優しさに包まれたい時
人ってちょっとしたことで傷ついたり悲しくなって、その日1日何もしたくないって日はありますよね。
今朝、たまたま嫌なものをみてしまって、とてもとても心が痛んでしまいました。
人と会うといっても、リアルで出会う時は、お買い物や新聞代の集金とか荷物の配送くらい。
病院への通院や用事で市役所に行くのも、リアルに人と会う機会かな?
子供関連なら中学まではよく保護者会や授業参観に出ることはは多かったけれど、高校生となると授業参観は消えるし、保護者会の開催も危うい状況になっている。特にコロナ禍だから、欠席している人は多かった。
一応、該当記事についてはよく読んだけれど、微妙な線で通報も何もできない。相手も叩かれた経験があるから、叩かれないようにするテクニックをもっているんだろうね?
人を傷つける記事を書くことは楽しいこと?自分の心が満たされること?
いやそれは違うと思う。逆に悲しいことだし、すぐにでもやめた方がご自身が返り討ちにあって、傷つくことになってしまうと思うんですね。
結局は自分の心を知らず知らずのうちに傷つけているんです。
今は社会全体がギスギスしていて、些細なことでも喧嘩しやすい世の中だけれど、どうすれば自分の心も周りの心も傷つかないようにすればいいか?
「自分が言われて嫌だと思うことは一切書かないこと」
これにつきると思うし、これにプラスアルファするとすれば、
「人を喜ばせる楽しい文章を書く努力」
をすると、自分も読んでくれる人も傷つくことはないし、読んでくれる人を明るくするんですよね。
「人を喜ばせる楽しい文章を書く」って案外努力がいるもので、意外とかけない人って多いかもしれません。
そこは、あまり踏ん張らずにその日の楽しいなぁとほんわかすることを書くといいのではないかなぁ。
思いつかない時は、何か自分のお気に入りを抱きしめてから考えるとか。
私は、熊のプーさんファンなので、夫に最近買ってもらったプーさんぬいぐるみを抱きしめて、辛いなぁという時は抱きしめています。
(な、内緒よ。といってもここで書けばバレるか)
ふわふわしたものを抱きしめることは、心理学上でも「つらい心を和らげる」と言われているそうで、セルフハグもひとつの自分のギスギスした心を休めるとか。
仕事や勉強でつい「こんちくしょー」と腹立つことはあるだろうけど、優しさに包まれたら、そういうイラッとした気持ちも消えるし、ほんわかした気持ちに戻れる。
イライラはひどくなれば暴言になり、ひとつ間違えれば裁判ものにもなりかねない。
だからね、イラッとしていると気づくことは大事。そしてセルフケアで治るならラッキー。
ほんの少しの時間だけ、優しさに包まれてみましょう。