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人間、誰でも恐れ多いものはあるという話

季節外れですが、4月下旬に咲く藤の花はきれいですよね。
私の実家の近所に、個人で藤の花の管理をされていて、毎年「藤祭り」と題して、一般開放されます。

このシーズンは、ぜひ見たいので、平日にこっそりと見に行く時もあれば、娘を連れて、きれいに咲いた藤の花を見せてやります。
一本の木から、かなり枝分かれしているので、家の屋根に登らせて上から見せていただくこともできます。

しかし、藤の花は、上から見ると美しさがあまりよくわかりません。
下から見上げると、垂れ下がる藤の花房と香りでうっとりします。

実は、この藤の花を大切にしているところはあります。

それは、浄土真宗の紋からわかる話なのでご紹介します。

我が家はカトリックではありますが、主人の実家は浄土真宗であり、娘の学校は浄土真宗の学校なので、この紋が経典集の面に印刷されています。
正確には「東本願寺派」なので、「真宗」ともいいます。

なぜ、浄土真宗と藤が関係しているか?
それは、真宗の法話の中で、よく出てくる話からです。
「藤の花を見るのは、頭(こうべ)を上げなければ、美しさはわからない。藤の花を上から見ると何もわからない。人は、美しこと、正しいことを知るには、常に仏様(阿弥陀如来)へ恩(美しさや正しいこと)に対して、感謝することで、頭を下げるのだ」という話から、この紋が使われるのです。

人間は、常に何かに畏怖と尊敬の念を持たなければいけないと言われます。
しかし、最近は、年上である先輩の方をバカにしたり、自分よりも実力のない人に対して、失礼な態度をする人は必ずいます。
その中でも、年齢に関係なしで、お互いを尊敬し合う関係もあります。

カトリックでも同じ話はあるのですが、一番この藤の花のたとえがわかりやすいかなぁということで紹介させていただきました。

美しいもの、素晴らしいものは、そう簡単には手に入らない。
自分は絶対にすごい人間ではなく、控えめにそっと生きるということが大切だというお話でした。


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