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職場の昔話

今日も起きれました。

調子は悪いです。目覚めも悪くて、何をやっても「私は誰だ」と混乱がありました。長めに昼寝をすて、起きてからは風呂掃除や洗濯なんかをしながら過ごしました。

さて、今日は少し仕事の話をします。
正直、泣きながら書いているので気持ちの良い文章ではないと思います。

私は「真面目だ」とよく人に言われます。
ついでに「優しい」とも言われます。
それは正直間違っています。私は怖いだけです。
真面目なのではなく、ずれたことをして人に怒られたくないからですし、優しいのではなく『私が優しくされたいから人にも同じように振る舞う』が正しいです。
ので、大前提として、私は福祉向きの人間ではありません。
それでも、人を救いたいという気持ちはありました。
だから赤の他人の排泄物をみても平気でしたし、腰を壊しても「早く治して戻りたい」と思うくらい仕事は平気でした。
私が今こうなっているのは、全てコロナ禍と周辺環境のせいだと思っています。

職場での私は、いつもヘラヘラしていました。上司にも同期にも利用者にも、ずっとヘラヘラニコニコしてました。すっごくつらかった。ヘラヘラして真面目にやってれば、目をつけられずに済むと。
みんながみんな、誰かの陰口を言っていました。なんなら目の前でトイレに行きたがっている利用者を放置して愚痴を吐いていました。
私はそんな話したくなかったし、利用者ともレクとか、そうでなくても、もっと会話をしたかった。
コロナってこともあったけれど、もっとなにかやれることがあったはずだと。

今の職場は、入ったときから雰囲気は最悪でした。
その根源は当時の施設長でした。パワハラの塊のような人でした。
ヒステリックで、威圧的。自分のいうことに「はい」が返ってこないと怒る人でした。
トロくて、発達障害のある私は見事に目をつけられて、彼女が退職するまでずっと目をつけられていました。暴言は人格否定までされましたし、私の好きな服は「やばい」と指を指して爆笑されました。最終的には暴力を振るわれました。

嫌でした。1年間地獄でした。
認知症の利用者がトイレに入っている間に、トイレの外でずっと泣いてました。

本当は、誰かに話を聞いて欲しかった。でも忙しくて、誰にも相談できなかったし、しても「私もそうだよ」で片付けられてしまった。
人事にも報告しましたが、彼女は「私だって一生懸命やってるのに!」と逆ギレしていました。
最悪でした。

彼女は辞めた後も、『引き継ぎ』という建前で散々来ました。
私も何回か話しかけられました。最低限の会話しかしませんでした。
そりゃそうです。恨んでいますから。

結局、彼女のせいでトラウマになったことがいくつもあり、その一つで私は仕事中に過呼吸を起こしました。
そのとき、「あぁ、私もうこの仕事できないな」と悟りました。

私は、彼女を心の底から憎んでいます。私の好きなモノを嘲笑した彼女を。私を「役立たず」「恥知らず」と罵った彼女を。
私に暴力を振るって知らん顔している彼女を。

そして結局私にヘラヘラすることしかさせてくれなかった周囲を。
私を真面目だとタグつけした周囲を。

ちなみに。
過去に私が知っている限りで二人休職しましたが、職場では二人の散々悪口を聞きました。
発達障害を公表しているスタッフへの当たりが強く、見下していることも知っています。

今、私がどれだけスタッフの間で悪く言われているのかなど、考えるに容易です。
「正規のくせに」が合言葉でしたから。

私という歯車がいなくても回る職場には、近日さようならをするつもりです。
今の施設長は優しい方なので、その方にだけ罪悪感がありますが。

それでは、おやすみなさい。
いつか私が私に戻れますように。
乱文失礼しました。

最後にやりたいことを。

15.24時間寝る

起きないと、だめだよ。

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藤田当麻(氷岾筆々)
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