私と占いの9年間(1サイクル)
初めまして、倉敷Penny Laneのまゆみです!!
note初投稿です。
倉敷Penny Laneというお店は、カフェであり、全国からびっくりするようなプロミュージシャンがやってくるライブハウスでもあるのですが、
私は両方の業務をこなしながら、
実は、
数秘術・タロット・オラクルカード占いもやっているのです。
noteでは占いに関するお話、今のイメージではレッスン系の記事中心に考えています。最近レッスン業に力を入れていて、なかなか自分としても面白く感じているのです。
まずは自己紹介を兼ねて、私が占いを始めてから今日までの9年間をざっくり書いてみます。
きっかけ
始めたきっかけは、当時親しくしていた人が、“タロット占いをしてみたい”と言ったことから。
その頃、お店に来てくれていたお客様の中に占い師さんがいたので、それなら一緒に習おうということになったのです。
自分から習いたいと言い出したわけではなかったのですが、いざ始めるのであればタロットだけではなく数秘術も習おうと、同時進行で始めたのでした。
数秘術でまず知ったのは、自分の誕生数。
【11】でした。
強いスピリチュアル性を示すナンバーが私に宿っていたのです。占い師向き。
霊感とか無いので全く無自覚でしたが、知ってから振り返ると、陰陽師の特番とか好きで見ていたし、感で動くことも多い私。
そして、積極性よりは受容性が強いナンバー。
今回の占いのように、自らの意思で何かを決めて動いたという事は少なかったような…。
そして、占いを始めた年のパーソナルイヤー(1年の運気を示すナンバー)も【11】。
私は占いを始めるべくして始めたのです、きっと。
そう思うと、みるみるのめり込みましたね。
占い師デビュー
そんなこんなであっという間にレッスン期間が終了し、幸いになことに活動拠点となるお店があったので、即、占い師としてスタート。
手探り状態で、お客様も決して多いとは言えませんでしたが、すぐスタート出来たのはラッキーだったと思います。
もう一つラッキーだったのが、私がこれまでやってきたPenny Laneというお店には、田舎の親子二人がやっている小さなお店としては、信じられないほどビッグなプロミュージシャンが大勢ライブに来ていたことです。
ありとあらゆる個性的なミュージシャンたちに協力していただき、数秘術で鑑定させていただけたことは、今思えばすごい財産のように思います。
自分の夢をかなえたミュージシャンたちの数秘を知ること。
これは、テキストベースでは知ることが出来ない、私だけの数秘観を作り上げることにつながりました。
数秘術のナンバーの中にいっぱい詰まっている夢やロマンを、普通に生活している私たちにも反映させてリーディングする私のスタイルが、出来上がっていきました。
壁
ボチボチながらも活動を続けていた私ですが、大きな壁にぶち当たります。
とある若い男性のお客様の2度目のセッション。
かなり取り乱していて精神状態も決して正常とは言えない様子。
しかも、私は前日に大きなイベントがあり、集中して占える状態ではなかったのです。
占いの“読み”は、自分自身のコンディションに大きく影響されます。
その時は未熟すぎて、そんな状態で占ってはいけないことに気が付いてはいませんでした。
全く冷静なコミュニケーションがとれないお客様に、少し投げやり気味にセッションを終わらせてしまったように記憶しています。
そして、数か月が過ぎ、忘れたころに、そのお客様からクレームが入るようになったのです。どのようなクレームかはここでは述べませんが、
要するには、『あなたが大丈夫だと言ったのに、当たらなかったじゃないか』ということ。
占いは予言ではないし、当たりはずれがある世界。
そういったクレームは私にとってはかなりの精神的苦痛でした。
占いを辞めたくなるぐらい。
最終的には、腹をくくって、一度そのお客様と話し合うことで何とか理解していただきました。
その過程で、一度師匠に相談しました。
『まゆみちゃん、これを乗り越えると占い師として一皮むけることが出来ると思うよ』
師匠にはそう言ってもらい、これは一つの試練なんだとは頭では分かっていましたが、
ひとまずの決着がついた後、
私は、お店のHPからも、“占いの看板”を一度降ろしてしまうのでした。
休眠期間
そんな期間が2~3年ぐらいはあったかも。
でも、その間も変わらず、ミュージシャン達の数秘鑑定は続けていました。
休眠期間、オラクルカードのオンラインレッスンというのを積極的に受けていました。スキルを落としたくないという気持ちでやっていましたが、
今思えば、ここでオラクルカードの考え方、
『どうすれば良いか』というアプローチをしっかり理解できたのがプラスになりました。
“占いの当たりはずれ”という壁にぶち当たり、その有用性に迷いを感じていた私の答えはそこにあったから。
“当たりはずれ”のある答えを出すのではなく、“どうすれば良いか”という可能性を広げるメッセージを伝えれば良いのだと。
ここで私のカード・リーディングのスタイルも出来上がってきたのです。
そして、何よりも励みになったのは、私が占いの看板を下ろしている事なんてお構いなしに、変わらず時々立ち寄ってくれるお客様が数名いらっしゃったこと。
『顔が見たくなりました、お話がしたくなりました』と…。
再起の看板を出す
そんな情けない期間を過ごしながらも、実は再起する時だけは決めていました。それは2019年。
数秘術では9年を1サイクルで考えます。パーソナルイヤー【1】の年から【9】の年まで。
私にとって2019年はパーソナルイヤー【1】になる年。この年から、大きな運気の流れで見ると人生の後半に差し掛かり、しかもその後半の人生(第3ピークと第4ピーク)には私のナンバーでもある【11】の運気が宿るのです。
これは最初に数秘術を習った時に分かっていたことでした。
私の占い活動が本格的に開花するのは、2019年以降だろうと。
だから、この年になったらもう一度頑張ろうと決めていました。
いざ2019年になると、少しずつ、HPを新しく作りこんだり、ブログもしたりと再開に向けて動き出しました。
セッションには、ベストコンディションで臨むこと。
どんな状態のお客様でも、理解し、受け入れ、寄り添うこと。
そして、逆に自分もお客様を選ぶこと。男性の気持ちには、きっと完全には寄り添え無いだろうから、基本的には女性限定にさせてもらおう…。
反省を基にして、自分なりのルールや線引きもしっかり作りました。
パーソナルイヤー【1】(更に第3ピーク【11】)に入った2019年7月、
その頃から嬉しいことに、タロット占いの生徒さんが何名か来てくれるようになりました。
最初は教えることに自信がなかったのですが、運気の後押しもあって始めることにしたレッスン。
これが、私にはとても面白かった!!
そしてアウトプットは私のさらなる成長にもつながりましたし、時間を延長してしまうほど占い談義で盛り上がれたし。
新規のセッションのお客様も少しずつですが増えて来ました。
数秘の運気の神秘を改めて感じたのでした。
3つの【11】が宿る今の私
そして昨年2020年7月からは、数秘術の運気の9年サイクルがぐるっと1周して再びパーソナルイヤー【11】へ。
私自身がもつ【11】、
大きな運気の流れである第3ピーク【11】、
1年の運気であめパーソナルイヤー【11】、
3つの【11】が重なる時期にいます。
この時期に入って、前年以上にレッスン生さんも多く来ていただきました。
もちろん再開してからも勉強させてもらうことも多々ありましたが、やっぱり全部必要なことだったんだろうと、やっと思えています。
『タロット・オラクルカードが好きな人ともっとつながりたい』
そう感じ、ワークショップを開催してみたり、動画配信してみたり、noteも始めてみたり、とあれやこれやしている現在。
まだまだ、決してこれで大成功しているわけではありませんが、少なくとも私自身は、今までで一番占い活動を外に向けて積極的にしていて充実しています。
『占いは
継続する力とハートがあれば誰でも身につけることが出来る
とっても素敵なスキル』
なんですよ。