きっといつかできるようになるさ
今日は学校の三者面談で寒空をテクテク2人歩いて出かけた。
対人恐怖症だから、先生と話すのに慣れるまでに時間がかかる。精神疾患のことは、ごく限られた先生しか話していない。
こんな精神疾患を持つ人間だから、私の心を理解してくれる人間は僅かだし、話しても理解してもらえないことの方が多い。
「なんでそんなに怒るの?なんでこんなことで腹を立てるの?」
と言われ、説明するけれど、私の説明は上手ではないから、さらに誤解を与えて、喧嘩別れしたり、離れて行ったりする。
今年は、私の良き理解者であった人が、病気で亡くなって、コロナ禍の都合上でお参りにもいけなかった。
SNSでのやり取りにも疲れてきていて、どう付き合っていけば良いかもわからない。
「そうだ!外に働きにいけば変わるんじゃないのかな?」
と単純に考えた。でも、それは結局ダメだった。
着付け師の資格があるし、呉服屋さんや写真館での着付け(子供さんもできる)をするなど考えたけれど、許可は出なかった。
「対人恐怖が会って、咄嗟の時のパニック発作があるから、外での仕事はできないでしょ。ぺんさんは、今は自分のペースで楽しんでできる仕事がいいよ。ライターの仕事を禁止したのは、自分のペースでできないし、対人関係で拗らせたこともあるし、もう傷つくのは嫌でしょ?今は我慢して」
そりゃそうだ無理だよね。
咄嗟のことにパニックになるんだから、車の運転も近場でしかしないようにしているし、ライターの仕事を止めたのも、かなり傷つくことをされて、寝込んだぐらいだもん。普通の精神状態ではないものね。
もうひとつ問題があって、知り合いに私の病気のことが理解されず、落ち込んでしまったことがある。
私だって、母親なのに。
何もできないように言われて、落ち込んだ。昔、かなり酷くて何もできない人だったけれど、今は薬やトレーニングで精神状態を安定させられるようになったから、一見何も病気をしていないようには見えるようになった。
娘を育てていくのに、自信より不安ばかりで、私のような人間が子供を育てていけるかはかなり不安だった。でも今は、高1の女の子に成長して、勉強も頑張っていてくれる。お手伝いもしてくれるし、ここまで気の使う子になったかともびっくりしている。
娘の成長とともに、私も徐々に考え方や病気の原因となっていることについての考え方は変わってるので、いつか普通の人のように、外で働けるようになる日がきっとくる。そう信じていよう。