽しそうに話すから、コトだって一生懸命に話そうとしていた訳で。
それをただ、自分のほうは「パパはいつも通り」の一言で済ませておいて、「コトの話を聞かせてよ」と言ったところで、息子だって話しがいがないのだろう。
もはや息子の瞳からは期待の光は消え去り、「ママはいつごろ帰ってくるかなー。パパも、ママのお話しを聞きたいよねー」なんて、そんな風に言うようになってしまったのである。
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妻がいないだけで、わが家のトーク量はずいぶんと減ってしまった。
夕食中も、すっかり静かな食卓になってしまったのだが、そんなある日、静かにご飯を食べていたコトが、ぽつりとつぶやいた。
「ねぇパパ。今日あったことじゃなくていいからさ。なにか、ママのお話しをしてよ」
「え?」
「ぼくが赤ちゃんのときのお話しでもいいからさ」
なるほど。
ママのお話しということであれば、僕の得意分野だ。
それこそ、本だって1、2冊、書けちゃうくらいのエピソードが溜まっているわけである。
「じゃあ、コトくんがまだ、ママのお腹の中にいたころのお話しだけど」
と、こんなお話しをすると、コトは目をキラキラさせて「もっと!もっと!」と言ってくる。
「え、じゃあこんなのは?」
「え、そんなことある? おっちょこちょい?」
「あるんだよ。おっちょこちょいなんだよ。あ、あと、今日のご飯はおうどんだけど、コトくんが小さいときに、こんなことがあったよ」
「そうそうあった! ぼく覚えてる!」
「え? 覚えてる? マジで? じゃあこんなお話しは?」
「ママのお話しじゃないじゃん! ぼくのお話しじゃん!」
「君もなかなかどうして、おもしろエピソードに事欠かない赤ちゃんだったんだよ」
なんて、お話しが下手な僕も、こんな風に「今日あったこと」ではなく、「いままで、妻や息子と過ごす毎日を過ごす中で、パパとして嬉しかったこと」を話そうと思えば、いくらでも笑顔あふれるエピソードが出てきて。
たぶん、きっとこれからの未来にも、――僕ら家族がみんなで笑顔になれるエピソードが、たくさんたくさん、あふれてくるに決まっているのである。
あとがき
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