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ギャンブルは儲からない

カジノ族議員たち

族議員たちがカジノ誘致で用意する理由付けは、外国人観光客やインフラ整備、雇用などによる経済的効果を挙げている。なんともうさん臭い感じだ。外国人を引き合いにしているが、日本人がカジノに行きたがらない訳がない。一発勝負を思い浮かる日本人たちをいったいどう思っているのだろうか。

ザ・ベネチアン・マカオ


ギャンブルは回収される

ギャンブルはほとんど儲からないようにできている。一般的に興行側(胴元)というのは多額の設備投資をして、従業員に給料を払って、お客さんにもそこそこ儲けさせて、それらを結局お客さんから回収している。お客というものは、往々にして回収される側に回ることになる。興行側というのは自分が損を被らずに、いかにお客から回収するかを常に考えている。ギャンブルというのはそういうものである。借金をしてまで、一発必中を狙おうなどというのは全く愚かなことである。お客というものが、興行側に回収されている事実を忘れているのだ。

ラスベガス・カジノでのルーレット

丁半博打というもの

単純なものとして丁半博打というのがあるが、2個のサイコロの出目が丁か半(偶数か奇数)かでお金のやり取りをする。丁が出るのか半が出るのかでお金が増えるのか減るのかが決まり、お客は儲かった損をしたとその感情の変化を刺激として楽しんでいる。
もしお金を賭けないのであればただのサイコロ遊びでしかなく、内容的にはクソゲーということになる。偶数が出ましたね、奇数になりましたねといった確認作業でしかなくなってしまう。結局、ギャンブルの多くは、お金がかかっているかどうかで面白さが保たれているということになる。
(注:丁半博打は違法行為。ちなみに、胴元は勝った客からやゾロ目で収入を得る)

ギャンブルに前向きな人たち

ギャンブルに前向きな人たちがいる。損はしているが、賭ける金額も限度をもって楽しんでいるのだと彼らは主張する。だが、本当に楽しめているのだろうか。少ない金額で一喜一憂するなど、たかが知れている。ギャンブルでお金を賭けなければ多くは確認作業となり、ただのクソゲーである。その額が小さくても、やはりクソゲーに近づくだけの話である。楽しんでいると言いながら、自分を欺いているだけの話ではないだろうか。興行側が利益に重きを置いている限り、お金を賭けて満たされることなどそうそうに無いのである。また、少ない額だと思っていても、それなりに積もり積もってお金を失っていくのだ。

競馬

中には、酒を飲みながら競馬をして、友人たちとおしゃべりを楽しんでいる人たちもいるだろう。「やっぱり、俺の思った通りだろ」などと友人に言ってニヤニヤする。それが週末の楽しみだから、自分は仕事が頑張れるのだと言うかもしれない。だが、お金を減らしても残念に思わない人たちというのは、実際にどのぐらいの割合でいるのだろうか。

多くの人は競馬をやってお金を減らして、他にやることも浮かばずに、また競馬をやって再びお金を減らしていく。「思っていたのと違う展開になった」、「なんで出遅れたんだ」などと言い訳をして、賭けた金額の喪失を残念に思っている。今まで賭けた金額で車や家などが買えたという人もいるだろう。一つの産業が成り立つくらいの金額をお客たちは興行側に貢いでいるのだ。動物を走らせれば、どれかは一着になる。だが、どれが一着に来るかなど果たして勝負する必要があるのだろうか。

損失への対策

そもそも、「丁半」といったような確認作業が面白いのではない。単純にお金のやり取りが面白いのでもない。結局は、その両方が合わさって安直に金が入ってくるのが面白いのである。内容自体は「クソゲー」なのに、自ら大きな金額を賭けて「楽しいゲーム」に無理やり仕向けているのだ。

それでもギャンブルを楽しみたいならば、うまく条件をつけないといけないだろう。少しの損失がだんだんと大きくなり、さらに大きな損失へと進んでいってしまう。対策としては、①回収される側にいることの認識、②それでも優先させたい感情は何か(友情、ストレス発散)、③個人的な財布の限界、この辺の認識をもって厳しく自己制御していくしかないだろう。回収されるにしても、ほどほどにということである。



<写真>
CC BY 3.0 File:Casino lisboa.JPG by Puddingsp
CC BY-SA 2.0 File:Venetian Macau.jpg  by Jimmy Yao
CC BY-SA 3.0  File:Roulette in Las Vegas.jpg by Antoine Taveneaux
CC BY 2.0  File:2010 Kokura Kinen.jpg by kanegen



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