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「ママが死んじゃったらどうしよう」という息子の不安を消してあげたい話
妻の胸にがんが見つかってから、もうすぐ1年が経とうとしている。
がんの治療は、妻本人への負担は当然のことながら、その闘病生活を間近でみていた小学2年生の息子にとっても、こうした時間は大きなストレスになっていたようだ。
数か月にわたって投与を続けた抗がん剤は、「脱毛」という副作用で妻の見た目を大きく変えていたし、それに加えて味覚障害や吐き気のせいで食欲が落ち、もとから小さかった妻はさらにやせ細ってしまっていた。
妻が乳がんの手術を終え、放射線治療もこなして、あとは再発防止の投薬治療の開始をまつばかりとなった、ある日の夜のことである。
妻が眠りについたあと、僕が書斎で仕事をしているところへ、息子のコトが「パパ、おはなししてもいい?」とやってきた。
「いいよ、どうしたの?」とドアをあけてみて、僕は驚いた。
ドアの前に立っていたコトは、ポロポロと大粒の涙をこぼしていたのだ。
「ねぇ、ママが死んじゃったら、どうしよう。――ぼく、怖いよ」
まだ小学2年生の小さなコトが、その小さな体の中にため込んできた不安が、ここへきてあふれてしまったようだった。
そしてその不安の言葉を胸にしまい込み、妻が寝静まったあとで、僕だけにこっそりと吐き出してくるあたり、この子はどうしようもなく優しいのだ。それこそ、親であるこっちが心配になってしまうほどに。
――今日は、そんな話をしようと思う。
******
息子の不安がこぼれだした夜のこと
「ママが死んじゃったらどうしよう」と言いながら涙をこぼす息子を、僕は慌てて優しく抱きしめる。
「大丈夫だよ、コトくん。ママは死なないからね。もう”がん”っていう怖いところは手術で取ったし、あとは元気になるのを待つだけなんだよ」
「本当に? ママ、つらそうだよ?」
「大丈夫。たしかにいまはママは辛そうだね。でもそれは、お薬とかビームが、ママの身体の中で、悪いところをやっつけてくれてるからなんだ」
「だったら、どうしてママは元気がないの? しゅじゅつは、おわったんじゃないの? 髪の毛も、まだ抜けちゃってるよ?」
次からつぎへと、コトの口から、これまで聞きたくても聞けなかったであろう不安の言葉が続く。
「大丈夫。ちゃんと治るから。大丈夫だよ」
僕がどれだけ言葉を重ねても、コトは泣き止まなかった。
百聞は一見に如かず、という言葉があるが、その通りだと僕は思った。
実際に髪が抜け、やせ細っているママの姿を見て感じた不安はとても大きな衝撃になって、この子の心にダメージを与えていたのだろう。
そしてそんな不安を、この子はいままで、自分の中にずっとため込んでいたのだ。
僕はただ「大丈夫だよ」と繰り返して、コトの背中をさすってあげることしか出来ず。
そんな僕の肩は、コトの涙で濡れていくばかりであった。
ああ――、と、僕は自分に幻滅していた。
それなりに言葉を扱う仕事をしてきたのに、この肝心なときに、不安で泣いているこの子の涙を止める言葉が見つからない。「無力感」というのはこういう気持ちを指すのだと、痛いほどに思い知った。
だが、そのとき。
僕は不意に、以前、妻と一緒に診察を受けてるときに主治医の先生がくれたアドバイスを思い出した。
「コトくん!」
急に笑顔になり、明るい声を出した僕を、コトは驚いたような表情を浮かべて見つめ返した。
「じゃあ、みんなで”ママはよく頑張りました! これでもう大丈夫!”のパーティーをしよう!」
言葉で伝わらないのなら、――行動で示せばよいのだ。
******
先生がくれたアドバイスのこと
主治医がくれたアドバイスをもらったのは、ひと月ほど前の診察のときのことだった。
アドバイスのきっかけは、「そういえば、息子さんの様子はどうですか?」という、先生からの問いかけだった。
息子はこれまでに何度か、妻の診察の付き添いや入院中のお見舞いのために、この病院に一緒に来ていた。手術の直前の診察のときには、同席していた息子の目をしっかりとみて、「ママの病気は、先生がしっかりやっつけるから、任せてね!」と笑顔で言い切ってくれたこともあった。
そんな経緯もあって、先生も息子の様子を気にかけてくれたのだろう。
「息子さんも、きっと、ママの病気について、いろんな不安を感じたと思います。まだ、ママが本調子になるのには時間がかかりますが、ママの体調が戻ったあたりで、一回、大きな”お祝い”をしてあげてくださいね」
「お祝い、ですか?」と聞き返した僕と妻に、先生は大きく頷いた。
「ええ。まだ小さな息子さんが、”ああ、これでもう安心していいんだ。怖い時間は終わりなんだ”って思うような、ハッキリとしたお祝いをしましょう。これは、中途ハンパじゃだめです。思いっきり、お祝いしたほうがいいですね。」
なるほど。怖い時間は終わりだよって、コトのなかでも区切りをつけてあげるのか。
「ケーキを買ってきてのパーティでもいいですし、息子さんが行きたい場所への旅行もいいです。とにかく、思いっきり、これまでの怖い時間は終わったんだよーってわかるような”区切り”を、作ってあげてくださいね」
なるほど、と僕と妻はこう思った。
けれども、息子はこれまであまり不安を口にすることはなかったし、妻が手術を終えて退院してからは落ち着いた様子だったので、今のいままで、この”お祝い”は、やらないままになってしまっていたのだ。
******
これでもう大丈夫!パーティーのこと
そして話は、不安で涙をこぼすコトに僕が「”ママはよく頑張りました! これでもう大丈夫!”のパーティーをしよう!」と伝えたところまで戻ってくる。
「もう大丈夫、パーティー?」と、きょとんとした顔でいうコト。
少しでも安心させるために、僕は精いっぱいの笑顔を浮かべて言う。
「そう。ママも頑張りましたが、コトくんもこれまで、いっぱい協力してくれました。これはコトくんへの”ありがとう”を伝えるパーティーでもあるので、なんでもワガママを言ってもいいです!」
「ワガママ……?」
「そう。欲しいものがあれば買ってあげるし、行きたいところがあれば連れてってあげる!」
「ホゲータのぬいぐるみとか?」
「もちろんオッケー!」
「マリオのゲームとか?」
「いいよいいよ!」
「ユニバ行きたいとか?」
「ユニバ!?」
それは、うーん、本当はママの体調や、何よりお財布事情と相談したいところではあるんだけど……。ただ、まぁ、せっかくママはもう大丈夫! って言ってるのに、ここでまた体調を持ち出すのも話がおかしい気がする……(お金は、まぁ、なんとかなるはず!)。
むーん、と悩む僕に、コトは不安そうに「ダメなの?」と聞いてくる。
「あ、いや、仕事のスケジュールを考えただけだよ」と、僕は慌ててごまかした。「よし! コトくんは冬休みだし、パパもお正月のお休みもあるし、ユニバも行っちゃおうか!」
「ほんとう!? やったー!」
と、まぁこんな感じで。
息子の涙を止めたいがために、ぬいぐるみやらゲームやら、果てにはユニバへの旅行やら、ママが寝ている間に勝手にたくさんの約束をしてしまうパパなので、当然のことながら翌朝、起きてきた妻には、
「わかるけど! やりすぎじゃない!? わかるけど!」 と、リズミカルに突っ込まれてしまう僕なのでした。
******
今回のことでわかったこと
小さな子どもだって、思っていることや考えていることを全部伝えてくれるわけではない。
そしてそれが、「ママが死んじゃったらどうしよう」なんていう、途方もなく大きな、口にするのも怖いような不安であれば尚更だろう。
ため込んでため込んで、――そしてそれをようやく大人に向かって伝えてくれたときには、ちょっとやそっとじゃ消せないような大きさのカタマリになっている。
――今回の件で、僕はそのことを実感したのであった。
そして、そんな大きく育ってしまった不安を消してあげるのは、百の言葉を重ねるよりも、実際に「もう大丈夫!」というプラスの感情でひと区切りを作ってあげるほうが、よほど有効だったりするらしい。
こうして曲がりなりにも文章を書く仕事をこなしてきた僕にとっては、やや切なさを覚えるような話ではあるのだが、――現実問題として、ポケモンセンターで、
「お祝いだから、好きなぬいぐるみを買っていいよ!」
と言ってあげたり、ユニバーサルスタジオジャパンで、
「今日はニンテンドーワールドで一日を過ごそう!」
と言ってあげたときのほうが息子がうれしそうだったことも、残念ながら事実なのだ。
まぁ、そういうわけだから。
妻もどうかそんな怖い顔をしないで、この増えすぎたポケモンのぬいぐるみたちについては、どうか目をつぶって欲しいのである。
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そして。
次に病院で先生にあったときには、しっかりとお礼を言おうと思う。
「先生がくれた”しっかり区切りをつけてあげましょう”というアドバイスのおかげで、息子の不安も消えたようです」と。
「あの先生、なんだか魔王みたいに、ぜんぶお見通しだよね」という妻のコメントについては、たぶん、伏せておいた方がいい気がするけど。
あとがき
あけましておめでとうございます。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。おかげさまで、家族はみんな元気です!
さて。ということで、新年一発目のnoteは、むすこが不安を吐き出してくれた不安を、どうにかこうにか消そうと頑張るパパのお話しでした。
今回も、いつものように無料で全文をお読みいただける設定ではございますが、カフェでコーヒーを1杯たのむようなお気持ちで、チップや購入をしていただけると、大変うれしく思います。
もちろん、いつもいただく「スキ」や拡散も、大変うれしく思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
2025年1月 ぺんたぶ
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