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執筆をし始めたのは17歳の時から

やっぱり私は文章を書きたい人間なんだ、と改めて感じる機会を度々頂戴している。

メインのお仕事に邁進しながら、傍ら執筆活動を続けている理由は、私の尊敬する文学の世界での教授との会話の中で、

「君は預言者だ。“予言”の方じゃない、“預言”と書いて預言者。言葉を預かる人、作家に多い。訓練だと思って、毎日書き続けた方が良い。」と。

預言の場合は、声で聞こえたり、映像だったり、文字・言葉、切れたチェーンのようにまだらな文章だったりがふと頭に降りてくるからそのまま書くんだけれど、それを崩したり肉付けしたりしながら、頭で読み返したときのリズムや構成に違和感がなくなるまで文章を精査していくイメージ。

その預言が激しい時は、取り憑かれたようにペンが止まらなくなる。(昔は手書きだったが、今はボイスメモに録音したり、パソコンや携帯のメモ帳に打ち込んで、カテゴリー別にファイリングしている)

長き間、本能的に(と表現するのが正しいかな)書き続けては来たが、16、17歳頃に相当に苦しい出来事があり、その日々のなか、感情を言葉にしたり、自己を慰めるためか、心の中を整理する目的か、空想的なものもあれば、とにかく色んな形式で試しながら文章を書いてきた。

当時の私からしたら、苦しみから逃れるために、書くことで自分一人の世界に癒しを見出したのだろう。いつしか〝書く〟という行為自体が、自分の拠り所で、支えになっていたと思う。

不思議だけれど、書くことに関しては、テーマや内容に変化はありつつも、飽きることがない。

私の場合は、今世の人生での根幹の職業があって、専門的知識を要する副職も抱えており、しかしそのどれもが自分の情熱の矛先が示すものしか採用していないし、それらすべてが〝人間わたし〟作り上げる大切な因子となっている。

しようと思ったら取捨選択することも出来るが、そのどれかが欠けると、私というパーソナルは死んでしまうだろう…とそのように理解している。

今のところはどれも放棄する気がないので、出来る限り広げられる素養を集めて、私の取り仕切る分野すべてのセクションを取り纏めて動かせる場所が欲しかった。

過去の作品を含め、自分の執筆物と日々の備忘録をこのツールで発信していけたらと思う。

女流官能作家・椿 うたは

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