真夜中乙女戦争 読書感想文
読み終わって真っ先に思ったことは「一体この本は何歳の時の自分が読むべきだったか」ということ。自分がタイムマシンで過去の自分に会いに行って本をレコメンドする機会があったなら、一体どのタイミングの自分にこれを差し出すか?この本読んだ人でうっかりそんなことを考えた人がいたらぜひ教えて欲しい。いつ?なぜ?めっちゃ興味がある。
主人公と主人公の頭の中には大変共感できる節があった。遠い昔、実家から大学進学のために上京し、何のために自分はこれを?とか思いながら周囲に馴染むことを努力したんだけど早々にドロップして、モラトリアムだかなんだかをキメていた、あの笑っては思い出せない黒時代がご丁寧に言語化されて何十年もたってからうっかり手に取った本に書かれていたことには震えた。感動ではなくて、羞恥と後悔で。これは絶対、私と同じく、何の因果か主人公と同じ関西からうっかり、主人公と同じ大学に入学し、聞き及びのある校舎と地名をうろついて無為な大学生活を送った経験のある何万名だかは絶対同じ気持ちになるはずだと思う。該当する諸君、読んでくれ。読んで悶えたらいい。と言うか、読んで悶えろ。悔しいから私と同じ気持ちになってくれ。なってください。俺もお前たちもこの本の定義通りの乙女でしたとも。ええ。乙女は女だけではない。男だって乙女である。
だからのこと、この話には素人として少々文句がある。主人公やその思い人あたりの設定と心境は黒歴史をえぐられるのは耐え難いが大変引き込まれる、何なら前半はよかった。が、後半のストーリー展開はどうしたことか。歌舞伎町で真夜中の映画鑑賞やるまではよかったんだけど、そのあとの展開に全くついて行けなかった。私は書評家ではないし、自分では1行も書けない人間なので、面白い、面白くない、にとやかく意見は言えないけども、とにかく前半と後半の、設定とストーリーの接続不良。なんて言うか、例えるなら、前半村上春樹調で始まった話が、最後に登場人物は春樹のまま、展開が村上龍になって終わっていく、そのくらい別の話感があった。これだけ、これだけ、主人公に我々をリアルに近づけておいて、その後のジェットコースターな現パラIF展開は何なんだ。後半の展開を大事にしたいなら、主人公の設定からリアル感を削いで欲しいし、逆に主人公のあのリアル感を重視したいなら、後半の展開は「限りなくありそうだけど、ない」あるいは「めっちゃありえないんですけど、世の中の水面下で起きた大事件だから世の中に表面化しない」くらいの閾値に持っていかないと、私のような凡人はついては行けない。ついていけず、首都高で振り落とされて後続車に跳ね飛ばされた感じ。「我々乙女は戦争する。」我々の中には共感読者は含まれないんすか。させたい戦争はそういうことなんですか。
勿体無い。前半を重視したものに終始してくれたら、山田詠美の「僕は勉強ができない」とか「放課後のキーノート」あたりを読んで口をぽかんと開けていたあの頃の自分が読む本だったのに。
とりあえず、私はこの本と出会うべきは今じゃなかった。この気持ちはこの本を日曜の早朝に読んだからもしれない。とりあえず、まだ11時なので、このもやっとした気持ちを霧散させるには十分な時間が残されている。筋トレでもしようと思う。