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4歳の娘とはじめて「死」について話した(2024/10/17)

娘(4歳)とはじめて「死」について話した。

きっかけはディズニー映画のエンドロールのいちばん最後にながれるウォルト・ディズニー氏の名前だった。「ウォルト・ディズニーってなに?」と聞いてくるので、「ミッキーやドナルドや、この映画を作ったひとのことだよ」と答える。

その後、娘は何人かの大人に対し、ウォルト氏について質問したらしい、結果「ウォルト・ディズニーさんはミッキーやドナルドを作ったおじいちゃんだが、たくさん歳をとって〝なくなって〟しまったから、もう会えない」というところまで理解してきたよう。そして再度、私のところに戻ってきて、このように尋ねる。

「なくなるってどういうこと?」

さて難しいぞ、と思う。娘とはこれまで「死」についてはほとんど話してこなかった。

4歳ぐらいであっても、悪ふざけのなかで「死んだ」とか「死ね」とか口にする子はいるけど、やはりそういうのは、親としてはあまり推奨したくない。

だから「死」について話をするのであれば、その言葉の持つ重さを、ある程度伝えられる場面で話したいと思っていた。でも、娘本人がここまで疑問を持っているのだとしたら、今がその場面なのかもしれない……。

「ねえパパ、なくなるってどういうこと?」

考え込んでいる私に、娘が繰り返し質問する。

もう会えなくなることだよ。と私は返答する。

「どこかに帰って会えなくなっちゃうの?」

娘は真剣な表情で私の答えを待つ。軽い気持ちで聞いているわけではないぞ、という表情をしている。ちゃんと答えなければいけないなと私も心を決めて、できるかぎり慎重に、言葉を選んでいく。

死んでしまって、もう会えないということ。死んでしまうというのは、これは誰にでも、いつかは起こることだけれど、いなくなって、もう会えなくなるということだよ。それは寂しいことで……、寂しいことなんだけど、会えなくても思い出は残る。たとえばウォルト・ディズニーさんにはもう会えないけど、ディズニーさんが作ったミッキーや、ドナルドや、たくさんの映画は、今でも見れるでしょう。そういう思い出があったら、会えなくて寂しい気持ちが、ちょっとだけ嬉しい気持ちになるかもしれないね……。

だいたいこういった内容を伝えた。全部は伝わらなくても、いま「死」について話したときの真剣さだけでも覚えておいてくれたらなと思いながら。

すると娘は、簡潔にひとこと、このように答えた。

「明かりがパッと消えて、もう会えなくなるということ?」

おそらく冬に行ったディズニーランドの、閉園時の風景を連想したのかもしれない。なるほど、素敵な言い方をすると思った。ディズニーランドはまた、なんなら年に何回かは連れていけるけれど、寂しい別れでありながら思い出は残るというような感じが……。

なんだか私の腑に落ちる感じがした。何より娘なりに、私の言う事をしっかり受けとめてくれたんだなと、それを強く感じた。

そうだね。そうかもしれない。と、娘の頭を撫でる。

今日の「これ読んで」

廃墟のアルバート

生死の重みと、思い出の重みについて書いた作品です。命が終わるとき、命よりも大切な思い出を持っていられたらうれしい。

あばうとみー

辺川銀です。ぺんかわぎんと読みます。ぺんぎんが好きです。文章屋さんです。「あなたのお話を小一時間きいて、それを基に短い小説を書きます」というサービス「あなたのショートショート」もやっています。

ホームページ:ねこぺんぎんの絵本棚
ツイッター:@penkawagin

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