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「一(いち)」を極めること
こんにちは。今までは一か月間の総まとめと旅行に関しての記事を書いていましたが、今回は僕に関しての話をしようと思います。
最近「ぼっちざろっく」というアニメにはまっています。根っからの陰キャコミュ障の主人公ぼっちちゃんが、自身の唯一の特技であるギターを通して成長していくという物語です。普段はクソザコなぼっちちゃんがバンドライブのここぞという場面で主人公ムーブするところがカッコよくて好きです。
さて、インド生活が始まってから半年が経ち、僕はこちらで様々な経験をしてきたと思います。限界寮生活、寺住まい、空手、一人バックパック旅、茶道などなど。また今後は、インド人向けの日本語レッスンの講師、ヨガ、そしてもしかしたら日本人向けのヒンディー語レッスンを始めるかもしれません。これらを見て皆さんはどう思うでしょうか。いろいろチャレンジしていてすごいなあと感じますか?それとも、お前はいったい何を目指しているんだとツッコミを入れますか?
タイトルにもある通り、今回は生涯を貫く「一」についての記事です。ですので、簡単に僕の今までの生涯を振り返っていこうと思います。
僕は約22年前に栃木県小山市の一般家庭に生まれました。幼稚園では、男の子の定番の習い事であるサッカーを始め、小学校4年生くらいまで続けましたが、好きでも得意でもなかったので熱中はしませんでした。サッカーの後、空手を始めたのですが、これはそれなりに筋があったようで、やっていて楽しかったです。(だからこそインドでもう一度やってみようと思ったのですが)もし空手部が中学にあればきっと選んでいたでしょう。(そうすればこの記事を書くことはなかったかもしれません。)
中学からはこれまでとは一転して吹奏楽部に入り、音楽の道を選びました。これが案外向いていたようで楽器の腕は割とすぐに上達し、コンクール以上に個人の技量が問われるアンサンブルコンテストでも賞をとったりしました。またこの頃から、勉強は受験という競争を意識し、点数と順位がものをいうようになってきますが、それにおいても僕は人と比較して優れていました。ここで勝負に勝つことの楽しさを学びました。高校に入学して以降はそれがエスカレートします。これはあまり人には言いたくないですが、当時は自身に対して一種の全能感を感じていました。進学校で成績優秀、部活でも好成績。まさに俺tueee状態です。とても楽しかったです。
ところが大学に入ると、成績や順位、点数といった「強さ」を表す指標がほとんど使われなくなり、より生活が個人化、多様化してきます。勉強を頑張るもよし、サークル活動を充実させるもよし、アルバイトで金稼ぎまくるのもよし。派手な恋愛をするのもよし。趣味に時間をかけるのもよし。。。そうして、僕の周りの人々は次々と華やかな新生活を楽しみ始めるわけです。確かに勉強も部活もそれなりに得意な方ではありましたが、それはそれらから得られる「勝負と勝利」が好きなのであって、それ自体が好きというわけではありませんでした。ゆえに勉強とサークルでは、大学以前にはあった「競争」がなくなってしまったために、モチベーションををかなり失ってしまいました。今までそのような「勝負」に固執していた分、周りの人がいう「純粋にやってみたいこと」というものがこれと言ってありませんでしたので、結局新生活に際して特別新たなチャレンジをすることなく、生活全般へのモチベーションがぐっと下がりました。勉強、サークル、バイト、恋愛、趣味のどれにも熱中できないつまらない日々が二年続きました。
こうした中で、「インドに行ったら誰よりも留学生活を楽しんでやる」という考えが浮かぶのは自然なことです。要領はそれなりにいいタイプだったので、さほど勉強せずとも、高GPAをとり派遣留学の権利をつかみ取るのは簡単でした。そうして今、僕は最低限の勉強をしながら上記のような数多くの体験、チャレンジに身を浸しています。そして日本にしばらく戻らなくてもいいと感じるほどには留学生活を楽しんでいます。思考も日本にいるときよりずっとポジティブになりました。
しかしながら、今度は別の壁が現れました。それは「結局自分は何がやりたいんだ」という事です。確かに、様々なことを体験して、異なるアイデアを知ることはできていると感じます。それを否定するつもりはありません。ですが、自分には「極める一つ」がないことに気づいてしまったのです。今まで一つも道がなかったのが、今度は道が多すぎてどうすればいいのかわからなくなってしまったのです。僕はこれまでの体験を通して、道を極める人を何人も見てきました。インド学博士、黒帯の達人、茶道の先生、仏道を極めた僧侶など。これらの人たちに比べたら、僕がこれらの体験を通して得られるものなんてほんのわずかでしかない。そしてこれまでの体験を通してでも。。。これはパラドックス的ですが、何でもできるというのは、同時に何もできないという事なのです。たった一つでもいい、僕が胸を張って「できる」といえるようなものが欲しい。これが今の僕の率直な気持ちです。
今はまだまだ若いので、たくさんの経験を積み模索する段階ですが、大学卒業までにはその後の生涯をかけて極める「一」を見つけたいと思います。