十日間ニューヨーク探検記

 ひとつ、アメリカに行ってやろう、と思った。
 
 話は半年前に遡る。せめて大学は卒業しようと思い立った俺は、単位を確実に回収するべく演劇の講義に出席していた。なんでも先生は著名な演出家で、ニューヨークで20年間舞台俳優をやっていたらしい。先生は初対面で「君、将来何になりたいの?」と聞いてきた。「ソーリダイジンですね」と答えたら「君、俳優になりなさい」と言われた。
 
 夏休みになって、俺は先生と喫茶店でコーヒーを飲んでいた。すると先生が突然「今度ニューヨークに行くけど、君も来る?」と言い出した。面白そうなので、俺は行くことにした。早速、ニューヨークに住んでいる先輩に連絡した。
 
 「送別会の時、ニューヨークに来たら泊めてあげるって言ってましたよね?」
 「そんなこと言ったっけ?」
 
 こうして俺は宿を確保し、意気揚々と飛行機のチケットを取った。
 
 あっという間に出発の日はやってきた。飛行機の中で、俺は昔ニューヨークに行った時のことを思い出していた。まだ小学生だった俺は高層ビルの群れを見て、自分が生まれ育った東京という街はどうやら世界の中心ではないらしい、と悟った。それは天動説から地動説に考えが変わるようなものだ。あれから色んな街に行ったけど、やっぱりニューヨークは特別な気がする。
 
 今の俺の身分はというと、起業して行き詰まった大学生で、友達には遊牧民と呼ばれている。遊牧民なので、ニューヨークでの行動計画もない。まあなんとかなるやろ、と思いながら、ヤンキースの帽子を目深に被り、浅い眠りについた。まあなんとかなるやろ。俺はいつもそうやって生きてきた。


 JFKに到着し、タクシーでマンハッタンに向かう。揺られること20分、遠くに摩天楼が見えてきた。イヤホンからはシナトラが流れてくる。

“If I can make it there, I’ll make it anywhere.
It’s up to you. New York, New York.”

この街で成功できたら、どこでも成功できるさ
君次第だよ ニューヨーク、ニューヨーク

Frank Sinatra「Theme from New York, New York」

 タクシーを降りてマンハッタンの街を見上げると、東京とは段違いに高いビルがひしめいている。そんなビルの合間を、様々な人種の人たちが英語を話しながらせかせかと歩いている。どう見たって、ここが世界の真ん中な気がする。俺を泊めてくれる先輩のサイトウさんは、そんな本物の都会のド真ん中に住んでいた。
 
 マンションのロビーで、サイトウさんは「ほんまにおるやん!」と笑っていた。バンドサークルの先輩であるサイトウさんは、ギターが特別上手いイケメンなのだが、関西人の割に寂しいギャグセンスが災いして彼女はいない。
 
 サイトウさんはとある日本企業のAIの研究者である。研究の本場がアメリカということもあり、新プロジェクトの立ち上げメンバーとしてニューヨークに赴任してきた。チームメンバーはアメリカ人、会社のライバルはGAFAというハードな環境で、サイトウさんは働いている。
 
 グランド・セントラル・ターミナルの地下にあるオイスターバーでクラムチャウダーを食べながら、俺はサイトウさんの仕事の話を根掘り葉掘り聞いた。サイトウさんにとって、ニューヨークでの時間は「修行」らしい。この環境で数年働けば、どこでも通用するだろうと話していた。クラムチャウダーはめちゃくちゃ美味しかった。
 
 それからの数日間、俺はサイトウさんの「修行」の様子を垣間見ることができた。会議を終えた後モゴモゴ唸っていたり、「今日は生産性が低かった」と不機嫌になっていたり、「数年後にはこの仕事自体なくなってるかもしれんしな」とボヤいていたりした。そこにいたのは、俺のイメージよりはるかに地味で、はるかに泥臭く、それでいて、はるかにカッコいい先輩の姿だった。
 
 サイトウさんは俺を色んなライブへ連れて行ってくれた。なかでも感動したのは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のミュージカルだった。演技や踊りも凄いが、特に驚いたのは視覚と音響の演出だった。とてもライブとは信じられないレベルの高さだった。2時間半の劇はあっという間に過ぎ去った。帰り道に「ウチの会社も、こういう没入体験を作らなあかんな」とサイトウさんは息巻いていた。何も知らない俺も「そうですねえ!」と答えた。サイトウさんはなんだか楽しそうだった。
 
 サイトウさんに恩返しをしよう。俺は地下鉄のホームで「今一番欲しいものはなんですか?」と聞いた。サイトウさんは遠い目をしながら「成功体験から来る自信やな」と答えた。残念だけど、それは俺にはどうしようもない。「それは手に入りそうですか?」と聞くと、「あと数年したら」と言っていた。俺は安心して「俺が大成功したら家買ってあげますよ!」と大見栄を切った。サイトウさんは「泊めた甲斐があるわ!」と笑っていた。
 
 翌朝、サイトウさんはサンフランシスコへ飛び立った。なんでも、学会でレクチャーをするらしい。タクシーに荷物を載せるサイトウさんを見ながら、俺はいつか本当に家を買ってあげようと思った。今は手持ちがないので、とりあえず敬礼をした。タクシーは颯爽と去り、俺はサイトウさんの家を門番することになった。


 また別の晴れた日、俺はタイムズスクエアにいた。横断歩道の向こうから、キャップを逆に被ったタカハシという男が歩いてきた。大学の同級生だったタカハシは、コロンビア大学のコンピュータサイエンスのPh.Dで、誰よりも歯が白い。
 
 「この前また地下鉄で発砲があったらしい」とタカハシは笑っていた。聞き馴染みがない俺は「ハッポー?」と聞き返した。なんでも、治安が良いエリアでハッポーがあったらしく、それは珍しいことでもないらしい。なんでこいつは笑っているんだと思ったが、よく考えるとタカハシは大学時代に包丁を突きつけられたことがあるので、それと比べると大したことないのかもしれない。
 
 俺とタカハシは大戸屋に入り、互いの近況を話した。タカハシは修士を経ずに、学部から直接コロンビアのPh.Dに入学した。日本の博士と違ってアメリカのPh.Dは給料が出る。タカハシも年間5万ドル(≒750万円)を受け取っている。昔、祖父が「アメリカは優秀な人間を抑えつけない」と話していたことを思い出す。アメリカという国はタカハシのような人間に投資を惜しまない。
 
 「なんでアメリカばかり凄い企業が出てくるのかな」と聞くと、タカハシは少し考えてから「資源じゃね?」と言い始めた。どういうこと?と聞くと、タカハシはこんな説明をしてくれた。
 
 「アメリカに来て思うのは、”頭がよくない”人が多い。大量の”頭がよくない”起業家に、”頭がよくない”投資家が大量のお金を出す。でも、そもそも何がうまくいくかなんて”頭がよい”人にも分からない。それで一握りの人たちがたまたま成功して、凄いことになる。そんな危険な賭けができるのは、懐に余裕があるからで、なんで余裕があるかというと、資源国だからじゃないかな。日本には資源がないから、賭けをして負けたら本当に困窮してしまう。だから小賢しく稼ぐしかない」。
 
 確かに、凄いことをするには、やってみないとわからないことをやっちまうことが必要で、良くも悪くもバカにならないとできないのかもしれない。タカハシは「あと800年ぐらい経てばアメリカも落ち着くんじゃないか」と言い残して、大学へ戻っていった。
 
 帰る途中、地下鉄のホームで観光客に道を聞かれた。案内してから、自分がニューヨークの人間と勘違いされていたことに気付いた。この街には色んな見た目の人がいるので、誰がこの街に住んでいるのか一目で分からない。その日から、俺はあたかもニューヨークで生まれ育ったかのような顔をして生活することにした。とりあえず、キャップを逆に被った。


 また別の晴れた日、俺はリッツ・カールトンのラウンジである人を待っていた。その人が奢ってくれるという望みにかけて、1500円するオレンジジュースを既に2本飲んでいた。
 
 一ヶ月前、俺は大学の国際交流課に「ニューヨークにいるカッコいいOBを紹介してほしい」と掛け合っていた。担当のお姉さんとは海外プログラムで腹を壊して以来の仲だったので、快く任務を引き受けてくださった。こうしてお姉さんが卒業生の名簿やらをひっくり返して見つけてくださったのが、これから会うアキさんだった。
 
 「遅れてすみません」と言いながら、アキさんは颯爽と登場した。爽やかなお兄さんだった。「先に飲んでしまいすみません」と言ったところ「全然大丈夫ですよ」とおっしゃったので、アキさんの注文に乗じて3本目のジュースを注文した。
 
 アキさんは日本で企業法務の弁護士を数年やってからボストンでMBAを取り、そのまま現地で起業している。俺はアキさんに、英語はどうしたのか、とか、MBAは本当に行く価値があるのか、とか、今の事業をどうやって育てたのか、とか、聞きたいことを聞きまくっていた。その流れで、アメリカのエリートと日本のエリートは何が違うのか?という話になった。
 
 「アメリカのエリートと日本のエリートで、頭の良さは変わらないですね。人数は多いけれど、トップオブトップの質は同じですよ。ただ彼らは魅せ方が非常に上手い。メールの表現一つをとっても、自分のしていることがいかに素晴らしいかをうまく伝えるんです。いわゆる、ストーリーテリングですね。日本はお互い育ってきた環境が似通っているから、そんなに主張しなくても自分の実力を伝えることができるけど、共通のバックグラウンドがないアメリカでは、自分や考えをどう魅力的に伝えるかがとても大切なんです。もう一つはマインドセットですね。アメリカの投資家は怖気付くような場面でもガンガンアクセルを踏ませるし、周りのアメリカ人も自信をもってアグレッシブに決断する。日本のエリートは優秀だから、マインドセットさえ変わればものすごく活躍できると思いますよ」。
 
 かなり意外だった。俺はなんとなく、英語でネイティブに張り合うことは難しいと思っていたし、アメリカには東大生より頭の良いやつが沢山いると思っていたし、世界で活躍する為には特別な何かが必要だと思っていた。でも、アキさんの話はその真逆だった。要は、俺が思い描いていた世界はすぐそこにあって、ただ行けばよかったのに、俺はその努力をしていなかった、というだけの話だったのだ。
 
 最後にアキさんは「人と同じ象限にいないように」とアドバイスをくれた。96点か97点か、という直線的なヒエラルキーの中で戦うのではなく、別の世界に飛び出し全く違う視点を提供できる人間になることが、アメリカでの成功の秘訣だという。そして目標を高く持ち、執着心とレジリエンスで苦しみを乗り越えることが必要だと。アキさんは「いつでもサポートするから連絡して」と言い残して去っていった。俺は4本目のジュースを飲み干して外へ出た。
 
 目の前にセントラルパークがあった。俺はひたすら歩いた。歩きながら考えた。サイトウさんにしろ、タカハシにしろ、アキさんにしろ、みんなこの街で必死に努力して戦っている。それと引き換え、俺はどうだろう。このままでいいのか?結論が出ないうちに、尿意が襲ってきた。近くのおばさんにトイレの場所を聞いた。かなり遠かった。セントラルパークは広い。


 また別の晴れた日、俺はワシントン・スクエア・パークにいた。空はすっかり暗くなって、公園は活気に満ちていた。どこかから甘ったるい匂いがする。多分、誰かがマリファナを吸っている。
 
 人混みの中から、ギターケースを持ったエリカが「おうおう!」と現れ「ニューヨークの全てを教えよう」と言い始めた。全てを知ったらしい。
 
 エリカはバンドサークルの同期なのだが、ある日突然サンフランシスコに行ったきり帰ってこなくなった。多分、2年ぶりの再会だと思う。そんな感じだから、なぜエリカがニューヨークにいるのかも分からない。
 
 「で、なんでニューヨークにいるの?」
 「ニューヨーク大学のマスターに通ってるから。ジャズを専攻してる」
 「…それ、すごくね?」
 
 今更何言っているんだという顔で、エリカは肉が安いスーパーの話を始めた。そうやって節約したり学部生向けの講義で教えたりして、なんとかやりくりしているらしい。「え、教えられるの?」と聞いたら「英語が伝わらなかったら弾けばいいから」と平然としていた。すたすた歩くエリカの横顔を見ながら、俺はエリカと初めて出会った頃を思い出していた。時は流れ、エリカの変人ぶりにはますます磨きがかかっていそうだった。
 
 エリカと飯を食べながら、彼女の近況を聞いた。エリカにとって、ニューヨークは「ペースが早い街」らしい。ニューヨークにいられる間、いかに質の高いインプットを増やすか、いかに沢山のアーティストに会うか、ということを考えているようだった。ここまで真剣な表情のエリカを見たのは初めてで、一分一秒も無駄にしないという気迫すら感じた。彼女は時間の貴重さというものを身体で理解しているようだった。
 
 店を出ると「このあとセッション行くけど、もしよかったら来なよ」と誘われた。よく分からないので行くことにした。ブルックリンに着くまで、地下鉄に揺られること20分。駅の外に出ると、不気味なほど暗い住宅街が広がっている。少し歩くと、真っ暗な通りの遠くの方に、ポツンと灯る看板が見える。そこが、彼女が通うジャズバーだった。
 
 ドアを開けると、グワーっと音が押し寄せる。バーは大盛況だった。細長い店に老若男女がたむろしてガヤガヤしている。エリカは代わるがわる色んな人と挨拶していた。少し経つと、奥の演奏スペースに人が集まっていく。その中心には、真っ赤なギターを持つエリカがいる。
 
 セッションが始まると、さっきまで話していた客は皆真剣な表情で演奏に耳を傾けていた。ジャズが全く分からない俺は、近くの詳しそうなおじさんに「ジャズって結局なんなの?」と小声で聞いた。白い髭を生やしたおじさんは少し考えてから、”Conversation.” と囁いた。こうして俺は何も分からないまま、セッションを聴き続ける羽目になった。
 
 エリカにソロの順番が回り、即興で弾き切ると、観客は皆大きな拍手で称えていた。その様子を見ながら、俺は彼女がとんでもない世界で勝負しているのではないかと思い始めた。ここは東京から遠く離れた、ジャズの本場ブルックリン。観客を含め、この場にアジア人の女性はエリカただ一人しかいない。耳の肥えた聴衆を相手に、彼女は自分の腕一本でのし上がっていくしかないのだ。
 
 セッションが終わり、エリカが「どうだった?」と聞いてきた。「わかんなかったけど、かっこよかった」と正直に言った。エリカは、まあ分からんよな、と笑っていた。また会おうと約束して、俺はバーを後にした。帰りがけにドアから中を覗くと、やはりエリカは色んな人に囲まれていた。
 
 日付が変わろうとしていた。深夜の地下鉄は危ないと聞いていたが、お金がないのでUberに乗るわけにもいかなかった。再び暗い住宅街を歩き、人もまばらな地下鉄に乗り込む。マンハッタンに戻る道中、俺はエリカのことを考えていた。彼女は確かにめちゃくちゃかっこよかった。彼女にあって、俺にないものはなんだろう。地下鉄はマンハッタン橋をゆっくりと渡っていた。


 また別の晴れた日、LINEを開くとエリカから連絡が来ていた。「今夜BrooklynのLowlandsってとこにエグいライブ見にいくから見に行きたかったら教えて」と。
 
 よく分からないが「ニューヨークの中でもトップレベルに尖ってるジャズのライブ」らしく、とりあえず行くことにした。指定されたバーにやや遅れて到着しドアを開けると、ライブはもう始まっていた。聴衆の先頭には、当たり前のようにエリカが腕を組んで佇んでいた。
 
 バーの後ろの方でしばらく演奏を聴いていると、確かに彼らは”conversation”しているような気がしてきた。お互いの音を聴き、応えるように即興で音を繰り出していく。ただ、そもそもジャズのスタンダードを知らない俺は、どう尖っているのかが分からない。ライブが終わると、バーは途端に賑やかになった。
 
 この前のセッションで会ったケイレブというエリカの友達がいたので、色々聞いてみることにした。まずは「ジャズってなんでもアリに聴こえるんだけど、これってどうやって良し悪し決めるの?」と聞いてみた。すると、ケイレブは目を大きく開けて「おー、それはいい質問だ」と言って、マシンガンのように話し始めた。
 
 「究極的には”How you feel”だ。ただロジックはある」彼は現代アートの作品をスマホで見せながら、この作品はこういう構図で、こういうものを表現していて、例えばそれを音楽にするとこうなる…だとか、ジャズを聴く時はココとココの対立に注目して…だとか、色々と教えてくれた。
 
 そこで「ニューヨークってアーティストが沢山いて競争が激しいわけじゃん。競争って模倣に繋がるから、むしろ創造性を毀損するんじゃないの?」と聞いてみた。するとケイレブは口元に手を当てて、少し考えてからこう答えた。
 
 「まず、この街にはオーディエンスがいるからね。僕の地元にはジャズを聴く人自体少ない。創造性に関しては、僕達は他人と比べてユニークであろうと努力する必要はないんだよ。元々ユニークなわけだから。それよりも”True to yourself”が大事だと思う。競争はそれを妨げてしまう危険な側面もあるけど、基本的には自分を引き上げてくれるから良いことだと思うな」
 
 するとその議論を横で聞いていたケイレブの友達が「俺もそう思う。だって俺たち同じことを学んでいるのに、お互いが出してる音楽は全然違うんだぜ」と割って入ってきた。するとさらにその横にいた友達が反論し、さらに議論は白熱していった。フラッと覗きにきたエリカが「なんか熱い話してるな」と輪に入ってきた。そうだ、彼らはめちゃくちゃ熱い。ここにいる人たちは全員本気なんだ。気付くと手元のグラスの氷は溶け切っていた。
 
 翌日、ケイレブはおすすめのアルバムを教えてくれた。エリカからもLINEが来ていた。「昨日は熱い話を引き出せてよかったな。訳は分からなかったろうけどそれで良いし、それを楽しんでくれたら良いなと思うよ」と書いてあった。俺はおすすめされたアルバムを再生した。訳は分からなかったが、楽しかった。


 また別の晴れた日、俺はまたワシントン・スクエア・パークにいた。本を読みながらエリカのゲリラライブを聴いていたら、同じく演奏を聴きに来たエリカのルームメイトとその友達に出会った。エリカのルームメイトは顔中にピアスを付けていて、その友達は顔がアフロとヒゲで覆われていた。そういう奴に悪いやつはいない。
 
 アフロと話しているうちに、アフロはカメラマンであることが判明した。なんでも、NASAのエンジニアを辞めてカメラマンに転身したらしい。彼が撮った写真を見せてもらうと、不思議な力を感じる写真が並んでいた。その中に見覚えのある顔写真があった。エド・シーランだった。
 
 アフロは優しく笑う男だった。その眼差しは少年のようでもあり、戦士のようでもあった。アフロのことをもっと知りたかったので、今度また散歩しないかと誘った。アフロは快諾してくれて、一日かけてニューヨークを案内してくれることになった。別れる前に、アフロの名前はマーヘルで、エジプト人だと聞いた。
 
 後日待ち合わせした場所に行くと、マーヘルは女性と一緒にいた。その女性はマーヘルの友達の妹で、彼女はマーヘルを主演に映画を制作していた。そういうわけで、我々は映画を撮影しながらニューヨークを練り歩くことになった。
 
 チャイナタウンを歩いていると、突然すれ違った人が大声で何かを叫んだ。マーヘルは笑って振り返りながら、これがニューヨークだと言った。ニューヨークの人間は周りを全く気にしない、もっと互いのことを考えた方が良い、と彼は言う。俺は、ニューヨークは個人主義が過ぎるかもしれないけど、逆に日本は集団主義が過ぎると返した。彼が「それはどういうこと?」というので、日本社会を支配しているのは空気で、空気によってなんとなく回っているんだと説明した。
 
 彼は興味津々で、もっと聞かせてほしいと言った。俺は、日本には八百万の神というのがいて…というアニミズムの話から、聖徳太子の憲法十七条が「和をもって尊しとなす」から始まること、だからこそ表面的には礼儀正しく治安も良いが、自分の内面に確固たる善悪の基準があるわけではないこと、組織の意思決定も責任の所在が曖昧なままヌルい合議で進むこと、それがかつて日本を致命的な戦争へと導いたこと…をつらつらと話した。マーヘルは違う星の話を聞いているかのような顔をしていた。
 
 今度は俺がマーヘルに、どうしてNASAをやめてカメラマンになったのかを聞いた。マーヘルは「自分の情熱を追いたかったから」と答えた。最初は仕事の合間を縫って撮影していたが、コロナでリモートワークになったことをきっかけに独立したらしい。今ではカメラマン一本で生計を立てて、世界中を旅しているという。
 
 「人にはそれぞれ、”Zone of Genius”のようなものがあって、それが僕の場合はアートなんだ。僕の代わりのエンジニアはいくらでもいるけど、カメラマンとしての僕は人の思考に影響を与えることができる。今の僕は、シャッターひとつで世界を変えられるかもしれないんだ」
 
 マーヘルが君は起業家としてずっと生きていくの?と聞いてきたので、いや、俺はいつかソーリダイジンになる気がする、と言ったら、これまでずっと撮影していたマーヘルの友達の妹が急に振り向いて「どうして?」と詰めてきた。「あなたは日本の政治が嫌いなんでしょう。どうして嫌いなものに貴重なエネルギーを注ぐの?」と。
 
 「いや、変えられるから、変えるんだよ」
 「どうやって変えるの?」
 「選挙に出て、当選して、法律を作るんだよ」
 
 彼女はポカンとしていた。俺はなぜポカンとしているのか分からなかった。するとマーヘルが横から入ってきて「エジプトは政治が腐敗しているから、そんな風に国を変えられるなんて思いもしないんだよ」と説明してくれた。エジプトでは表現の自由も制限されていて、彼女は制作した映画を理由に逮捕されたこともあるらしい。俺は、自分がナイーブだったなと思った。
 
 半日近く歩き回って、マンハッタン島の西岸に到着した。ちょうど日が沈む時間で、ハドソン川は綺麗な夕焼け色に染まっていた。マーヘルは「太陽が地球にキスしている」と写真を撮っていた。確かに、ニューヨークで見てきた中で一番美しい景色だった。それを伝えると、マーヘルは「ここに連れてきたのは、父親と君だけだ」と言って、嬉しそうな顔をしていた。
 
 お腹が空いたので、エジプトの料理を食べたいと言ったら、マーヘルがフムスのお店を探してくれた。お店まで歩く途中、「アメリカの人たちはストーリーテリングがすごいって聞いたんだけど、どう思う?」と聞いてみた。マーヘルは「確かにその通りだね。良くも悪くも、アメリカ人は自分を常に主人公だと思っている。でもガザの状況を見てごらん。周りはもう誰もアメリカが正義の主人公だとは思っていない」と答えた。
 
 お店に着くと、次元大介のようにスラっとしたダンディな店主さんがいた。我々がメニューを見ていると、突然浮浪者が「お金を恵んでくれ」と店の入り口で叫び始めた。店主は、毅然とした態度で「帰ってください」と繰り返した。浮浪者は出て行き、お店は平穏を取り戻した。
 
 注文を終え席で待っていると、「さっきはごめんね」と言いながら店主がフムスを持ってきてくれた。マーヘルは大丈夫だと言い、店主に出身を聞いた。店主は「イスラエルだ」と答えた。一瞬で場が凍りつく。店主は「皆さんは?」と聞き、マーヘルは「僕たちはエジプト、彼は日本だ」と答えた。すると店主は頷き、表情を変えずに「今あそこで起こっていることは、上の連中が勝手にやっているだけだ。愚かなことだ」と言った。マーヘルは黙って頷いていた。俺は突然現れた世界の縮図にただ驚いていた。フムスはめちゃくちゃ美味しかった。
 
 二人と再会を約束して、お店の前で別れた。翌日、マーヘルから長文のメッセージが送られてきた。昨日の会話のおかげで、テクノロジーとイノベーションへの愛を思い出した、近いうち必ず日本で会おう、そしていつか一緒に素晴らしい仕事をしよう、そう書いてあった。そのメッセージには、一枚の写真が添えられていた。写真には、西日に照らされる俺が写っていた。もしかしたら、本当にマーヘルはシャッターひとつで世界を変えるかもしれない。写真の中の俺は、遠い未来を見ているようだった。


 また別の晴れた日、俺は先生とピザを食べていた。先生とは、俺がニューヨークに来るきっかけを作ったあの先生である。
 
 ニューヨークに来てから、俺と先生はスーパーで買い物をしたり、セントラルパークを歩き回ったりしていた。何か特別なことをするわけではなく、ひたすら話していた。
 
 「先生、超一流の俳優とそれ以外の俳優は何が違うんでしょうか?」
 「うーん」
 
 先生はピザを食べながらしばらく考えていた。そして、定義が難しいと前置きした上で、
 
 「超一流の俳優は、突き詰める」
 
 と言った。それは役を突き詰めるということでもあるし、自分を突き詰めるということでもあるらしい。とりあえずピザ屋を出て、俺と先生はブルックリン橋を渡ることにした。
 
 広い空を眺めながら、俺はここ数日で見た芸術の世界に思いを馳せていた。音楽の世界にいるエリカやケイレブ、映像の世界にいるマーヘル、そして演劇の世界にいる俳優の人たち…。この人たちがいるのは、これといった正解がない世界だ。ギリギリまでやらないとモノが見えてこない過酷な世界。そんな表現の世界の地獄で、みんな熱々の熱湯に頭まで浸かりながら、どこまでも”True to yourself”し、どこまでも突き詰めようとしているのだ。
 
 それでもなお、芸術の世界で社会的な成功を収められるのはほんの一握りしかいない。しかし、そもそも成功とは何だろうか?有名になることか、あるいは大金を稼ぐことか。有名になっても、世間から好奇の目で見られ、笑われ、非難や中傷を受けることになる。大金を稼いでも、本当に大切なものは金で買えるわけではない。じゃあ、何をもって成功とするのか?夢を叶えるってどういうことなんだ?

 気付くと、ブルックリン橋を渡り終えていた。


 けたたましい音で目が覚めた。深夜3時。家の外で誰かがクラクションを鳴らして大騒ぎしている。
 
 テレビをつけると、ニュースがトランプ勝利確実と言っている。やはりさっきの音は、トランプの支持者が鳴らしていたものだった。事前の報道と違って、トランプが圧勝している。アメリカの民意はトランプを選んだ。とにかくそういうことらしい。俺はもう一度布団を被った。
 
 翌朝、近くのカフェでベーグルを食べながら、今日はハドソンヤードに行ってみようと思った。ハドソンヤードは、250億ドル(≒3兆6000億円)をかけて今年完成した再開発地区で、六本木ヒルズの強化版みたいなものだ。六本木ヒルズの事業費が2700億円と聞くと、その規模の大きさがわかる。
 
 廃線を遊歩道にしたハイラインを歩きながら、ハドソンヤードに向かう。ハイラインの両側には奇抜なデザインの高級住宅やオフィスが立ち並び、キャンパスチックになっている。歩道や公園など遊びの空間もふんだんに用意されており、これならばニューヨークの雰囲気を好まない西海岸の人々もすんなりと馴染める。その結果、多くのシリコンバレーの企業がハイライン周辺に入居し、ここは新たなビジネスの集積地となっている。また、ハイラインを歩くと自然とハドソンヤードに吸い寄せられていく構造になっており、商業区域にも人が絶えない。
 
 ハドソンヤードの盛況ぶりに、俺はアメリカの強さを感じた。これだけ大胆な空間活用ができるのは、ほぼ一つのデベロッパーが全体を構想しているからだ。例えば、日本の高輪ゲートウェイシティは、各エリアを異なるデベロッパーに分割して担当させているから、それぞれが狭いエリアの収益最大化を図り、ありきたりな開発にしかなっていない。ハドソンヤードの場合は、一つのデベロッパーがエリアの全体最適を考え、大量の金を大胆なプランに投下している。もちろん失敗したら大損害なわけだが、アメリカにはそれを許容するリスクマネーとマインドセットがある。

 一方で、ハドソンヤードには今のアメリカの弱さも見えた。この場所には信念や思想がなく、その証拠にエレベーターホールには”You look good here”と書かれている。ここには似たり寄ったりの金持ちが集まっているだけで、皆が惹かれるようなストーリーがない。これでは、新たな豊かさや、考えや、文化を生み出すシンボルにはなりえない。むしろ、人間の欲望には際限がないことを示す場所になってしまっている。
 
 結局、なぜトランプが勝つのかというと、金持ちがこんな感じだからだと思う。グローバル化とデジタル化の波に乗って一部の企業は巨万の富を手にしたが、その陰で多くの人が仕事を追いやられ、社会に疎外感を抱くようになった。自分たちの人生や社会が手の届かない巨大な権力によって牛耳られているという怒りは様々な運動に表われたが、政治は変わらず、上流層は富を蓄え続け、中流層は没落し続けた。そうやって置き去りにされた人たちの行き場のない感情に、ちゃんとアンサーしたのがトランプだった。

 ふと、自分はどうなんだろうか、と思った。もし、俺が起業家として本当に成功したらどうだろう。世間から見たらただのいけすかないクソエリートなのかもしれない。俺は正しいことをしているつもりでも、実は正しくないのかもしれない。いや、そもそも戦っても突き詰めてもいない俺は、そんなことを考えるスタートラインにすら立っていないのかもしれない。

 仰々しいオブジェを見て、俺はとりあえずハドソンヤードを脱出することにした。


 最終日の夜、俺はブロードウェイの劇場にいた。もしかしたら、大好きなマイケル・ジャクソンのミュージカルに、何かヒントがあるかもしれない。
 
 「MJ the Musical」は1992年の「Dangerous Tour」の舞台裏を描いた作品だ。過去と未来を行き来しながら、マイケルがスターになるまでの過程とツアー準備の様子が語られていく。
 
 物語は幼少期から始まる。ジャクソン5時代、まだ幼いマイケルは父親に厳しい指導を受け、兄弟揃って一躍テレビの人気者になる。しかしどれだけ売れても、父親は指導の手を緩めない。マイケルはベストを尽くしながらも、父の愛を感じられず苦しんでいた。
 
 やがて青年になったマイケルは、クインシー・ジョーンズと出会い、ソロアーティストとして活躍し始める。それからいくつもの歴史的ヒットを飛ばし、正真正銘のスターとなる。しかし、その先に待っていたのはメディアの執拗な取材や世間の嘲笑だった。
 
 父親にバカにされた鼻を整形したり、病気で肌が白くなってしまったり、心身共に疲弊している中で、マイケルは「Dangerous Tour」の準備をしていた。しかし、なかなか自分の納得のいく演出が決まらない。予算は不足し、スケジュールも迫る中、マイケルは危険なほど薬に頼っていた。
 
 そこで「Thriller」が流れる。お化けから逃げるこの曲が、父親から逃げるという文脈で使われ、マイケルの心の中には常に父親の恐怖が棲みついていることが示唆される。曲の最後に、マイケルは倒れ込んでしまう。
 
 もはやこれまでか…と誰もが思ったその瞬間、ステージに静かに光が差し込み、「Man in the Mirror」が流れ始めた。
 
 父親の存在や世間の目に囚われず、”Man in the mirror”(=鏡の中の人間、つまり自分)を見つめると、何が浮かび上がるのか。なぜこれだけ苦しみながらも、自分はパフォーマンスを続けているのか。そんな根源的な問いに対してマイケルが見つけた答えは、音楽への愛と、世界をより良い場所にしたいという思いだった。
 
 最後のシーンで、マイケルは立ち上がりステージに向かう。目の前に広がる大群衆と、無数のフラッシュ。マイケルは微動だにせず、サングラスをかけて静止する。それは、後に伝説となるツアーの伝説的な幕開けだった。フラッシュの光が線になり、ステージいっぱいに広がったところで、ミュージカルはフィナーレを迎える。

 マイケルは全てを跳ね除けたのだった。


 劇場を出て、バーで先生と落ち合った。興奮しながら、いかに作品が良かったかを力説したところ、先生は笑いながら「君はやる男だよ」と言った。なぜかは分からない。とにかく、芸術は心の栄養だ。
 
 家までの帰り道、俺はニューヨークで出会った色んな人を思い浮かべていた。この街では、皆がものすごくキツい環境の中で、命を削って自分を表現している。全てが移り変わる儚い世界、一度しかない人生で、自分にしかできないことを追い求めて挑戦している。
 
 俺も、俺にしかできないことを追求してみよう。自分を突き詰めた先に、同時代の人の役に立てる、面白いことが待っているかもしれない。なんといっても、世界を変えるには、まず鏡の中の男を変えることから始めなければいけないのだ。

I'm starting with the man in the mirror
I'm asking him to change his ways
And no message could have been any clearer
If you want to make the world a better place
Take a look at yourself,
and then make a change

鏡に映るそいつから始めよう
生き方を変えないかと問いかけるんだ
こんなに簡単なメッセージはないはずさ
より良い世界を作りたいと願うなら
自分を見つめ、変えるんだ

Michael Jackson「Man in the Mirror」

 飛行機を降りる直前、ヤンキースの帽子を脱いで「NEW ERA」と書かれたニット帽を被った。俺は一旦、遊牧民を卒業する。これからはひとつ、東京で頑張ってみようと思う。

 大きくなったら、ニューヨークにまた行こう。

(完)

ーーー


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