妻の手術日に、むすこが「学校に行きたくない」と言い張ったときのこと
9月上旬のことだ。
妻が、乳がんの手術のために入院することとなり、僕と息子のコトは、およそ二週間のあいだ、二人きりで過ごすことになった。
朝、病院に向かった妻を見送ったときには、「ぜんぜん大丈夫だよ。病気をなおして、かえってきてね」と言っていた息子。
だが、その日の夜には少し元気がなくなり、「ねぇ、ママはいつ帰ってくるんだっけ?」と、不安そうに僕に聞いたりしていた。
そして、翌日の朝。
息子はなかなか布団から起き上がらず、妻が愛用している毛布を抱きしめたまま、小さな声でこう言った。
「ねぇ、パパ。ぼく、きょうは学校に行きたくない」――と。
今日はそんな話をしようと思う。
******
「そっか。今日は、学校に行かないでおく?」
「うん。今日はおうちでゴロゴロする」
「いいよ。コトくんだって、そんな日があるよね。今日も、パパはおうちでお仕事の日だから、何かあったらパパのことを呼ぶんだよ」
「ポケモンの進め方がわからないとこも、聞いていい?」
「それは自分で調べてほしいかな……」
「むう」
「さ、朝ごはん、食べよう。起きられそう?」
「うん」
そういって、コトはようやく布団から起き上がり、リビングへ向かう。
やはり、歩き方にも元気がない。
ママがいない日々のはじまりは、やはり息子のストレスになったのだろう。気持ちはわかる。僕だって、たぶんいつもよりも元気がないはずだ。
わが家のムードメーカーである妻がいないだけで、僕も息子も、かんたんにダメージを受けてしまう。だが、僕はママの代わりにはなれない。
仕方あるまい。今日はコトは家でゆっくり休ませて、少しでも元気を取り戻してもらおう。
そう決めると、僕は自室に戻って、スマホで学校に電話を入れる。
担任の先生には、あらかじめ妻の体調や入院スケジュールを伝えてあったので、学校を休む件はスムーズに理解してもらえた。
「さて、コトくん、今日は学校をお休みしていいからねー」
と、そんな風に言いながらリビングに戻ると、コトは朝食に全く手をつけず、リビングの一角に設けてある、家族写真がたくさん飾ってあるコーナーを眺めている。
「ねぇ、退院まで、ママには会えない?」
「そんなことないよ。手術が終わったら、ふたりでお見舞いにいけるよ」
「きょうは?」
「今日? 今日は、ママが手術する日だから、会うのはダメなんだって」
「えー、そうなの」
ぷくーと頬をふくらませて、不満そうな顔をつくるコト(かわいい)。
気持ちはとてもよくわかる。実は、僕自身も、主治医の先生に同じことを聞いていた。
けれども、乳がんの手術は全身麻酔をかけて行うことになるし、術後すぐは本人も安静にする必要があるとのことで、『面会は翌日から』ということになっていた。
でも、そうだよな。
こんな日はコトだって学校に行きたくないだろうし、もっと言えば、僕だって仕事をしたくない。
よし、と、僕は仕事用のスマホを手に取り、上司に『今日は仕事をお休みします』とメッセージを打つ。
するとすぐに、理解のある上司から『了解です。こちらはもとよりそのつもりだったので、ご心配なく!』と返信が返ってきた。
******
「よし、コトくん! 今日はパパも仕事をお休みすることにしました!」
「え、ほんと!?」と、ぱぁっとコトの顔が明るくかがやく。
「ほんとです! さぁ、何をして遊ぶ? もちろん、好きなところにお出かけでもオッケーです!」
「え、じゃあじゃあ、ママの病院は!?」
これには、さすがの僕も苦笑い。
「そう言うと思ったよ。でも、ごめん。それはママもお医者さんも困っちゃうから、明日にしよう。その代わり、どこでも連れてってあげる。ポケモンセンターでぬいぐるみを選んでもいいし、ゲームセンターで前回取れなかったぬいぐるみにチャレンジしてもいいし!」
「うーん、じゃあ、パパとおうちでゲームとかして、ゆっくり過ごす」
「え? パパ、今日はお休み取ったから、お出かけもできるよ?」
「だいじょうぶ! だって、
もしママが病院でさみしくなって、パパとかぼくと電話したくなったとき。
ぼくたちがお外にいて、電話に気づかなかったら、ママがかわいそうでしょ?」
そうか。
今日、コトが学校を休みたいと言ったのは、それが理由か。
コトは、まだ自分のスマホを持っていない。
だから、もしママから電話が来るとしたら、パパのスマホにかかってくるはずだと、――そう考えたのか。
今日は一日、ずっとパパにくっついていよう。そうすれば、もしママから電話があったらすぐにわかる――と。
まったく。うちの息子は、僕の想像なんかはるかに越えるくらい、すごく、すごーく優しいじゃないか。
******
実際のところ、妻の手術のスケジュールは事前に聞いていたし、術前と術後には、それぞれ主治医の先生からも連絡が入る手はずになっていたけど、それはコトには伝えてはいなかった。
ごめんよ、コトくん。と、僕は内心で息子に謝った。
きみは、僕が思っていたよりもずっと優しくて、ずっとしっかりしていて、そして何より、ママのことが大好きだね。
僕は、時計をちらりと見る。大丈夫、まだ手術までは、だいぶ余裕がある。
僕はLINEを操作して、妻にメッセージを送る。
「いま、電話いいかな? コトくんが、ママの声を聞きたいって」
すぐに、妻から返信が返ってくる。
「もちろん! 嬉しい、ありがとう」
――そして、僕ら家族3人は、ビデオ通話をつないだまま、楽しく朝ごはんを食べた。
大丈夫。
こんなに優しい息子が、手術の成功を祈っているのだ。
きっとぜーんぶ、上手くいく。手術は成功するし、術後のお薬だって効くし、再発だってしないに決まっている。
ぜんぶぜーんぶ、上手くいく。
あとがき
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