虐待のない日本を目指して
1989年国連で「子どもの権利条約」が採択され、日本は1994年にこの条約に批准しました。これまでの歴史の中で子どもが虐げられてきた事実を反省し、子どもが安全に過ごせる環境を保障することが目指されました。しかし現在日本の虐待件数は増加傾向にあります。これには面前DVが虐待に含まれるようになったことや、報道などによって虐待への危機意識が高まったこともその要因となっていますが、この現状をどうしたら改善できるのか、ここでは「育児の孤立」に着目して原因を探ってみたいと思います。
虐待の原因
虐待の原因には、家族間のストレスや、経済的な問題、親子の孤立など、様々な原因がありますが、私はこの中で「孤立」に着目したいと思います。この背景には個人的な事情だけではない、社会の時代的な変化や思想の影響が深く絡んでいるのではないかと思ったからです。
なぜ育児の孤立が起こるのか
よく、「現代は人とのつながりが希薄になった」と言われます。これが全ての人に当てはまるわけではないと思いますが、何かしら、このように言われるようになった理由はあるはずです。最近読んだ本や目にしたニュースのの中から、これに関わっていそうなテーマを2つ挙げたいと思います。
核家族化
1898年に制定された明治民法は家制度に基づいていましたが、1947年、日本国憲法施行を機に家制度は廃止されました。これにより結婚がどのように変化したのかについて、家族社会学の本では以下のように書かれていました。
法律が変わったことによって居住形態が変化したことは、人とのつながりの度合いが変化した大きな要因だと思われます。
3世代家庭では父母と祖父母が共同して育児を行うことが可能ですが、核家族世帯になると母親だけにケア責任がのしかかりやすく、一人で負担を抱え込むことにつながります。父母が適度に家事育児を分担できる形態が理想ですが、共働きで忙しい状態で育児をしたり、父母のどちらか片方ばかりが育児の責任を負うと、その過大なストレスに対応できなくなってしまいます。
また、核家族化が進んだ結果、血縁のある親族との距離ができ、そしてそれは地縁の強さにも影響しました。もともとその地に縁がなかった世帯が、核家族世帯として流入してきた場合、見知らぬ人同士が共に近所で住み始めることになります。何かきっかけがあればご近所の繋がりが持てるかもしれませんが、人付き合いを避ける風潮もあり、この地縁までも弱まってしまうことが懸念されています。
家族規範の弱体化
福祉の形態を考える際に、福祉レジームという概念が用いられます。これは国家・市場・家族の3主体の関わりによって福祉機能を保つ在り方を指します。1980年代から、日本は家族の機能を強化・維持することを重要視し、家族のなかで育児・家庭教育、介護などの機能が維持されてきました。
しかし、「結婚するかしないか」「子どもを持つかどうか」「従来の家族という形をとるか」は、個人が決定する個人的な問題である、という風潮から家族規範は揺らぐようになります。多様な家族の形が提案されるようになり、結果的に家族機能とそこに含まれていたケアシステムも変化が生じるようになりました。
令和4年の6月に出された男女共同参画白書には、家族の多様化を象徴してこのような言葉が使われました。父親と母親の二人の存在のもとに行われていた育児を、一人で行う家庭も増え、事実婚なども今より容認される動きが高まってくることが考えられます。育児に責任を持って取り組む親が一人しかいない状態が生じやすく、さらに親の存在があやふやになる可能性も持っていると言えます。
終わりに
核家族化が進み、家族の形態が変わる中で、家族の機能は変化せざるを得ないでしょう。しかし、家族は何かで代替してしまえるものだとは言えないと思います。家族機能を社会化していくことと、家族機能を回復していくことは同時進行で行っていくものだと思います。
そして、子どもの権利を大切にすることを訴えるだけでは、子どもが虐げられている現実は解決しないように思います。子どもの命を守るために着手するべきことは、子どもの権利擁護を推進するということよりも、もっと根本的に考えて、子どもが安心して、安全に養育されるような家庭環境、地域の連携を実現していくことではないかと思います。