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ふと「日記を書こうかなぁ」と思ったという話

先日友人との会話で「noteで自らの作品の解説をしてしまうようなクリエイターにはなりたくない」という話で盛り上がった。

というわけで、noteを始めることにした

まぁ厳密には作品の解説をしたいわけではなく、ただ日記を書きたくなっただけである。
“日記"とはいっても毎日書くかと言われたらそうでもない。
その日あったことをつらつらと書いていくわけでもない。
とするとなんなんだ、”雑記"といえばいいのだろうか。
カッコつけて言えば“エッセイ”になるんだろうが、なんか”エッセイ”ってカッコつけてないですか?

あと、素人が書く文章はエッセイと呼んではいけない風潮を感じる。
とはいえエッセイを書いているアーティストと呼ばれる人たちも、言ってみれば全員が文章のプロフェッショナルかと言われればそういうわけでもなく
仕事として文を書いているから、そういう意味ではプロであり、そういう雑記というか随筆にあたるものはエッセイと呼ばれるんだろう。
というわけで、noteです

一応Tumblrでつくった個人サイトのようなものはあってそこで色々書こうとしたこともあったのだが、気づいたときにはTumblr自体がずいぶんと過去のものになっていた。
なんとなく気持ちを入れ替えたかったというのもある。

Twitter(もといX)に課金して長々と語るのもアリかなと思ったけれど、やはりTwitterは140字で収めたいという気持ちが強い。
というかTwitterおよびSNSというものは良くも悪くも数字が結びついてしまっていて、何を発信するにも打算的になってしまう。
とはいえ日々孤独にPC画面に向かうだけの日常が続いていて、正直作るものも、考えることも凝り固まってくる。
もっと自分の考えを見つめ直す場所があってもいいんじゃないか?と思うようになってきた。

思い返すと、中学生くらいの頃(2000年代初頭)の個人サイトブームの流れでテキストサイトまがいのことをやっていた気がする。
そこからmixiの時代が到来する。そこでも日記というか、テキストっぽいことを書いていた気がする。
その後はFacebookだのTwitterだのといったSNSの時代になり今に至るわけだが、やはり長くインターネットに浸かっていると言いたいことも無くなってくるというか

まともな人間ほど発信が少なくなる
これは大人になるともいう。

自分はその中ではまだSNSでウダウダやっている方なんですが、Twitter上のミニマムなアウトプットに慣れきってしまい、つらつら考えていることを書くということからすっかり離れてしまっていた。わざわざ伝えることでもないし。
都合上、仕事の話はできないことも多い。
でもよくよく考えてみると日々いろいろと観たり聴いたり、思ったりしていることはあるわけで…

というわけで、noteです
やりたくなったときだけ、やります。

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