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M先生のこと(私のフリースクール構想の原点について)

ふと思い出して、ツイッターで書いていたものの、140文字じゃ書ききれず、noteにもしたためてみようと言う気になった。

これはなかなか、ディープな話でもあるので、書こうとしたけど書けずに下書きを溜めてきた話でも、ある。

苦手な方はごリターン頂きたい。

話は私が16歳の時にさかのぼる。

当時私は中学の色んなストレスを溜めまくったことと、周りに良い顔をしすぎて、高校に入ってから体が言うことを聞かなくなり、不登校になってしまい、それを認めたくない自分と学校に行きたくても行けない自分と、日々悪くなる体調でにっちもさっちも行かなくなり、登校しないまま、単位が足りなくなって退学する、という状態に陥っていた。

「間を空けちゃいけない」と感じた親が、某通信制サポート校に入れたあたりから、話は始まる。

入ったものの、電車は乗れないし、キャンパスまで歩くのもしんどいし、そもそもこんな風になってしまった私はトゲトゲしていたし、誰にも心を開かなかった。

かといって自分の意思なんてなく、無防備だったから、当時の友人に振り回されたり、会う度になんかパワー吸い取られて逆に具合悪くなったりしていた。

どんどんリストカットの方にのめり込んでくし、自分が自分じゃないようでいたところ、サポート校の先生から、提携している精神科とカウンセリングを勧められた。

精神科!

カウンセリング!

それってメンヘラの行くとこじゃんか!

当時16の、ただでも思春期で不安定な私は、とにかく抵抗した。

行ってたまるか、行ったらもう戻って来れない…。

そう思ったのは、当時ネットで知り合って文通をしていた友人が、精神科に入院経験のある子だったため、精神科=恐ろしいところ だと思っていたからである。(後で気づくのだが、彼女はなんでもどうしよう、と委ねてくるタイプ&巧みな言葉でなんでも一心同体みたいな感覚を押し付けてくるので、真剣にやり取りするのが怖くなって私の方から音信不通にするようになってしまった)

実際は精神科のあるクリニックの、心療内科に通うことになるんだけども、そこで出会ったのがM先生だった。

初めて出会ったのはクリニックの奥にある、カウンセリングルーム。

周りにも、自分にも、心を開かなくなってしまった自分の、初めてのカウンセリングルーム。

正直、カウンセリングには良い印象をもっていなかった。

理由は、中学の心の相談室。

実は相談をしようと休み時間に何度か近づいた事がある。

ただ、そこでは悩みなんてなさそうな(今思うとあったのかもしれないけど、)遊びたい女子の集団がキャッキャキャッキャと大騒ぎして、ソファーを陣取っていた。ニコニコ満足そうにペラペラ喋るおばちやんカウンセラーを見て、「何が誰でも、だ」と私は早々に見切りを付けてしまったのだ。

そんな自分の、最初のカウンセリング。

低くて四角い、冷たそうなテーブルを挟んで、さっぱりとしたグレーのスーツに身を包んだおじいさん先生がにっこり微笑む。

私は、目も合わさなかったと思う。聞かれても、答えなかったと思う。

ニコニコ明るくて優しい優等生を演じて16年間生きてきた中で、1番酷い大人への対応だったと思う。

自分の後、娘の様子を話に部屋に入っていった母親に、「嫌われちゃったかな」と穏やかに言っていたということを覚えている。

その後、どんな風にして、M先生に心を開いていったのかは実はちょっと思い出せない。

ただ、私はその「嫌われちゃったかな」を、…今まで私を傷つけてきた大人(中学時代ね)達に取るべきだった態度を、この優しそうな先生にぶつけてしまったことに、ちっちゃな後悔をもっていたことは、本当だ。

クリニックから、場所はM先生のカウンセリングルームに移っていく。

地下鉄の駅から、坂道を少し登ったところにあるマンションの1階。

インターホンを鳴らすと「どうぞ」とニコニコとM先生が迎えてくれる。

私の前にカウンセリングを受けている子とは、パーテーションもあったし、滅多に鉢合わせすることはなかったけど、たまに会う子達は、たいてい目を合わせずに、ちょっと困ったような顔のお母さんと2人でM先生に頭を下げて帰っていった。

待っている間、待合室のふかふかのソファーに座り込む。

テーブルの上には県内のフリースクールのチラシ、ボランティアさんがご好意で置いただろう、四角いクッキー缶に入った美味しそうな焼き菓子やおせんべいが「ご自由にどうぞ」と置いてあった。

そして、ノートが1冊。

パラパラとめくると、カウンセリングルームに来た子達が自由に書き込めるようになっていて、各々の悩みや、それに応えるように励ましのメッセージがあったりした。

当時は自分のことでいっぱいいっぱいだったけど、自分以外に悩んでる子って結構いるんだな…と思った。

カウンセリングルームに来る度、ノートをパラパラめくりながら、コメントを残したりもした。

通信制サポート校の方は、友達もでき、無事に大検も取れたりで、安心感も増えたのか、電車もちょっとずつ乗れるようになって、人混みにも慣れるようになってきた。

どこでどのようにカウンセリングルームに行かなくなったのか、大丈夫になったのか、それとも大学生になって忙しくて行けなくなったのか、覚えていない。

でも、私が当時の自分を助けたかったように、学校に行けなくて…居場所がなくて…自分を責めてしまって…困っている子の力になりたいと思い始めるようになったのは、教師になって1年目のことで、そして、目を閉じると浮かぶフリースクールのイメージの中に、M先生のカウンセリングルームがあるのだ。



今年に入って、特別支援関係の方から、M先生が亡くなっていた事を風の便りで知った。

M先生は地元の教育大でも有名な名誉教授で、その道の人達の間でも有名な先生だった。



M先生とのやり取りで、私は絵本作家や童話作家になりたいことを話せるようになっていった。

その頃は絵本屋さんに通って店主の人に自分の作ったお話を見せたり、ちょっとずつ人と関われるようになっていって、M先生にも絵や文を見せたりしていた。

「うわぁ、かわいいねぇ!」と自分が描いた動物のキャラクターを褒めてくれたり、優しい微笑みで物語に目を通したりしてくれた。





私が大学に入ってから、進路を変えて、教員になったことも、1度病気退職して仕事を変えて、また戻って来たことも、M先生はひとつも知らない。


ただ、私の頭の中にある、あのカウンセリングルームは、私がフリースクールをしたいと思った時の原点でもあるし、私がこの活動をすることで、あの頃の自分にも、M先生にも、見守っていて欲しいという気持ちがある。

私は、M先生の後に続くことができるだろうか。



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