関西弁は人情味溢れる言葉がいっぱい
関西弁といっても、いろいろとあって、同じ大阪府内でも、イントネーションや同じ意味なのに言い回しが違う言葉がある。
神戸や京都は違うというらしいけれど、神戸に住む兄に聞いてみると「また同じ神戸でもちょっとイントネーションが違うでぇ」という。
なぜ、「関西弁=大阪弁=怖い」に繋がるのだろう?
実際は、恐怖を与えるためにつかっているのではない。ただ、その地域の言葉のイントネーションなどが、違う地域の人にはきつく聞こえるだけで、気をかなりつかっている。
昔「われ、なにぬかしとんねん」とか「〜やんけ」という言い回しはあるけれど、これを使える若者はどんどん減っている。いわゆるこれらは農家の人が使っていたゆるーい言葉使いであって、怒っているわけではない。
本気で怒っているときは、仕事で昔の河内弁を炸裂させれば、土下座するぐらい恐怖は味わうだろうけれど、まぁ、昔ながらの河内弁も消えつつあるので、そんなに怖がられることはないんだけれどと思う。
気が付いて欲しいのは、キャンディーに「飴ちゃん」とちゃんづけをするところだ。他の地域の人からすると、食べ物、しかも飴に「ちゃん」づけをするのは、信じられないだろう。
理由は不明だけれど、何か小さな食べ物に親しみ感をもって「ちゃん」づけしてしまう。私もパソコンや何か親しみのあるものには、「ちゃん」とかいろんな名前をつけて、大切にしている。
よく都市伝説で大阪人はカバンの中に飴を入れていると、テレビで言われるが、今その文化も薄れているようには感じるものの、おばちゃんからパイン飴をもらうことは多い。それは、何か親切にしたときのお礼。
私の母方の祖母は、糖尿病で低血糖防止のために飴ちゃんを持ってはいたけれど、何か小さい子には「飴ちゃんあげるわ」と渡していた。
ちなみに、わたしはというと、
飴ちゃんではなく、こんにゃくゼリーである。
たまにパイン飴を入れているけれど、ほとんどこんにゃくゼリーかもしれない。
人にあげるというより、小腹が空いたときのおやつで持ち歩いているかもしれない。
それと、道に迷っていると、細かく道案内をしたり、時間に余裕があれば、目的地まで案内するのも大阪人の特徴かもしれない。
というわけで、大阪は本当は怖くなくて、人情味溢れるところだから、言葉を聞いて「怖い」とは言って欲しくないなぁ。