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<变色龙,与刮过你面前的屎的时代的风>(カメレオン、とあなたの前にある糞を吹き抜ける時代の風)

人说对这个世界充满爱
那只是与之拉开距离时的发言
距离产生美并不是说
美作为一种实体在距离中产生
只是离远一点让人更舒服
也不需要面对麻烦和承担责任

责任是人制造的故事
有些责任是在为了帮助别人的语境中产生
有些责任只是在
为了满足他者的凝视的语境中产生
而人们喜欢凝视
因为凝视别人比凝视自己轻松

拥有权力的人可以决定什么是美的
其他都可以被说成低俗
一个放在美术馆的精美艺术品
和废弃大都会的浮夸消费空间
感叹前者美的人可能是设计圈的权力者
感叹后者美的人可能是来自荒芜世界的无知少女
有人会跟在前者的屁股后面定义美的概念
但只会有人对后者稍稍表示尊重

权力只是主体与主体之间的识别
而当这种识别变得过多的时候
就变成了现实

人们都喜欢躲在别人背后发出声音
等有人发出声音了再借机行动
如果有人愿意替自己去死那就稍稍勇敢
如果没人愿意替自己去死
那就继续闭着嘴吃完自己面前的屎

或者人们喜欢说“慢慢来”
遇到对自己的利益有损害的事情时
就喜欢说“慢慢来”
也就是不做真正让现状改变的事
所有危害自己的行动
不管多小的都可以被说成激进
只有自己的安全才不是激进

那我们该怎么面对这个世界?
该怎么面对眼前没吃完的屎?
让我们来问问南极的变色龙
但是糟糕
南极没有变色龙
你是变色龙
可以适应一切的变色龙
可以接上一切话的变色龙
可以幻化成风的变色龙
化成随时代漂流的风
风刮过每一坨时代的屎
在吃屎中成长
然后教会下一代继续吃屎
并称之为一种磨练


人は世界に対して愛を抱くと言っているが
それは距離を置く時の発言に過ぎない
距離から美が生まれるとは
実在物として美が距離の中で生まれるわけではなく
距離を置けば気持ちよくなる
面倒と責任も避けられるからだけだ

責任とは人に作られるストーリー
ある種の責任は
人を助けるためのコンテクストから生まれる
ある種の責任は
他者の凝視を満足するためのコンテクストから生まれる
人は凝視が好きだ
他者を凝視することは
自分を凝視することより楽だから

権力を持つ者は美の定義を決める
他のすべてのものは低俗だと言われてもいい
ある美術館に置かれる精緻な芸術品
廃墟となった大都市の華麗な消費空間
前者に対して「美しい」と感嘆するものは
デザイン界の権力者かもしれない
後者に対して「美しい」と感嘆するものは
荒廃した世界から来た無知な少女かもしれない
前者のお尻の後ろで美の定義をつける人はいるが
後者に対してわずかな尊重が示されるだけだ

権力は主体と主体の間にある識別だが
この識別が過多になると
現実になる

人は他人の後ろで声を出すことが好きだ
誰かが声をだすと自分もそうする
自分の代わりに死ぬ人がいれば少し勇気を出す
自分の代わりに死ぬ人がいないと
黙って目の前にある糞を食い続ける

或いは
人は「ゆっくりやろう」を言うのが好きだ
自分の利益が損なわれる時は
「ゆっくりやろう」を言うのが好きだ
それは「本当に現状を変えることをしない」と一緒だ
自分にとって危険な行動は
どんな小さな行動でも過激だと言われる
唯一自分が安全であることは過激ではない

では
この世界にどう向き合えばいいのだろうか?
目の前にある糞にどう向き合えばいいのだろうか?
南極のカメレオンに聞こう
しかし、困ったことに
南極にカメレオンはいない
あなたがカメレオンだ
すべてに適応できるカメレオン
いかなる「乗り」ができるカメレオン
風になれるカメレオン
時代に合わせて漂流する風になる
風がそれぞれの時代の糞を吹き抜ける
糞を食べて成長する
そして次の世代も糞を食べさせ
それを鍛錬と呼ぶ

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